ハナウタ うたこの「宝物がいっぱい」

自分にとっての「好き」や「嬉しい」を集めて綴る、ささやかなことのブログです。

大きな翼で

2016年12月30日 | 🐤 日記

私の卓球は「バタバタしていて、南米の方のダンスみたい」だそうですが、

ムスカ大佐は「超合金ロボット」卓球、無駄に全身の筋肉を使いまくる卓球です。

なので筋肉痛がひどいのです。

息子は「父さんの卓球はコロッケの五木ロボットみたいだ」だって。

うっしっし。

ドンピシャよ~。

 

正月に凧揚げしたくて小さいサイズのカイトを買って準備しています。

以前、田舎の方の公園の広い芝生広場で5連の凧を揚げていて、放送で注意されたことがあったの。

近くの電線に注意しろとか、他の人の迷惑にならないように、とか。

すっごく配慮して選んだ場所で、電線もはるか遠いし、

寒い日で人なんてほとんどいなかったのにさ。

 

凧揚げの事故が多いのか、放送で注意を呼びかけるきまりなのかもね。

でも息子、母が怒られていると思い込んで、以来凧揚げを嫌がるようになってしまった。

今回も私が買ってきたカイトをみつめて

「あげる場所なんてどこにあるの?」って。

ほんとそう。

凧揚げできる場所がないんですよね。

いいの。

持って歩いてるだけで幸せだから。

で、良い場所見つけたらそこで揚げる。

 

ああ今年は楽しい楽しい1年でした。

楽しいだけじゃなくて学びも多くありました。

日々の幸せにつながるものでした。

 

一方で

いよいよ今まで逃げていた自分の一番痛いところを認めた年でもありました。

自己防衛をやめたら傷を拾って歩かなくなりました。

息子の主体性の足を引っ張らないぞ!とも決心しました。

私の主体性も大事にしました。

幸せだな、嬉しいな、ありがたいな、と思う回数がこれまでの比ではなくなりました。

来年はここに ムスカ大佐(夫)をもっと巻き込んでいきたい。

ワーカーホリックのムスカ大佐を。

 

私は大きな翼で

今いる時間を渡って行きたい。

スイミーみたいに仲間を見つけて泳ぎたい。

生きるために知恵を働かせて歩いて行きたい。

 

今年もご訪問いただきありがとうございました。

自分のために書いているブログ、なんて言いながらいつしか範囲が広がってきました。

読んで下さる皆様方の存在を意識するようになってきていることに気づきました。

私も自分の殻から出てきたのかな?

だったらもうそろそろ、すっかり出てしまってはどうだろう!

 

とにかく私はこれから甥っ子姪っ子たちと遊びながらTV見ながら

楽しい気持ちの年越しをしまして

幸せかみしめて新年の日の出を拝みます。

皆様も皆様の場所で 

誰かのために働いたり 

何かに思いを馳せたり

好きな音楽を聴いたり

美味しいもので自分の体を温めたりしながら

次にお会いするときまで元気にお過ごしくださいね。

 

 


仕事の〆は窓拭きでした

2016年12月27日 | 🐤 日記

昨日は3ケ月に1度窓ふきを頼まれているお宅に伺いました。

転倒骨折を機に、外注することにしたそうです。

 

大小、形も様々な窓を28ケ所拭き上げ

4ケ所の水回りをピカピカにしてきましたよ。

作業時間を2日間と見積もっていたのですが

なんとか8時間労働で収まったので今日はお休みになりました。

もし今日も伺うなら、時間に余裕があったでしょうから

お風呂もサービスしちゃおうと思っていたところが私の親切なところです。

私がお客の立場だったら私に依頼するな

必殺仕事人、スクイージーのハナウタ、なんちゃって。

 ・・・スクイージー、使わなかったけどね。

 ・・・仕事の依頼も増えてないけどね。

 

せっかくピカピカにしたのに、今日は雨です。

ま、これが自然界に生きるモノの宿命ですかね。

以前雪国生活経験のあるWさんとてんちゃんが、

「例えば雪国ではすっごく苦労して雪かきしても、

 次の朝にはまた積もってて同じ作業の繰り返しなんだよ。

 それが当たり前の生活。

 いちいち悲観しないんだよ。

 生活って地道な繰り返し、何度でもやり直しながら続けていくんだから。

 だからそんなことでいちいち心折れないし、粘り強いタフな人間に育つのかも。」

 

と言いながら、途中まで編み上げたセーターなんかをあっさりほどいて(何度も!)

納得のいくまで手直しする姿勢に感動したんだよ。

私もそういうの見習おう、タフになるんだ!ってね。

私は

「せっかくここまでやったのに~」

って口にしがちだからね。

 

さて、今日の夜か明日にはムスカ大佐(夫)が西から帰還されます。

たくさん話してたくさん遊びたい。

大佐もよく頑張った1年でした。

よし、何か好きなものを作っといてやるか。

 

 


その仕事でいいの?

2016年12月24日 | ❸ ブラックハナちゃん

車を停めている契約駐車場の大家さんから連絡があって

隣接している建物の外壁補修工事をするので

建物に足場を組む日と、足場を撤去する日の2日間

車をどこかのコインパーキングに移してほしいと言われたの。

うちで借りている場所に足場機材用の作業トラックを停めたいのだそうだ。

料金は後で払うので、領収書を保管しておいて欲しいと言われた。

 

了解すると、

詳しいことはまた改めて業者から連絡入れて貰うことになっているから

分からない事等あればこれからは直接そちらとやり取りして下さいと言われた。

そのほうが話が早いだろうから、お任せしているからって。

ちなみに予定している作業時間は8時から17時だそうだ。

 

業者の担当者から電話を貰い、大家さんと同じ説明を受けた。

 

後日、ポストに作業工程表と会社名の入った粗品が入っていた。

ちなみに、うちの社宅全室に同様のものがポスティングされていた。

多分近隣にも配っているだろう。

テレビコマーシャルもしている有名な会社だった。

 

そして両日、

私は仕事前の6:30に車を移動し、帰宅後の17:30過ぎに車を戻した。

 

ハッキリ言う。

後日来た担当者は自前の財布だけ持ってやってきて、ポケットから財布を出して

「領収書、貰ってくれました?」と言った。

「では2000円」と財布から2000円を出し

「ご協力ありがとうございました」と言って帰って行ったのだ。

 

失礼だよ。

大家さんから全て任されているんでしょう?

友達同士の金の貸し借りの清算じゃないんだからさ。

それがあなたの仕事なら、事前に金額を聞いて封筒に入れて持ってこい。

・・・いや、そんなことはホントはどうでもいい。 

この人の態度は 誰かの代わりにやってきて自分は関係ない感じ がしたの。

 

大きな会社というのは仕事が分業だから

営業が苦労して取ってきた仕事も、

工事は別の人が担当し、

しかも現場に至っては下請けが行うわけだ。

アフターにも別の担当者がつく。

そうしているうちに責任感は減っていくのかもしれない。

 

この会社に直接の利益をもたらすのは施主や依頼者なのだから

そちらの顔色はうかがっても

彼らの顧客ではない私は たいした存在ではないのかもね

私が工事代金払ってるわけでも、あなたたちの給料払ってるわけでもないものね。

 

私が移動日を忘れないようにカレンダーに大きく印をつけたり

前日にドアに付箋を貼っておいたり

満車だった場合を考えて数か所のパーキングを下見に行ったり

慣れない駐車場に車を停められるか心配したり(苦手なの、運転)していたなんて

考えないんだろうな。

 

もしこの担当者がこの仕事を必死で自分で受注していたなら

もっと違った態度だったと思いたい。

相手の立場を考えたり、職人に感謝したり、近隣に配慮したり、とね。

 

ちなみに私は会社名の入ったノベルティって、会社の販売促進の宣伝道具だと思っている。

間違っても「手土産」「あげた」なんて思ったらイケないと思う。

 会社の戦略で「配った」だけだ。

 

でもね、作業の終わった日、大家さんから電話を貰ったんです。

「とっても助かったわ、ありがとう。

 朝早くからの車の移動は大変だったでしょう、忙しい朝にごめんなさいね。

 寒い中をありがとう。」

あ、負担をわかってくれてるんだ、と思ったら 気持ちがすっと治まって

こういうあれこれを自分の仕事に、日常にいかそう、と思ったのでした。

 

 

 


行っかないよー

2016年12月23日 | ❸ ブラックハナちゃん

昨日、クロスの親方から仕事仲間の忘年会というやつに誘われた。

自分は行かないクセに~。

「去年行ったけど、・・・自分はちょっと・・もういいかな、ってさ。

 でもうたこちゃんは試しに行ってみれば?案外面白いかもよ(ニヤリ)。」

だって。

いーえ、私も行きません。

面白いわけないじゃん、のん兵衛悪ノリじーさん達の飲み会なんて。

知らんでいい生態をパワーアップした状態で見なきゃいかんじゃん。

絶対に行きませーーーーん

確率0%です。

会費出してくれたっていかないよーーーー

 

ふすまの親方と塗装の親方は参加するらしい。

あと誰がくるんだろ?

造園方面かな?

 

お店ではどうぞ紳士的に気前よくふるまって。

失礼のないようにね。

嫌われるからね。

来年も気持ちよく仕事をするためには、ここは線を引くところだろ

 

 


得したいから

2016年12月22日 | 🐤 日記

「親なんだもん、しょうがないよ」

「だって親だもん」

「それが親だよ」

「親だから」

って、子どもを心配するときなんかに使うんだけど、

ちょっと思いついて

「使わないで(思わないで)みようかな。」と。←「思わない、と思う時点で思ってる」とか言わないで下さい。

 

というか、「親ってそういうものよ、しょうがないよ」と思う割合を

意図的に減らしてみようかと。

で、自分の何かが変わるのか、どうなるのかってのが知りたい。

だってさ、そう思うのが当たり前だと思っていたらいつまでも変わらないかもしれないけど

場合によっては「親だけど違うぞ」とか

または、思いつつもその比重を減らして行ったり

「あ、この場面では前だったら使ってるな」って自分に突っ込んでるうちに

新しい感覚が生まれてきたりして

なんか得する自分になれるような気がするんだよな~

 

この言葉を必要以上に使わない自分になろうかと思うの。

今までの自分と少し違う自分になるかもしれないから。 

(自慢げに使うのはちょっと残してみてもいい)

 

まあ、自分実験。

行動を変えたら何か気持ちも変化するだろうか?の実験ということ。

遊び、と言ってもいい。