ハナウタ うたこの「宝物がいっぱい」

自分にとっての「好き」や「嬉しい」を集めて綴る、ささやかなことのブログです。

短くわかるように、と思いつつ

2017年02月24日 | ❺ 追憶の日々

むかーし昔、私が小学2年生になったばかりの頃。

 

担任の先生が休みで、

体育が専門の隣のクラスの若い男性教師がやってきて

代わりに授業をしてくれたことがあった。

 

「集合!」「整列して座りなさい!」と言われたので

その通り 校庭に体育座りしたのですが

後ろの方に座っている私にはその後の指示がよく聞こえない。

何か熱心にしゃべってるけど、ちっとも意味がわからない。

 

あっという間に集中が切れてしまいました。

そしていつもの空想へ。

 

自分でも気が付かないうちに地面に絵を描いていたようです。

 

途中、先生の声で

「チキュウニエヲカクナ」

と聞こえたのですが、

「チキュウニエヲカクナ」がその時の私には日本語として認知されず、

言っている意味がわからなかったので無視していました。

 

また先生は言いました。

「チキュウニエヲカクナ」

ああ、それがまさか「地球(地面)に絵を描くな」だったとは!

 

「そこのお前、そこでチキュウニエヲカイテイルおまえだ!! 前へ出てきなさい」

 

(誰の事言ってんだ?)

とキョロキョロ左右を見回している私をみんながふり向くし

先生も私に向かって「おまえ、おまえ」言うので

(私??? なんでだ???)と思いつつ

ポカ~ンとした顔で私は前に歩いて行ったのだと思います。

 

先生は「『地球に絵を描くな』と言ったはずだ。なぜいう事が聞けない?」と言い

3往復くらい往復ビンタをされました。

めちゃくちゃ手加減した撫でるような往復ビンタだったので逆に何をされているのかわからず

「元の場所に戻りなさい」

と言われて戻ってからも(今のは何だ?私は何をされたんだ?)とわかっていませんでした。

 

後になって

先生は「地面に絵を描くな」と言ったこととか

体育の授業中は地面に絵を描いてはいけないこと(いや、そこじゃないだろう・・)とか

いう事を聞かないとぶたれるということにじわじわ気づき、青ざめました。

 

そんなこんなで体育の授業中は気を抜かず 地面に絵を描くことはやめたのですが

授業中 

まだノートや教科書にはせっせと落書きを続けておりました。

 

 

子ども時代って、なぜ叱られるのかわからずに叱られることがありますね。

何で叱られているのかわからないと

先生の顔色ばかりうかがうようになったりして。

 

こんな経験が(たくさん)あるもんで

息子に何か注意をした後 決まって

「お母さんの言ってる意味、わかった?」

と確認してしまう私なのです。

そしてわかるように説明しようとしてくどい長話になって

結局「何を言われてるのかわからない」って言われることが多いのです。

 

修行修行、もちろん自分の。

 

 


はじめてひとりで側転をした日のこと

2016年12月21日 | ❺ 追憶の日々

両親が働いていたので生まれて1ケ月くらいでもう保育園に行ってました。

その小さな保育園には「リズム」と呼ばれる時間があって、

それは2部屋の間仕切りを取っ払ってひとつのホールにして

壁際にイスを並べて子どもと先生が座って

先生のピアノに合わせて 歌ったり踊ったり 自由に動いたりする楽しい時間。

決まった動きをみんなですることもあれば

曲に合わせて自由に動くってのもあったりして 私は大好きだった。

 

「おもちゃのマーチ」に合わせるのは側転。

ホール中をくるくる側転で一周するのです。

年長くらいになると片手でする子も出てくる。

 

今でもよく覚えてるんだけど、私はこの側転、3才くらいまで出来なかった。

出来ない子には補助の先生が付いてくれるんだけど、

自我の芽生えか、だんだん私はそれがイヤになってきた。

大きい子達が誇らしげに一人でくるくるしてるのに、私は手伝って貰ってる。

いつになったら出来るようになるの?

それで気づいたの、練習しなければずっとこのままだ!って。

 

家の布団の上で練習するんだけど横に回るコツがつかめない。

逆立ちの要領からの横方向へ、が習得できない。

何日も練習したけど出来ないんです。

床に手をついて、関節を折り曲げたまま真似事みたいに小さく回るのはイヤだった。

私はひじも膝も全部ぴーんと伸ばした 大きな側転をしたかった。

だから余計出来なかった。

 

それでもある日の「リズム」の時間、側転の曲が流れ

いつものように先生が私の傍に来て「さあ、うーちゃん行こう!」って言った時

私 凄く強気に先生の手を振り払ったんです。

「今日からは一人でやる」って。

 

自分でもよくわかってるけど、まだ出来ない私。

それでももう手伝って貰うことに我慢がならなかったんだと思う。

 

前の子はどんどん先に行っちゃって、私との間に相当距離が出来てしまった時

私は意を決して一歩を踏み出した。

 

どう見ても側転じゃなかった。

逆立ちしては勢い余って向こう側へドタンと倒れる。

で、また立って 勢い付けて逆立ちして そして倒れる。

 

板張りの床にたいした受け身も取らずにひたすら倒れるを繰り返しながら

私は1周したのでした。

自分でも「私みっともないんだろうなぁ」と思いながら。

「今はまだこんなだけど、絶対うまくなるぞ!」って自分に誓いながら。

アドレナリン出てて痛みも感じなかったけど

この記憶は確かだ。

 

私が最後の1回をバッタンと倒れて立ち上がったとき

ホール中から拍手が起こった。

「うーちゃんすごい よく頑張った

ホールに居たいっぱいの先生たちが口々に力強く叫んですごくすごく喜んでくれていた。

 

あの時に、私はうまく出来ることの前に

自分の今持っている力を全部出しきるってこともいいことなんだと知ったのだ。

先生、「もうちょっとうまくなろうね」なんて言わないでくれてありがとう。

褒めて貰って、どれだけ自分が誇らしかったか。

人生で一番嬉しかった記憶のひとつだ。

この記憶があるから頑張れる時もあるくらい。

 

きっとあの時の私には“ひとりでやる”ってことが何より必要だったんだろうな。

妹が生まれた時期だったのかも。

私のベースはこの保育園で大方作って貰ったようなもの。

今でもすごく感謝している。

貧乏な保育園だから、

もしもいつか宝くじが当たったら、1/3くらい寄付することに決めている。

 

 


私のおじさん

2016年02月15日 | ❺ 追憶の日々

母の2番目の弟の 山男の「しげちゃん」は

高校の頃から山岳部に入ってて心から山を愛してる。

私はしげちゃんが大好きだ。

ユーモアに溢れ、ひょうきん者で、人を楽しくさせるのがうまい。

 

小学校に上がった私に

「うたこ、カタカナは読めるようになったか?」と聞き

「うん、なった」と言うと

「じゃ、読んでみろ」

と、沢山あるパチンコ店の中から、わざと「パ」の電飾が切れている店の看板を指さす。

「チ・ン・・・あ・・

「なんだ、まだ読めないじゃん、ケケケ」

「うううっ・・・」

 

またある時は

「うたこ、面白い昔話をしてやろう」

わくわく。

「昔々、埼玉県〇〇市△△というところに『チンタ』という女の子が住んでしました。

 チンタはいつも鼻をたらしていました。

 チンタは大笑いをすると、のどちんこが丸見えです。

 チンタは洗った手を服で拭きます。

 それからチンタは毎日おねしょをするので、チンタの家の布団はどれもびしょびしょでした。」

 そのチンタってわたしじゃない

「違います」

「絶対わたしだ!」

「うたこではありません、チンタさんの話です」

うぐぐ・・・」

と、私をからかう数々のエピソードを盛り込んだ話をしては遊んでくれました。

私はしげちゃんにからかわれるのだ大好きでした。

 

しげちゃんはよく、おじーちゃんおばーちゃんから怒られていました。

あまりにも調子が良かったからです。

しげちゃんはおじーちゃんの声色を聞き分けていて

「おい、しげるはいるか!」

と聞こえただけでダーーーっと家の外に走って逃げます。

逃げられない時は

素早くその場に正座をし、背中を丸めて出来るだけ小さくなってうなだれて(この演技が最高)、

何か言われる前に

「とーさん、どーもすみません」と神妙に謝ってしまうので(その姿はもうふざけているとしか言えない)

「まだ話とらん!」と余計に怒られていました。

波平とカツオでした。

多分しげちゃんはこのやり取りが好きだったと思います。

 

小学生の頃は年上の兄の教室に忍び込んではつまみ出されていたそうです。

最初は教室の後ろで隠れて絵などを描いているらしいのですが

だんだんムズムズして動き出し、

「兄貴、オレにも教科書を見せておくれよ」とか

先生の質問に

「そんなむずかしい問題はわかりませーん」とか

ついうっかり

「おっ!?カレーじゃないか?カレーの匂いがすらあ。

 せんせー今日の給食はカレーだね」

とか言ってしまうのでバレるのです。

強制送還されていく弟の後ろ姿を、

兄の修ちゃんはそりゃもう恥ずかしかったと証言しています。

 

 

しげちゃんは今でも休日は山に登り、山岳協会の自然保護の仕事をし、

クライミング大会の審査員をしたり、国体を手伝ったり、講演会で話したりしています。

家族のためにサラリーマン生活を選んだけれど

本当は人生全部を山に使って、山一筋に生きたかったんだろうな。

小さい頃から見て来たのでそんな気がします。

仕事で疲れていても休日は山!って人だから。

でもしげちゃんの背中を見て育った末息子は公務員の傍らトレイルランをしているっていうから

まんざらでもないね。

私は山登りはしないけど、しげちゃんを通して山はとても身近です。

だって私の大好きなしげちゃんが 大大大好きな山だもの。

 

 

 

 


雨が好きで

2015年09月01日 | ❺ 追憶の日々

今日も雨になりそうです。

よく降るな。

小さい頃から雨降りの日が大好きで 

何が好きって 音を聴いているのが好きなのです。

雨音はショパンの調べとは、よく言った。

 

雨が何かを 例えば屋根や壁やガラス窓を打つ音、

草木の葉や道に当たる音、

車のボンネットを叩く音、

川の近く、森の中、家の中 みんな音が違います。

いつどこで聴くのも好きです。

眠りながら聞くのも好きです。

起きた時 雨の音がしていると嬉しい。

旅先での雨も許せる。

晴れの日と雨の日は別物なので それ自体比べられない。

 

雨の日の外出は面倒くさくて厄介なことが多いけど、まあいいか、と思えます。

それから 静けさ。

この静けさは落ち着きます。

 

小学校低学年の頃、置き傘忘れてよく濡れて帰りました。

ひとりで留守番している時に わーーーーって降ってくるのを聞くと

鳥肌が立つほどしびれます。

世界に包まれているような不思議な気持ちになります。

急いで窓のそばに行って ガラスに打ちつけて流れていく雨粒やその向こうの風景を

好きなだけ見ていたい。

水害が・・・・とか言わないで。

それはまた別の話ってことにして貰えたらありがたい。

 

雨見?で酒が飲める女です、私は。