昨日の夕方、男チームの小さい方の人が突然「お腹が痛い」と言い出した。
そのうち「お腹が気持ち悪い」に変わり、
そして「どうしようもなくイライラする」に変わった。
食べ過ぎかな?と思ったけど、すぐに気づきました。
体調が悪くなるほど、何かしらの気持ちを我慢してるってこと。
来るべき時が 来始めている、と思いました。
「あーーー気持ち悪い。変だ なんでだ?」
「うーーーイライラする!すごくイライラする、最悪だ」
と感情が高ぶっていきました。
小さい方の人は「怒る」ということがあまりありません。
すごく気になっていました。
「怒る」ことが出来ないとしたら さぞ辛かろうに・・・・。
イライラする小さい人に聞いてみました。
「もしかして 怖い?」
小さい人は 「・・・・こわい、こわいよ・・・・」とつぶやくと
小さくしゃくりあげ、そして次第に堰をきったように激しく号泣しました。
彼の怖さの正体は一体なんなんだろう。
探っても探っても 具体的なことは彼からは出てこない。
「何が怖いのか わからない」というばかりで。
目の前の私なんだろうか、怖いのは。
心当たりは 死ぬほどある。
行きたがらない幼稚園に無理やり連れていき、行きたがらない小学校に無理やり連れていき
やりたがらない行事や作業に沢山参加させて
社会や世間体や家族の選択に合わさせた。
そしてそうさせる私自身を自分が疑わなかったし 彼に正当化してきました。
わがままや気まぐれじゃない 命の抵抗だったのに
分かったつもりで いいお母さんのつもりで 言い続けた。
「自分のペースでいいんだよ」って。
でもそれって
「やりたくないことも 自分のペースでいいから やるのよ」ってことだよね。
彼は自分のありのままを それじゃダメだと ずっと矯正され続けてきたのです。
生まれ持った感覚を 否定され続けてきたのです。
どんなに優しく言ったって どんなに丁寧に教えたって
彼の持って生まれた命の伸び方を 許さなかったことにかわりありません。
怖くないはずがない。
どんなに怖かったことか。
自分をわかってくれるひとが 一人もいない。
誰といても 安心できない。
安全な場所が どこにもない。
そしてどれほどの無念と 感覚のしっくりこない膨大な努力をしいられてきたことか。
でも「こわい」と泣く小さい人の姿は 弱弱しくなかったんです。
すごく激しく泣く姿は 強い怒りそのものでした。
「怒り」に手が届いた。
私にとって それは希望の光でもありました。
怒ることなしに生きてはいけません。
怒ることは生きるための大事なエネルギーなんだから。
それが出てきたのだとしたら 小さい人が 生きようとしてるってこと。
今までのこと 全部怒っていいよ。
ずっとずっと怒ってていいよ。
その溜めに溜めた怒りの気持ちを 全部全部出していいよ。
彼の怖さや怒りの本当の原因は私にはわからないけれど
私は寄り添い方を変えます。
意識しなくても もう変わっていると思いますが。
彼の「これから」も 私の「これから」も 変わっていくのかな。
私は自分のやってきたことの全部をダメだったとは思いませんが
良かれと思って信じてやってきたことの中には 間違いが沢山あった。
ああ、やっちゃったよな・・・・・
特に ここ1週間 小さい人は変化していました。
「母ちゃん、今の態度は卑怯だ」
「母ちゃん、ひどいね」と何度か言われていたのです。
そうだ、確かに今のは私の逆ギレだ。
「いつまでも待つよ」って言っといて 「いいかげん まだなの?」なんて 裏切り言葉だ。
気づかせてくれるのは いつも小さい人です。
自分とは違う者同士は 言葉や行動を通して分かり合っていく、そして支え合っていくのですね。
大きく変わるのかもしれない。
どう変わるのかな。
わからないなあ。
でも 私たちの未来はそう悪くなさそうだねって感じでいけたらいいよね。
今日みたいに明日も過ごしたいねって思える今日を過ごしていきたいね。
10年後くらいに
「ホント、あの頃(今も、でもいい)母ちゃんってダメダメだったなぁ」
「君たちもだよ~」って大笑いしてたら 最高にうれしいな。