1999/09/21
表に出ると横なぐりの雨が降っていた。
K大学病院に着いたのは11時10分過ぎ。
思ったより道路が混んでいた。
1階の外来ロビーに座り、入院手続きが終わるのを待つ、
3階西370号室の4人部屋。
担当医は30歳前後、後退した頭髪を短く刈りこみ、恰幅のいい
いかにも働き盛りを思わせる脂ぎった顔をした医者だった。
青緑色の上着の袖からのぞく逞しい二の腕にカルテを抱え、
厚い胸板の前で揺れる聴診器を右手で抑えていた。
パジャマに着替えベッドに横たわったオヤジに医者がたずねる。
「どこが悪いと言われたの?、ほう、黄疸と胆石ですか。
それじゃあ、他の病院に入院してからこっちへ来たんですね。
石が残ってるとワルサをするからねぇ」
ん、と思った。
この医者にとっては初めの患者とはいえ、引継ぎのカルテを見れば
一目瞭然のことを、ひとつひとつ、オヤジの顔色を確かめるように
質問をしている。そばでクチを挟む母には頷くだけで視線を移さず、
オヤジの反応だけを確かめている。
両脇にだらりと置いたオヤジの腕は太いシワがきざまれ、
黒いシミが浮きあがり、真っ白なシーツの上でピクリと動く。
「食欲はありますか?」
「飯がうまいだよぉ」と笑って答えるオヤジ。
「そうですか。でも明日から飲み物も食事もしばらく我慢してくださいね。
白血球の数が4万もあるんですよ。これは普通の人の8倍ですから、
まず点滴だけで身体の中をきれいにしましょう。」
カルテをベッドの上に置くと、かがみこんでパジャマのボタンを外した。
むきだしになったオヤジの胸は痩せていた。
両腕の異様な黒さと対照的に、胸毛は白くなよなよと薄い胸に
へばりついている。医者は聴診器を当てながら、
「はい、大きく息を吸って・・・はい、吐いてえ」を繰り返す。
手の平をぎゅっと押し当て、
「ここは痛くないですか?・・・ここは?、ほんとに痛くない?」
みぞおちから胃の周り、横腹から下腹部まで丹念に触診しながら、
何度も同じことを聞くが、そのたびにオヤジは、頭を横に振り、
痛くないのゼスチャーを繰り返す。
痛くないはずは無いのに、医者の顔が曇り、不審が見てとれた。
「血液検査の所見が悪すぎる」
触診の合間にぽろっとこぼした言葉と一緒に胸に突き刺さる。
1999/09/22
ひとりぼっちで闘っているオヤジがいる。
何にもしてやれない。
逃避気味に大塚公子さんの本を読んだ。
自然の呼び声は、きっとしあわせなのだ。
明日はお墓の掃除と塔婆をあげに行きながら
先祖の声を聴いてくる。
1999/09/27
夢に泣き夜明けの烏カァと啼き
透き通る海月の傘に憂いあり
哀しみ藍色海の色
塔婆立つ阿字の真言唱えつつ
聞き給ふ復唱木霊の懐かしき声
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幸いなことにこの時の入院は3週間足らずで済んだ。
胃癌はゆるやかに成長しているものの、多臓器への転移は認められない。
これ以降に激しい痛みがでた場合の対処方法をほどうするか...。
本人には告知をせず、母の強い希望で手術をしない道を決断したのだから、
このまま大学病院にお世話になるわけにもいかない。
実家に近いN病院へ転院する紹介状を戴き大学病院を後にした。
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