ハナウタ うたこの「宝物がいっぱい」

自分にとっての「好き」や「嬉しい」を集めて綴る、ささやかなことのブログです。

大晦日です

2015年12月31日 | 🐤 日記

大晦日というとマルシャークの『森は生きている』を思い出します。

 

わがままな女王様が、

4月にならないと咲かないマツユキ草が欲しいと言い出したために

褒美を手に入れたい意地悪な継母と継姉に命じられて

春の花であるマツユキ草を探しに

大晦日の夜に、娘が吹雪の森に出されてしまう話です。

 

森の中をさ迷ううちに

娘は12の月の精のたき火の集いに遭遇します。

そしてその中の4月の精からマツユキ草と指輪を貰うのです。

もしも困った時には指輪を投げて呪文を唱えれば

その時は必ず助けに行くから、という約束とともに。

 

いざという時に助けてくれる人がいると信じられることは

心の支えになります。

子ども心に自分にも12の月の精のような存在がどこかにいると夢見ていました。

おもちゃの指輪を4月の精から貰った指輪だということにして

秘密のお守りにしたりとか。

 

本当に自分にもそんな人がいるかどうかというよりも

いるのだと信じることで救われた。

 

もうじき年が暮れて、そして明けます。

今年は恵まれた1年でした。

自分たちのために、惜しみなく時間を費やすことが出来ました。

 

しかもここにきて、小さい方の人の調子も悪くない。

中学卒業が迫る2月3月にまた大きな揺れはあるでしょうが、

来年は今までの経験がきっと生きて、更なる学びがあることでしょう。

不確定な未来ですが絶対楽しいに決まってる、と信じられる私がいます。

 

今年もブログを書いている時間がとても楽しかったです。

時に客観的に、冷静に、もて余す感情を鎮めてくれるブログは

私にとって大切な居場所です。

他の方々のブログも楽しく読ませて頂きました。

随分と助けられました。

 

うまくしめられません、いつものことですが。。

私はそろそろ年越し蕎麦の準備に行きます。

みなさまも、それぞれの年越しをそれぞれのやり方で

なさることでしょう。

どうかなるたけ暖かくお過ごし下さい。

外に出る方もなるたけ暖かく。

そして希望に満ちた新年をそれぞれの場所で迎えしましょう。

私は新年の最初は笑顔で、と決めました。

 

それでは今年はこのへんで。

2015年のすべてに感謝をこめて。

 

 

 


ゆるんでいく私

2015年12月22日 | 🐤 日記

先週末で2学期も終了しました。

ムスカ大佐(夫)も26日から年末年始の休みに入るとのことなので

明日さいたまに帰ることにしました。

 

私は年内にあと3件の仕事と

年末年始の準備と こまごました用事が毎日あるので

それらを忘れずにこなせるよう配分しなければならないのですが

もう以前のように細かいタイムテーブルを作らなくても大丈夫になりました。

タイムテーブルを作るような私の性格は、

動けている時は素晴らしい自己肯定感なのですが

動けていない時期はあまりよろしくなくなるのです。

そんな自分を変えたくなった。

少しずつだけどラクになってきたかな。

 

昨日も

「31+31+10+17は・・・・87だから、あとここに20足すと・・・」

と年賀状の枚数計算をしていたら

「89だよね」

と修正が入りました、はい、小さい方の人から。

 

夕飯のピリ辛もやしと温玉ぶっかけうどんに金ごまを振りかけていたら

「ねえ、大きな赤い文字で『ご使用の際は煎ってお使い下さい』ってあるけどいいの?」

・・・・読んだことなかった・・・

 

トイレから出た私に

「またトイレの電気消し忘れてるよ、消しておこうか?」

「あ、あれぇ~~~消したはずだけどぉ~

 パチンっていったけど消えなかったのかなぁ~?」

「・・・いいよ、わかったよ。ところでトイレは流したよね?そこは大丈夫だよね?」

 

やれやれ、よかった、ようやくだよ。

ようやく人間らしくなってきたよ、私も。

なにしろ私は気を抜くと、とても真面目なのです(ホントだよん)。

隙のないお母さんじゃ息子も大変だからね。

かといって息子に親の役割をさせてもいけないのでそっちも気を付けないとね。

いや~毎日勉強になるなー。

 

 

ところでさいたまにはパソコンがないので

ブログの投稿をする時はスマホからになりますが、私はこれが苦手です

出来るかなぁ~

出来ないかもなぁ~

でもやってみよー。

それでは、それではまたね、です。

 

 

 


これを成長と呼ぶんだね

2015年12月21日 | 🐤 日記

息子は小さい頃、応答はオウム返しが多く

問いかけに対して 関係のないような言葉ばかりを返してくることがあって心配した。

幼稚園に入ってからも

「おなかがすいたね」と言うと

「電車 ガタンガタン」

と返ってきたりするので

「京浜東北線、出発しまーす」

と会話を合わせに行くのだけれど

「・・・・・」

と息子は黙り、交流が途切れてしまう。

私は2人の間に繋がりを生み出そうとして、いつの間にかひとりでしゃべってしまう。

今思えば

あれはあれで私の言葉に応答してたのだろうに当時の私は気づかなかった。

つくづくもったいなかったなぁ。

ま、いいや。

今は楽しいんだから。

 

そんな息子がある日突然びっくりするようなことを言ったのだ。

「かーちゃんかわいい。かーちゃんのまるいスカートかわいい。

 大きくなったらぼくはかーちゃんに キラキラしたものをいっぱいあげる。」

その時頭の中で「キラキラ」という言葉が

眩しい太陽光とキラキラ光るダイヤモンドダストのような映像と結びついて

私を包みましてね。

いや、・・・・よく考えれば ・・・違うかも。

ダイヤモンドダストは後付けだったかもしれない。

あの時はただただ嬉しかっただけかもしれない。

でも息子の言葉を後から思い出すたびに私は幸せな気持ちになり、

「キラキラ」という言葉から想像する色々なものやイメージをこの時の言葉にくっつけて

今でもどんどん成長させてしまっているのかもしれない。

もしかしたら記憶をより幸せなものになるように(都合よく!)作り続けているのかもなぁ。

ビー玉見ても

空中の塵を見ても幸せな気持ちになるように。

 

 

「あの時君はこう言ったんだよ。母さんたまらなく嬉しかったよ」

と、折に付け息子に話しているのだけれど

昨日はちょっと冗談で

「あのキラキラの約束はまだ果たしてもらってないね」

と言ってみた。

息子は淡々と言葉を返してきた。

「母ちゃんは・・ギラギラしてきたと思う。」

 

う、うまい!

うまい返しだ!

息子は成長している。

 

 


色に惹かれて

2015年12月20日 | 🐤 日記

自然界の色は素敵だ。

黄色いスカートじゃなくて 

イチョウの葉みたいな黄色いスカートをはいてみたいし

 

 赤いカーディガンじゃなくて 

リンゴみたいな赤色のカーディガンを着てみたいし

 

何色だ?

・・・コートだったらこのハチミツみたいな色のコートがいい、とか

心を惹かれる色がたくさんあるんだもの。

 

野鳥にも見たことないような配色の鳥がいたり

シマウマみたいな模様の動物がいたり

空の色も 草の色も 土の色も 場所や季節によって違って

まったく自然界はすごいわ

 

 


スポンジおじさん現る

2015年12月17日 | ⓰ 電車で

昨日の総武線は朝からスゴイ熱気だった。

窓はスモークを炊いたように白く曇り、結露している。

外から車内の様子は見えないけれど、むんむんしてるのがよくわかる。

ああ、今からこれに乗るのか・・・・・。

 

人波にぐーーーーっと押し込まれて身体が止まったところでひと息ついて

つり革に捕まっている列の人たちの隙間から私が見たものは

斜め上を向く角度で微動だにせず寝ているおじさんだった。

 

頭にスポンジを当てていた。

台所で使うような食器洗い用のスポンジ。

ピンクの3層構造の厚みのあるタイプだ。

ァ・・・もしかして枕のつもりとか

 

びっしり結露している窓ガラスにスポンジを当てて頭を乗せて?いるおじさん。

なんという・・・・・バカっぽさ

更に黄色い耳栓を突っ込んでいた。

びよんと飛び出た黄色い耳栓。

うっ、ますます絵になる

この超満員電車の中で、あくまでも快適な眠りを追求している

他を寄せ付けない臭いがする。

 

窓ガラスの結露は頻繁に筋を作っておじさんの横を流れて行くけれど

おじさんの後頭部は明らかにそれに勝利している。

ぐっじょぶ。

 

おじさんよ、

あなたはどこから乗ってきて どこへ行くのか。

「このスポンジ、我ながらいいアイデア」と思っているのか。

人の目が気にならないのはどういう訳か。

家族や友人は知っているのか。

 

聞きたいことがあふれ出して止まらない。 

でももう秋葉原、残念だけれど私はここで乗り換えだ。

 

乗り過ごさなかったかな?

乗り過ごさないんだろうな。

乗り過ごしたことがないからやっていることだと思うもの。

でもできれば乗り過ごして欲しい

どこまでも行ってしまったらいいのにと思う

そういうオチの方が好きだ。