睡蓮の千夜一夜

馬はモンゴルの誇り、
馬は草原の風の生まれ変わり。
坂口安吾の言葉「生きよ・堕ちよ」を拝す。

谷川岳からいまだ帰らず

2010-01-20 22:23:17 | 逝ける人々




http://www.nikkansports.com/general/news/f-gn-tp0-20100109-584147.html
年末の谷川岳からいまだに帰らない若者がいる。
2009/12/29入山、1週間の予定で谷川岳に入り、1/1にアタックすると
家族に連絡があったいう。遭難確実の状況だが入山届け(登山計画書)が
出てない厳冬期の谷川岳では、警察や山岳救助隊も手の出しようがない。

風雲急を告げる厳冬期の谷川岳に丸一日の晴天など望むべくもなく、
わずかな晴天の日を捉えたヘリでの捜索以外は手がないだろう。
たとえ遭難場所が分かったにしろ、ヘリも人も常に二次災害にさらされる。

縦走なのか岩なのか、それさえも定かではない。
年末年始の等圧線を見ただけで足がすくむあの山に単独で入ること自体
信じられない気がする。厳冬期デビューのとき熊穴沢ノ頭で敗退した自分が
云うのもおこがましいが、この山の積雪は下界の想像をはるかに超えている。

落ちたか、流されたか、雪に閉ざされたか、遭難原因は予想もつかないが
入山から3週間音信不通ならほぼ絶望の予測だけは立つ。
春にご遺体が出てくればまだしも、落ちどころが悪ければ夏をすぎても
行方
不明のまま、そのあいだのご家族の心中を思うと本当に気の毒だ。

山での遭難は運・不運が紙一重、300m落ちて助かる人あれば、
安全だと
思われたテン場で雪崩に遭い命を落とす人もいる。
運のいい人、悪い人を分かつポイントはいったいなんだろうね?
日ごろの行いとか、信心の賜物とか、そんなんじゃないことだけは分かる。

山に魅入られた者を本懐を遂げるがごとくに山に召す。
その誰を選ぶかは(山の)神のみぞ知るということか....。

厳冬期の谷川岳に単独で1週間も入る若者だから
万全の装備と高い
気概を持って臨んだはず。
その山行のどこで神に召されようと、その時が、
彼の天命だと信じたい。南無





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