世界で一番重いヘッドと柔らかいシャフト
隊長!!★
パターを納品致しますが
グリップは何をご所望でしょうかと、待ちに待ったお便り
を店長から頂戴し、
狂喜乱舞しているところです。
ドライバーからSWまで
「重いヘッド+しなるシャフト」なのに
パターだけが
「軽いヘッド+しならないシャフト」
だったため、
グリーン上でショットのリズムが変わり、
困っていたからです。
たぶん、ですが、
パッティングは
全てのショットの基本であり原点であり、
1ヤードの距離を正しい回転で
届かせるショットが、
250ヤードの距離を正しい回転で
届かせるショットに繋がっている
のだと感じています。
(確か店長も、そう教えて下さっていたような・・・?)
そして、
パターを除く
フルセットで3回コースをラウンド
してみた結論として、
「“変な親父”が作ってくれるクラブを
使いこなすことが出来れば、
ティーアップしてから
カップインするまでの全てのショットを、
狙い通りの場所に届かせることが出来る」
という確信を得ました。
それに必要なことは、
クラブの性能を信じて、
クラブが動きたいように
動かしてあげる、それだけ
だと思います。
動かし方が悪くて
ショットがクラブを裏切ることはあっても、
正しい動かし方をして
クラブが裏切ることはないのです。
初めて
「絶滅危惧種のゴルフクラブ」
(別名「悶絶クラブ」)
を手にした時、
難しかったことは、
それまでに何度も取り替えた
数々のクラブを使いこなそうとして
試行錯誤を繰り返した結果
すっかり頭と身体に染み込んでしまっていた
“成果”を、さっぱりと忘れてしまうことでした。

「ゴルフの醍醐味は、
身体を目一杯使った“マン振り”で
豪快にドライバーショットを
飛ばすことにある!」
との思い入れによる
“アスリート志向”から卒業するのに、
大きな抵抗があったからです。
いつも一緒にラウンドする
友人の感想なども、
簡単に無視できないものがありました。
総武C.C.の理事長杯を
手にしたこともありオフィシャルHC4を
維持する彼は、
『これだけ柔らかいと、
俺には打てないなぁ。』
と言います。
恐らく「守り隊」の隊員諸氏、
悶絶仲間の皆さまも、
最初は同じなのではないかと想像します。
テレビで観るトーナメントの映像や
雑誌など様々な情報から得られるイメージが、
ゴルフとは
身体能力を競うスポーツ
であるかのごとき印象
を植え付けているような気がするのです。
私の場合、
とにかく試行錯誤に
終止符を打ちたい
という気持ちが強かったため、
“変な親父”の言葉と
その“作品”の性能を
完全に信用するところから
再スタートを切ることができました。
つまり、
『誰よりも振らず
誰よりも飛ばす』
ことは実現可能なんだと信じる
ところから、
生まれ変わる試みを
始めることが出来たのです。
まだまだ
生まれ変わる途上ではありますが、
かなり重要なことに気付き始めています。
それは、
「このまま悶絶を続けて行けば、
これまでとは 別の次元で
ゴルフが楽しめるんじゃないか?」
という期待感とも言えます。
今の時点でも、
テレビで観るプロ達のショットに比べて
遥かに美しい弾道を得られている
と感じることがあります。
ミスショットを打つ時は、
ほぼ、昔の感覚が
ふと蘇ってしまった時に限られます。
そうすると、
昔の感覚を
完全に忘れ去ることが出来る
身体(頭も?)になれば、
ミスショットが無くなるかも
知れません。
たぶん、無くなるんだろうと思います。
そ~なると、
これまでは
「ミスショットをしなかったという偶然」
あるいは
「ミスショットの連続という必然」
によって作られていたスコアを、
「正しいショットの積み重ねという必然」
によって作る
ことが可能になるわけです。
ショットメイクの悩み
から解放されて、
本来のゴルフゲームを楽しむ・・・
これこそ、別次元のゴルフと言える
のではないでしょうか?
そう考え始めると、
ミスショットの回数が
そのまま順位に繋がるような、
言ってみれば
ミスショットのオンパレードを
見せられるに等しいプロのトーナメントなど、
どこに値打ちがあるのかいな と思うのです。
『毎日まいにち何百球も練習で
打ってるプロなんだから、
本番の試合で一々ショットに悩むなよ!』
と言いたくなります。
ここでようやく
“最終回の飛び入り”で触れた
名案に繋がるのですが、
いよいよパターが届く
というワクワク感のせいか
前置きが長くなってしまいましたので、
次回、
もう一度飛び入りさせていただきます