青裸々日記 Aorara Diary

真面目で一生懸命な人に寄り添うブログです(^^/
あったかい未来が、きっと待っています。

紫陽花開花

2010年06月13日 23時22分52秒 | 雑感、雑記
 こんにちは。
 今日もありがとうございます。



 私の地元でも、紫陽花がついに咲きはじめました。
 カラフルなパステルカラーが彩かで、
 組み合わせによってはギョッとする位ステキなんですよね。

 梅雨の時期ですが、
 こうした花が咲くからこそ、
 楽しみも尽きないワケで。
 紫陽花サンに感謝です(^^*)/


 ちなみに。

 今日も私が自宅に着く頃に雨が降り出しました。
 いつもお天道様には助けられています。
 ありがたいです。

「どうにかして下さい」。

2010年06月13日 08時24分15秒 | 青裸々日記。
葛西臨海公園の新緑(東京都江戸川区)

 こんにちは。
 今日もありがとうございます。



 困った時に出る、
 「どうにかして下さい」という台詞、あるじゃないですか。
 これってつい無意識に出がちな言葉だけに、
 人間の度量を示す指標、というよりも決定的な「トドメ」になってしまいがちなんです。


 「どうにかして下さい」には、実は3通りあるんです。
 ・本当に打つ手がなくて、手詰まりになってしまった場合
 ・打つ手はあるが、どの手が適切か自分では判断がつかない場合
 ・考えるのが難しいので丸投げしてしまう場合

 …これだけパターンがあるので、
 「どうにかして下さい」という言葉だけを聞いて、
 本人の意欲そのものは計れない、
 つまり全部が全部「丸投げ」とは限らないわけです。
 むしろ、問題の大きさが自分で対処できる力を越えそうな場合、
 それは褒められるべき行為になりますよね。
 また、自分自身が「どうにかして下さい」と口にする場合も同じで、
 安易に言ってしまわない限り、それは弱さでもなんでもないのだと私は思います
 自分自身の力で対処しようとしただけ、
 それを丸投げとは言えないハズです
 そこにはなんら瑕疵はありません。


 ☆ ☆

 さて。

 問題は「丸投げ」の場合です。
 ここからは「丸投げ」の事例に絞って考えてみたいと思います。
 甘えて甘えて、
 自分で考える前に「投了」してしまう人には、
 あるいは自分自身が考える癖がないという思い当たりがある人は、
 どうすればよいのでしょうか!?

 実は。
 「どうにかして下さい」と口にしている時点で、本当は見込みがあるんです。
 甘えている本人が1mmでも前を向きたいからこそ、
 まだ「どうにかしたい」と思えるわけです。
 たとえ「甘え」でも、甘えるだけまだ救いがあるというのが正しいところなんですね。
 「見ていて鬱陶しい」
 「情けない」
 こう思えてくるものですが、
 「どうにかして下さい」すら言えなくなったら、
 それはもう、本当に絶望してしまった時ではないでしょうか



 人に自分自身の全てを委ねてしまう場合、
 それは必ず、なんらかの大きなトラウマを抱えているからです。

 自分で選択した。
 でも失敗した。
 次は念入りに選んだ。
 でも、努力が及ばなかった。

 こんな繰り返しになれば、
 自分にはもうなす術がないのだと錯覚してしまいがちです。
 しかし、他人に選択や幸せの形を提示してもらっても、
 それはそれで納得出来ないのが人間です
 これは服の試着と同じで、自分にフィットする価値観は、自分の心を物差しにしないとわからないからです
 よく観察してみればわかると思うんですが、
 「どうにかして下さい」という相手は決まってより信頼できる人を選ぶものです。
 しかし、どんなに信頼できる人、わかってくれていると思う人でも、
 限界があります。


 …というわけで。
 自分で考えることを放棄するようになってしまった人には、
 「どういう自分でありたいか」
 「どんなふうになりたいか」
 これを自分で考えてもらえるようにすればよいのです。
 人間、ビジョンがあればこそがんばれることがあります
 ビジョンが持てるようにしてあげれば、
 本人が変わってくれる場合があるのです。

 そのためにも、わずかでも残っている「前を向く種」を砕いてしまわないこと、
 つまり「甘ったれ」で終わらせないことです。
 決めつけが不幸を導くことがあります。
 「決めつけ」と書きましたが、
 決めつけるのを我慢する力、
 そして、わずかにでも射している希望の光を見守る力こそ、
 冒頭でお話した「度量」なのです。
 もちろん見守る対象が他人でも自分でも同じです。


 大切なのは「可能性を信じること」なんですよね。

☆ルックス向上委員会 その24☆私の体験談 #1

2010年06月13日 00時00分00秒 | ルックス向上委員会
 こんにちは。
 今日もありがとうございます。



 この連載に少し飽きてきたと思うので、
 今週は少し趣を変えて、
 私の体験談でも。

 自分を変えるなら、外見から入るのが手っ取り早いというのが私の考えです。
 外見は成果も出やすいし、
 なにより性格や内面と違って可視的なもの、つまり目に見えるものなので、
 やる気も出やすいんです。
 そして、それに伴って内面を磨いていく、と。
 大切なのは向上心なので、
 自分を磨きたいという気持ちが一つでも芽生えれば、
 あとは勝手に走り出すものなのです。

 外見から磨くなんて…と抵抗を感じる皆さん、
 外見を磨いてからでも遅くはないのです。
 むしろ、外見に手を抜くと、やる気のない自分を表現しているという誤解が生まれてしまうことだってあったりするのです。

 私自身、引き締めに力を入れるほど人とのコミュニケーションがしやすくなってくるという実感があります。

 外見「だけ」で終わるのが悪なのであり、
 外見で終わらなければ万々歳。
 そうですよね、皆さん!?

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