波之上宮(沖縄県那覇市)
こんにちは。
今日もありがとうございます。
ついさっき、自分がしてしまった失敗が目の前にフラッシュバックしたので、
ほとぼりが冷めないうちにしっかりと自分に言い聞かせておきます。
☆ ☆ ☆
自分がよかれと思ってしたことが、相手にとってかなり迷惑になっていた。
欲しくもないものをあげてしまった。
相手が喜んでいると思い込んでいたが、結局ただの好意の押し売りになっていた。
こんな経験、皆さんはされたことがあるでしょうか。
私は過去、どうしても忘れられない失敗ということで、
心に残っていることがたくさんあります。
では、なんで悪意が含まれていないのに、善意が悪影響を及ぼしてしまうのでしょうか!?
…答えは一つ。
「相手のしてほしいことを読み違えたから」です。
仮に、おいしい食べ物があるからと、
「この人!」と思う人にプレゼントしたとしましょう。
そして、プレゼントを渡すと、
相手は「ありがとう☆」と言って喜んでいるようだったとしましょう。
そうなれば、「よかったよかった、これでもっと仲良くなれそうだ」と勝手に納得してしまいがちです。
…でも、その相手は実は体を引き締めたく、食べ物も制限していたと後で知ったら、
相手を不幸にしてしまったということで、
とても申し訳ない気持ちになると思うんです。
例えばこんな間違えを極力防ぐために出来ること、
それが「相手のしてほしいことを読む」ということなのです。
なんでもかまいません。
相手との会話、
趣味や嗜好、
持っている物、
こういったものを、相手と関わる中で探るのです。
そしてまた、相手の欲しいものが掴めないうちは、
絶対に相手にわかる形で好意を差し向けないことです。
わざわざ嫌がることをする道理はありません。
あるいはまた、逆の立場に立ったとして、
自分がしてほしいこと、してほしくないことも、
しっかり人にわかるようにしておくことです。
相手の善意を無下にしないためです。
自分が善意を差し向けたいと思うことは自分の勝手なので、
相手にしてほしいことを開示させるのは違います。
しかし、相手に傷ついてほしくないと思えればこそ、
すくなくとも自分自身は相手に自分のニーズを教えてあげる必要があると思うのです。
ちなみに。
これを恋愛に絡めて言うと、
好き嫌いはもう自分でコントロール出来ないものですから、
気が合わない人から変に好意を持たれても、
遠慮なく防衛線を張って、気づいてもらうほうがよいと言えます。
それでも突っ込んでくるならハッキリと伝え、
最後は完全に縁を切るしかありません。
一見かなり残酷なようですが、
早く気付いてもらえるほどお互い傷も少ないし、
きつい言い方をすれば、そんなニーズも読めない、読もうともしない程度の人と仮に付き合っても、
結局上手くいかないのは目に見えているからです。
好意や善意それ自体は、
なんら責めを負うべきものではありません。
しかし、好意や善意を差し向けた時、
その瞬間から、必ず責任は発生します。
相手のしてほしいことを読む力、
これを磨けないようであれば、健全な人間関係は望めません。
しかし、いくらそうとは言えど、
私達は人間で、神様ではありませんからエラーはどうしても出てしまいます。
出してしまったエラーは、もう取り返しがつきません。
エラーをしてしまった場合は、相手のためにも次善策を取らねばなりません。
私が考えている、そんなエラーをしてしまった時の次善策は次の3つです。
・相手に邪魔に思われない限り、誠心誠意、心から謝罪し償えるものは償う
・間違えを繰り返さないように反省、修正をする
・もっとしてほしかったことをしてあげる
(あるいは「もうたくさんです」ということだったら二度としない)
これはあくまでも私の場合。
皆さんだったらどうされるでしょうか!?
これはエラーをしてしまった一人ひとりが、真剣に考える必要があります。
同じ間違えを繰りかえすことほど、相手を傷つけるものはないからです。
繰り返しますが、相手に「幸せになってほしい」と思う気持ちは大切です。
しかし、そのやり方が難しい。
どんな善意の気持ちも止める必要はありませんが、
そんな気持ちがあればこそ、
相手に適切な形で渡す(あるいは渡さない)ことが、
なによりも求められるんですよね。