大さん橋客船ターミナルにて(神奈川県横浜市西区)
こんにちは。
今日もありがとうございます。
相変わらずモテるためのマニュアル本が人気のようです。
モテるということそれ自体は、それだけ異性をよい気分にしているということで、
なんら責めを負うべきことではありません。
モテることで、自分も人もハッピーになれるのです。
そんな理屈を抜きにしても、誰しも出来るのであればモテたいと思うのはごく自然なことです。
人に好意を持たれるということのメリットは、大変に大きいものです。
例えば、
・意思疎通がしやすくなる
・自分は人のために生きているという実感が持てる
・自分の存在が肯定されているということで、時に心の拠り所になる
・人によっては、誰かに自慢する材料になる
・単純に気持ちがよい
…など、本当にいろいろと列挙できるものです。
しかし。
モテるための努力それ自体が、
かえって努力そのものを台無しにしてしまうことがあります。
なぜでしょう!?
☆ ☆ ☆
モテること、人に好かれるということは、
少なくとも、人に嫌われないということが条件のひとつになります。
もちろん人間の感情は複雑なもので、
「好き」と「嫌い」が同居するということは、よく振り返ってみれば、
案外、日常茶飯事にあることです。
こういうわけで、ハッキリと「NO!」を言われないということで考えてみたいと思います。
人間、よかれと思ってした行為が裏目に出てしまうことがあります。
「意思疎通の強化」が「過干渉」に、
「放っておく優しさ」が「無関心」に、
「ユーモア」が「ただの嫌味」に。
こんな経験、皆さんも一度や二度、したことがあるのではないでしょうか。
これらに共通しているのは、
相手のニーズ、そしてそのニーズの濃さや深さを見誤ってしまっているという点です。
一人の人間でも、TPO、別な言葉で言えばシチュエーションによって、
誰にどんなことをしてもらいたいかは如実に変わるものです。
しかも、当たり前ですが異性といっても一人の人間ですから、
それこそ「How to」が介在する余地はないというよりも、
ケーススタディなど無限大にあるのです。
もっと言えば、その異性に関わる側、つまり誰が「好かれるためのこと」をするか、こんな観点で考えれば、
人間にはそれぞれ得意や不得意がありますから、
無数のパターンに即したやり方まで考えるのはもう無駄なだけです。
それを、「モテるための方法」と銘してマニュアル化して、さらに実践するなんて、
実は非現実的なことなのではないでしょうか。
モテるための方法論があるという考え自体のどこかに、疑問を感じなければなりません。
そんなことなら、細かいマニュアルなどは二の次にして、
まずは目の前にいる相手が何を欲しているのかを五感の全てを働かせて、自分で考え、
そしてその欲求を適切な形で満たしてあげることが手っ取り早いし、
なにより最も大切なことではないでしょうか。
たとえ悪気がなくとも、
「モテたい」という欲に任せてマニュアル一辺倒…というのはあまりに危険な気がします。
なにより、マニュアルを使うことでマニュアルが悪い方向に働き、誰をどう傷つけようと、
マニュアルそのものはなんの責任も取ってくれません。
「モテる」前には、必ず「嫌われない」というハードルがあります。
嫌われたらその先の全てが消えてなくなります。
このハードルを無視してどんな策略を繰り広げることにも意味はありません。
つまり、「モテたい」という欲には、こちらの意向しか反映されないという特徴があ>ことに注意する必要があるのです。
相手のニーズを察する能力さえあれば、自然と行動する選択肢も絞られます。
これは結局、自分の思考力と感受性、適性の問題ですから、
どんなものもあまり頼りにならないと考えるのが賢明です。
人を相手にする場合、
相手を深く傷つける位なら、
それを回避できたほうがほうがマシに決まっています。
お互いに痛手を負うからです。
結局、モテるための近道などありません。
たとえ成果が乏しくても、
自分の欲や善意を言い訳にして手当たり次第につまみ喰いして、人を巻き込まないこと。
飾らず、気張らず、ゆっくりと。
自分の足で、自分のペースで自分を変えていけばよいのです。
それがモテるための唯一の確実な手段ではないでしょうか。