この度、OCNさんサイドのご事情で、ブログサービスを停止なさるとの発表がありまして、
2014年11月30日で やむなく OCN ブログ人『瑠璃のシュガーな時間』は 閉鎖することになりました。
ブログ人で書き綴ってきたものは (サイドバーにあったもの以外)全て引っ越しが完了しましたので、
過去に遡って お読みいただくことが出来ます。
これからは、こちらのgooブログで続きを書いて行きますが、
まだまだ不慣れで、投稿しづらいです。
以前のブログにあったギャラリー(作品の写真集のページ)が無くなりまして、
それに代わるものがあるのかも知れないし 無いのかも知れないのですが、
それを発見するまで時間がかかりそうです。
或いは、やっとホームページを作るかも知れません(^_-)-☆
当分 殺風景なブログだとは思いますが、よろしければ お付き合い下さいね。
《ふりかえり ~受賞と宮本瑠璃オリジナルシュガーアート教室の立ち上げ~》
2004年 シュガーアート教室を自宅で開くことができたらイイナ・・・
思うと同時に
すぐに習って下さる方々が次々と。
その頃はまだ 作品サンプルもカリキュラムも殆ど無くて。
お越し下さる方々にご安心ご信頼をいただくため、コンテストに出してみよう・・・と。
(私が先ず 苦労しなくては!)
2005年 東京 明治記念館 『第六回 シュガークラフトグランプリ日本大会』へ
大きな3段のシュガーアートケーキを初めて作り、
人生初めてのコンテスト出展でした。
ウェディングケーキ部門・アニバーサリーケーキ部門・フラワー部門・クラフト部門に分類され
総作品数は 250点程あったかと記憶します。
初めて見るシュガーアート作品の数々。
それはそれは目を見張る素晴らしい作品が沢山ありました。
当時、小学6年生だった一人娘
荷物番くらいはできるかしら・・・と 東京へ一緒に行ってもらったのですが
「まみー、かわいそー(゜д゜)! まみーよりすごい作品 いっぱいあったよ~ 賞は取れないよ(ノД`)・゜・。」
荷物もなく身軽ゆえ 先に走って《富士の間》でしたかしら? へ 見に行った娘が そう言って残念そうに戻って来ました。
「え~、、 関西へ帰られへんやん~ お生徒さんに顔向けできないわ~(T_T)/~~~」
(受賞出来なかったら 「シュガーアート教室 やってます」なんて 言えないナ・・・)
お台場で知人と落ち合って晩御飯を食べていても どことなく落ち着かず・・・
すると、夜8時くらいだったでしょうか、明治記念館のスタッフの男性から
「おめでとうございます。ウェディングケーキ部門で 金賞を受賞されました」と お電話をいただき、
(あ~、これで お生徒さんたちに顔向けができる~~~\(^o^)/ お教室を辞めなくてもいいんだー)
大きく安堵したのを覚えています
↓ 11年前のデジカメって 画素数も少なくてこんな感じだったのですね~ いま、スマホはおりこうさんです。
明治記念館で毎年開催されていたそのコンテスト、《シュガークラフトグランプリ日本大会》は、
審査委員長は料理評論家の服部幸應先生、審査員の中にはモンサンクレールの辻󠄀口博啓氏のお姿も。
私へのプレゼンターはパディハウスを運営なさっておられた 故 稲田和子先生。
後に、稲田先生には何度かお目にかかる機会がありまして
会話の中に「桂由美先生のファッションショーにお招きいただいたのですよ~」と申し上げました際
「川島なお美さんがゲストだったでしょ、どうなの? 鎧塚さんとちゃんと結婚するって言ってた?」なんて
笑いながらお喋りしたのも懐かしい思い出です。
明治記念館で開催された《シュガークラフトグランプリ日本大会》は、
この11年間で私が知る限りの最も盛大で権威のあるシュガーアートのコンテストでした。
当初5年契約だったそうですが、
もうあと一回やってみよう・・・と いうことになり、第六回が開催されたそうです。
そのような経緯も何も知らなかった私ですが 最終開催に滑り込むことが出来て大変幸運でした。
その翌年も受賞出来、またその翌年も受賞。(新しい主催者によるコンテスト)
その次の年は 娘が高校受験だったので、
子供のためにゆったりと食事を作ってあげられる母親に徹する為、コンテストは敬遠。
そして、娘が高校一年生の時にまた受賞。。。
3段以上の大きなシュガーアートケーキは 販売作品以外はコンテストの為にしか作ったことがないのですが、
出展作品はすべて受賞。
作ったものはすべて受賞出来たのです。
受賞出来ると 次はそれ以上のレベルを目指すことになる訳で、そのことがまた更に自分をストイックに追い込んだように思います。
一方、レッスンでは そのような難しいことばかりやれるわけではなく、
かといって、簡単なものだと わざわざ習いに行きたいと思ってはいただけないでしょうし。
適度に可愛く適度に難しく、2時間という時間制限の中でどなた様にも楽しく興味深く完成していただけるもの。
きちんとイギリス伝来のシュガーアート技法が入っていて
宮本瑠璃のテイストが吹き込まれ、一つの作品にまとまっているもの。
そういうサンプルを作り続けることは尋常ではない大変さではありました。
どなたに相談出来るでもなし、一匹狼で 師と仰ぐ人も居ず、パソコンやカメラワークも得意ではなく、孤独な毎日でしたね。。
(ブランドの洋服や靴、バッグなんてイラナイ~ !)
そういうものを買うぐらいなら 外国の文献を買いあさり、毎月毎月5万も10万もシュガーアートのお道具を買い続けました。
街を歩けばバッグやお洒落な小物からデザインの想像が膨らみ、
お料理をしながらも 頭の中はシュガーアートのことだらけ。
キッチンは 浮かんだデザインのメモだらけです。(∩´∀`)∩
《ふりかえり ~ブログとお生徒さんのおはなし~》
ブログは、明治記念館で このウェディングケーキが金賞を受賞できたことがきっかけで 書き始めたものでした。
OCNさんの ブログ人。
2005年から 昨日までの9年間、素人ブログでしたが ご訪問下さった皆さま、ありがとうございました。
出かけた先で「ブログ、読んでます! ファンなんです」
そうおっしゃっていただけたことも。
シュガーアート教室の告知はブログのみでしたのに、ブログを一本書くだけで、
今までの11年間、 お生徒さんは途絶えることがなく、
とても忙しい11年を過ごさせていただきました。
教室にいらして下さる方々は 皆さん意識がとても高く、お洒落で能力がお有りで、
それだけに 私にはしんどい11年でしたが、
だからこそ、皆さんをがっかりさせてはいけない、来てよかった・・・と 思っていただける自分にならないと!と
すごく努力したと思います。
皆さんのお陰で、 毎月毎月 新しい作品サンプルを作り続けるモチベーションにつながり、
月一回のレッスンなら8~9年習っていただける作品数の『宮本瑠璃のオリジナルカリキュラム』を確立させることが出来ました。
毎日睡眠を削って、いつも頭の中はシュガーアートのデザインや運営のことばかり。
苦しかったけれど、それが 私にはとても心地よく 楽しくて夢中になった11年でした。
シュガーアート教室をしていたからこそ 出会えた皆さん。
お可愛らしくて知的で礼節のある人たちばかりで たったの一度も もめ事や嫌なことなどありませんでした。
美味しいものや珍しいものも よく戴きました。
癒されました。
またもっと頑張ろうと思いました。
こんなことをしていなかったら、どなたさまともお話さえさせていただけていませんでしたよね。
すごくありがたく思っています。
いらして下さるのが《皆さん》だったから 私は頑張って来れました。
《そして これから・・・》
私の自宅教室へいらして下さる方は 殆どがパティシェさん。
それも オーナーパティシェさんだったり、チーフパティシェさんだったり・・・と いうことも。
他には 特別に器用な方、お洒落で細かな作業がお好きな方、ご結婚を控えた方、ご友人さまへのお祝いを作りにいらして下さる方、
昨年、一昨年からは ご職業にシュガーアートを生かそうとなさって下さる方々ですとかも。
出張レッスンでは、婚活イベントやPTA活動、お子様たちへのイベントレッスン、
ホームパーティーの出し物にご用命いただいたり、カルチャーサロンにお呼びいただいたり。
最近は、徳島県・香川県・鳥取県・島根県など 遠方からもお越し下さるかたが増えて参りました。
大きな大きなウェディング会場さまへも ご紹介いただきました。
(ですので、 今まで営業はしたことが無いのですが、ちょっと動いてみたい企画がいくつかできました)
それから、
これからの10年は、
私のように『自宅でお教室を開きたい』と おっしゃる方々をバックアップさせていただくことに
尽力したいとも考えています。
教室開講11年目にしてブログを引越し。
このことが良い契機となりますよう まだまだ努力して行きます。
私の教室へ習いにいらして下さる方、お待ちしています。
パティシェさんではなくても、「不器用なのですが~」とおっしゃる方も
何かを始めてみようとお思いになる方も、是非いらして下さい。
『瑠璃のシュガーな時間』、これからも どうぞよろしくお願いします
SugarBouquetRuri
宮本瑠璃 シュガーアート教室
↓ オーダーをなさって下さった方のために 薔薇バッグを薔薇パラソルに変えて 制作をさせていただきました。
こちらのお客様にも 今でも あの時の感謝の気持ちは薄れていません。。。