私がのど元過ぎて熱さを忘れるのは
そうする必要があるからだろうか。
緊張から解放され、疲弊しないため、
情緒が不安定にならないため、
ストレスで体に悪い影響が出ないようにするためだろうか。
自己防衛のひとつなの?
熱さは忘れても、残っているものもあるのだろうか。
共感する気持ちが強すぎて
自分も一緒に浮き沈んでしまうと
巻き込まれて誰の力にもなれないし、自分の身も削る。
でも真剣に相手の身になったつもりで考えないと
上辺だけの無責任な言動、
独りよがりのお説教(きれいごと)になってしまう気がする。
私は自分がエラそうに(←この時点で見下してるんだけど)しゃべって
どこか気持ちがよい時はヤバイんだろうなと思う。
共感しつつも崩れない、というふうになるには
自分も経験を積み、想像力を持ち、境界線を引き、相手を信じ
できる努力を続けることだろうか。
どんな努力か?
自分が楽しくいるとか
機嫌よくいるとか
あんまり人に左右されずに気持ちが安定しているとか
そういうことでいいのかな。
それから他には何がある?と考えてみたりする今日この頃。
ここで言ったのは、終わったことは全部忘れるって話じゃなくて、
昨日はあんなに深刻でこの問題何とかしなきゃ、どうやって行こう?神様仏様助けて下さいって感じだったのに、
今日ひとまずなんとかなった途端にその課題のことを棚にあげちゃうような私の性質についての表現です
今回の「のど元過ぎれば・・」は、数学のテストに例えて言うと、
サイン、コサイン、タンジェント・・のタンジェントがわからないまま中間テストを受け、
たまたま赤点を免れはしたもののタンジェントを理解していないことには変わりなく、
なのに追試を受けなくて済んだためにそのことを放置して羽を伸ばしてしまう私、みたいなことです。
期末テストで痛い思いをすることはわかっているのに・・・
終わってないのに熱さを忘れる訳なのよ。
96%くらいのひとはそうなんじゃ…
ってことだよね。
うたこが頭では「まだ終了してない。やり過ごしただけ。」と思っても、心は「はい過ぎ去ったからこれは終了。」とフラグ立ててるわけでね。
終了してない問題への対応は、「持っておく」のが多いけど、それでらちが明かないなら、具体的な行動レベルまで落として毎日やるのが一番だと思う。方法としては。
慰めようと思ってくれたり
教えてあげようと思ってくれたり
お手数をおかけして申し訳ありません。