ハナウタ うたこの「宝物がいっぱい」

自分にとっての「好き」や「嬉しい」を集めて綴る、ささやかなことのブログです。

じぇじぇじぇ

2015年03月31日 | 🐤 日記

ひえぇぇぇ~~~

先ほど連絡があり、

うちの台所の流しの下が水漏れしているらしく

下の階のHさんちの天井から水がしみ出しているそうです!

大変なこっちゃ~~~

ごめんなさ~~い。

ああ、なんたって築50年?60年?の古い集合住宅だから~もうぅぅ~

 

 

この建物 配管がもう全然だめなんだそうです。

同じような水漏れのあったほかの部屋の人が

建物全体の配管を全部取り替えなくちゃダメだねって業者に言われたそうです。

 

 

うちは洗面所がないから、そうなると台所以外で使える水道は風呂場だけ

どうなる、明日からの食事

朝からセブンか

 

 

・・・・と、台所のシンク近くを歩くと 

なぜかビニール製のクッションフロアのつなぎ目から水が

何故ここから?

床だよ!?

一体どこから漏れてるというの。

シンク下の収納スペースは開けてみたけど水漏れの気配もないのに。

 

 

不衛生じゃん・・・・絶対カビるじゃん・・・・・

床をはがす予感がする。

キッチンセットも撤去して床下を調べる気がする。

大がかりな修繕工事の予感がする

 

 

さっきHさんがうちのキッチン見に来た時言ってた。

「ハナウタさんち、うちよりキッチンが傾いてますよ」って。

うち・・・・もしかして 崩壊するのかな

 

 

 


参勤交代はやめました

2015年03月28日 | 🐤 日記

この週末に予定していた大阪への参勤交代は GWに延期しました。

殿様も仕事が忙しく 出勤になってしまったとのことですんなり決まりました。

これも神の思し召しかと

 

 

昨日はひとりで猫散歩に行ってきました。

 

 

来週は小さい人の元気も回復するといいなぁ。

大丈夫、大丈夫、多分本当に大丈夫。

 

 

 

 

 


私が回復

2015年03月27日 | ⓴ ホームエデュケーション

流れる時間の速度が どう考えても違うようです。

「小さい方の人時間」というのが あるんだな。

 

 

朝は起きてから ご飯に手を付けるまでに40分くらいかかる。

ぼーっとしてるのです。

 

食事もゆっくり。

60分はかかります。

朝はそれだととても困るので、自然と「うどん」になりました。

ごはんより 早く食べ終わるし、食べるのもラクそうなんです。

本人が「うどんにして」ってことが多いです。

夜はゆっくりで全然OK

2時間近くかけて食べてます。

 

 

着替えをするのに 40分。

洋服が体にしっくりこないので、馴染むまでずーっとモソモソしてるからです。

靴下に10分。

締め付けられる感じが苦手なので、靴下は難関らしいです。

 

 

重ね着がたいそう苦手で、下の服と上に羽織る服の重なり具合が苦しくて?

うまくいくまでずっとモソモソ。

冬は なかなか出かけられず 本当に大変です。

 

着られる服も とても少ない。

だから毎日ほぼ同じ服を着ています。

 

 

夏の方が 断然ラクです。

1年中気候が変わらない温暖な地域に住むのが幸せかもね。

でも異常なほど汗をかかないので、暑過ぎNG。

気圧の変化にも反応します。

「体調が悪くなるときは 気圧が変化してる時みたい。」

と教えてくれた。

台風の時とか。

それから雨の日よりも どんよりした曇りの日の方が なんだか体が辛いそうです。

 

 

なので、社会のペースにはあいません。

小学校では 5時間目が始まるまでひとりで給食を食べていたようです。

集団行動についていくために無理をしすぎると ・・・崩壊しそうです。

 

 

どう考えても 得手不得手の幅が大きい。

得意を伸ばせというけれど 「伸ばせ」ってのがこれまた重い。

義務、みたいで。

ま、これは私の受け取り方の問題だね。私が間違ってる。

 

 

 

家族でも ペースを合わせて行動するのが大変です。

みんなそれぞれが頑張っているのに 違い過ぎるので わかっていてもストレスなのです。

 

 

小さい人が自分や周りと折り合いを付けながら 安心して生活できるのか、

将来 自分も好きで需要もある仕事につけるのか。

困ったことにならないか。

そう、私はいつも小さい人の将来のことを心配し過ぎています

うぜーよ、自分の心配してろよと自分に言ってやりたいです。

 

 

人から心配されると 

「私は全然心配してないよ~」「将来の事ばかり心配しても仕方ないよ」

「今を大事にしていくことの積み重ねで きっと道が出来ていくんだよ」みたいに言っていますが

一皮むけば そこには「心配」の闇

あゝ これだから これだから

 

 

 

なので、まず、心配をやめたい。

やめよう。

心配の量を減らして 小さい人の負担を減らしてあげよう。

減るかわからないけど 私はラクになる。

私がラクになれば 小さい人もラクになる、多分。

 

いいのいいの、まずは自分。

ラクになった私にはきっと余裕がでてきて そのバタフライ効果で何かが変わるでしょう。

小さい人も自分なりに歩いているんだから 少し距離をとってみよう。

 

 

 

私に出来るのは 私のことだけなんだよな。

と、原点に帰る私。

何度も帰ってるはずなのに、気づくといつもどこか行っちゃうんだな。

人間だもの

 

 

 

 

 

 


私も怖い

2015年03月25日 | ⓴ ホームエデュケーション

一昨日も 昨日も 

小さい方の人は ある時間 思い出したように混乱して、そして落ち着いていきます。

私は呼ばれるたびに傍に行って 包んだり 聴いたり 困ったり。

 

 

私は多分 先が見えているような安心感を 

ほんのひとときでいいから 自分が感じたいと思って暮らしていて

そういう私の不安を小さい方の人に背負わせていたのかな。

 

 

例えばこの先小さい人が 

元気じゃなくても ゆっくりしてても 病気になっても 悪いことしても

勉強しなくても 楽しそうじゃなくても 何もしなくても 誰かからの評判が悪くても

お母さんを一番に好きじゃなくても 汚くても 弱くても・・・

 

私は小さい人が大好きで 存在そのものがただただ喜びなんですよ。

いてくれるだけでいいんだよ。

今日もいてくれて ありがとう。

 

 

きれいごとにきこえると?

実はそう、私の中にまだ「幻の子ども」像が 薄ぼんやりといたりします。

安心させて欲しいと思っている私がいるので

まだ少しきれいごと・・と思います。

 

14年も見てきたのに

捨てても捨てても エゴばかり。

私ってヤツは この期に及んでもまだ 

なんというエゴ野郎なんだ!

 

 

 

なんて文章を書きながら気づいたのですが、

こうしていると 心って思いのほか落ち着いてくるものなんですね。

そうか、私は心を落ち着けるためにこのブログをやっているんだわ。

心が求める事をやってきたんだなぁ。

 

私は私で 正直にいくか。

 

 

しばらくは吹く風に身を任せて   そうだな 風に吹かれていけばいいのかな。

 

 

 


向き合っていく私達

2015年03月23日 | ⓴ ホームエデュケーション

昨日の夕方、男チームの小さい方の人が突然「お腹が痛い」と言い出した。

そのうち「お腹が気持ち悪い」に変わり、

そして「どうしようもなくイライラする」に変わった。

 

 

食べ過ぎかな?と思ったけど、すぐに気づきました。

体調が悪くなるほど、何かしらの気持ちを我慢してるってこと。

来るべき時が 来始めている、と思いました。

 

 

「あーーー気持ち悪い。変だ なんでだ?」

「うーーーイライラする!すごくイライラする、最悪だ

と感情が高ぶっていきました。

 

 

小さい方の人は「怒る」ということがあまりありません。

すごく気になっていました。

「怒る」ことが出来ないとしたら さぞ辛かろうに・・・・。

 

 

イライラする小さい人に聞いてみました。

「もしかして 怖い?」

 

小さい人は 「・・・・こわい、こわいよ・・・・」とつぶやくと

小さくしゃくりあげ、そして次第に堰をきったように激しく号泣しました。

 

 

彼の怖さの正体は一体なんなんだろう。

探っても探っても 具体的なことは彼からは出てこない。

「何が怖いのか わからない」というばかりで。

 

 

目の前の私なんだろうか、怖いのは。

 

 

心当たりは 死ぬほどある。

 

 

行きたがらない幼稚園に無理やり連れていき、行きたがらない小学校に無理やり連れていき

やりたがらない行事や作業に沢山参加させて 

社会や世間体や家族の選択に合わさせた。

そしてそうさせる私自身を自分が疑わなかったし 彼に正当化してきました。

 

わがままや気まぐれじゃない 命の抵抗だったのに

分かったつもりで いいお母さんのつもりで 言い続けた。

「自分のペースでいいんだよ」って。

でもそれって

「やりたくないことも 自分のペースでいいから やるのよ」ってことだよね。

 

 

彼は自分のありのままを それじゃダメだと ずっと矯正され続けてきたのです。

生まれ持った感覚を 否定され続けてきたのです。

どんなに優しく言ったって どんなに丁寧に教えたって

彼の持って生まれた命の伸び方を 許さなかったことにかわりありません。

 

 

怖くないはずがない。

どんなに怖かったことか。

自分をわかってくれるひとが 一人もいない。

誰といても 安心できない。

安全な場所が どこにもない。

そしてどれほどの無念と 感覚のしっくりこない膨大な努力をしいられてきたことか。

 

 

でも「こわい」と泣く小さい人の姿は 弱弱しくなかったんです。

すごく激しく泣く姿は 強い怒りそのものでした。

 

「怒り」に手が届いた。

私にとって それは希望の光でもありました。

 

怒ることなしに生きてはいけません。

怒ることは生きるための大事なエネルギーなんだから。

それが出てきたのだとしたら 小さい人が 生きようとしてるってこと。

 

 

今までのこと 全部怒っていいよ。

ずっとずっと怒ってていいよ。 

その溜めに溜めた怒りの気持ちを 全部全部出していいよ。

 

 

彼の怖さや怒りの本当の原因は私にはわからないけれど 

私は寄り添い方を変えます。

意識しなくても もう変わっていると思いますが。

彼の「これから」も 私の「これから」も 変わっていくのかな。

 

 

私は自分のやってきたことの全部をダメだったとは思いませんが

良かれと思って信じてやってきたことの中には 間違いが沢山あった。

ああ、やっちゃったよな・・・・・

 

 

特に ここ1週間 小さい人は変化していました。

「母ちゃん、今の態度は卑怯だ」

「母ちゃん、ひどいね」と何度か言われていたのです。

 

そうだ、確かに今のは私の逆ギレだ。

「いつまでも待つよ」って言っといて 「いいかげん まだなの?」なんて 裏切り言葉だ。

 

気づかせてくれるのは いつも小さい人です。

自分とは違う者同士は 言葉や行動を通して分かり合っていく、そして支え合っていくのですね。

 

 

大きく変わるのかもしれない。

どう変わるのかな。

わからないなあ。

 

でも 私たちの未来はそう悪くなさそうだねって感じでいけたらいいよね。

今日みたいに明日も過ごしたいねって思える今日を過ごしていきたいね。

 

10年後くらいに

「ホント、あの頃(今も、でもいい)母ちゃんってダメダメだったなぁ」

「君たちもだよ~」って大笑いしてたら 最高にうれしいな。