旅に出て三日目の夜、広島市内のお好み焼き屋に座り、生ビールを飲みながら、ネギ焼きとカキを味わいました。
昨晩は90になる叔父と酒を酌み交わし、昔話に花を咲かせました。
午前中はゆっくりして、叔父との再会を約すと、昼前に和歌山県立植物公園に向かったのですが、月曜日であることをすっかり忘れていたので、植物公園の前に立って「本日休園」の表示を目にしました。
多くの場合、殆ど全国の植物園や花公園は月曜日が休園ですから、こんな日は移動に当てるのが一番合理的です。
という訳で、雨降る広島に夜遅く着いて、街中のパーキングに車を停め、久し振りに広島の味でも楽しもうと、お好み焼き屋の暖簾を潜った次第です。
明日は、広島から岩国、山口を経て萩を目指すつもりです。
広島市内で迎えた四日目の朝、雨も止んで、広島の街は職場へと向かう人で溢れていました。
一方私は、ナビのガイドのままに、通勤する人とは逆の、郊外へ向かうルートに沿って、広島市植物公園に近い坪井町の観音寺を目指しました。
広島市の観音寺は山陽花の寺二十四か寺の一つで、あじさい寺として名が知られています。
一方、アジサイ以外にも約700種のツバキが植栽され、境内には樹齢400年の広島椿が花を咲かせます。
寺の裏山がツバキ園の様なので、そちらへ足を向けますと、
途中で、「夢」という名札を付けたツバキが花を咲かせていました。
帰宅後に調べると、「獅子頭」と「攸県油茶」の交配種で、芳香のある早咲きで、11月~3月ごろに花を咲かせるようです。
裏山で振り返ると、瀬戸内に浮かぶ、宮島らしき島影が見えていました。
観音寺のあと、ちゅーピーパークに寄りましたが、開館が10時からなのと、梅の数もそう多くないそうで、今回はパスして、岩国市の錦帯橋へ車を走らせました。
錦帯橋は橋の下の錦川の河原が駐車場になっていて、310円の入場料で橋を往復することができます。
橋を渡りながら、橋脚部分で川を覗き込むと、川底にぎっしりと敷石が施されていました。
その範囲は、橋が架かる約200mの川幅の上流20m、下流50mの河床全てに及ぶそうです。
今回の旅は、梅に関する事前調査を行いましたが、錦帯橋にまで手が回らなかったので、橋を訪ねて始めて分った、橋を支えるために川底をまで整備した昔の人々の情熱に、深く感動させられました。
そして多分、下の写真のような橋の両側の橋脚部にも、基部の石が地中で凸字形となっているかのような(分かりませんけど)緻密な工夫が隠されているのでしょう。
橋では丁度、保全工事の足場を外す作業が行われていました。
錦帯橋を次の世代に残す為に、たゆまぬ努力が続けられているようです。
もう一度、橋が桜の花に飾られる頃に来てみたいものです。
錦帯橋を錦見側から横山側へ渡り、吉香公園の梅を訪ねました。
岩国藩主吉川家の居城跡が公園として開放されて、山頂の岩国城を背に紅白の梅が香を放っていました。
公園の場所は明治13年から昭和43年まで旧制岩国中学校として利用されたことから、教材樹木もあって樹種は70を数え、樹齢100年を超える大木もあるそうです。
公園の周辺に岩国藩家老 吉川氏の屋敷跡や剣豪佐々木小次郎の像などがあります。
佐々木小次郎像は、吉川英治の小説「宮本武蔵」の中で、岩国出身と記されたことに因るのだそうです。
ところで、吉香公園周辺を散策していると、門に「露蓮」の名を掲げた屋敷を見かけました。
こんな時は右から左へ読み「ハスのツユ」を意味するはずです。
とっさに蓮の葉で飲む蓮酒(像鼻杯)を連想し、懐に余裕のある趣味人のギャラリーだろうか、などと思ったのですが、後から調べてみると、何とここはガーデンカフェだったのです。
安政年間に建てられた、160年を経た建物のようです。
11時開店だそうで、もう少し遅く行けば、ここで美味しいコーヒーが楽しめたかもしれません。
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