大さん橋を臨む(神奈川県横浜市中区)
こんにちは。
今日もありがとうございます。
思い通りに生きていくには、自分自身を上手く操る必要があります。
自分と協調できてはじめて、思い通りになっていくわけです。
そして、そのためには自分を好きでいることが必要です。
人間、好きな人とならなにかと上手くやれるものですが、
それは自分自身であっても同じなわけです。
しかし。
よく言われる「自分を好きでいる」ことと「自分に優しくする」ことは、
似ているようで、その実、全く違うことなのです。
皆さんが大切に思っている人、あるいは好きな人が、
ボロボロの服を着て、
人の気持ちも読めず、
言葉を適切に操れず、挨拶も覚束ない(おぼつかない)なら、
つまり、自尊心や向上心を失うようなことをしたら、
それを放っておけるでしょうか!?
あるいは、自分の子供が礼儀作法を知らなかったら、
平気で人前に出したりすることが出来るでしょうか!?
…違いますよね。
なんとか出来るなら、出来る範囲でしっかりしてほしいと思うハズです。
もし大切な人が自分を大切にしないままだったら、
かわいそうに思うとか、
責任を感じてしまうとか、
悲しいような気持ちになるものです。
大切な人だからこそ、
そんな自分を大切にしてもらう意味でも、しっかり身を正していてもらいたいと思うのが、
大切な人に対する正しい考え方ではないでしょうか。
そして、みじめな思いをしてほしくないからこそ、
大切な人が躓いてしまったら、キツい言い方はしないにしても、
後で幸せになれるようきちんと気づいてもらうために手を差し延べるのが、
大切な人に対する態度ではないでしょうか。
これを自分自身に置き換えてみれば、
自分に厳しくしていたほうがよい理由もわかるというものです。
自分自身を大切に思えばこそ、自分をしつけたり磨いたりして伸びていこうと思えるし、
自分自身を厳しい目で見られればこそ反省点も見つかるというものです。
「愛の鞭」という言い古された言葉がありますが、
それは他でもなく、大切にしていたい自分自身に向けるためのものではないでしょうか。
自分を好きでいるためにも、
腐らないこと、捨て鉢にならないことです。
そのためには自分に批判的な目を向けて、
みじめな思いをする頻度を減らしてあげることが不可欠ではないでしょうか。
自分をしつけ、磨くことが当たり前になればこそ、
自分自身と協調することが出来るのではないかと、
私は思うのです。
こんにちは。
今日もありがとうございます。
思い通りに生きていくには、自分自身を上手く操る必要があります。
自分と協調できてはじめて、思い通りになっていくわけです。
そして、そのためには自分を好きでいることが必要です。
人間、好きな人とならなにかと上手くやれるものですが、
それは自分自身であっても同じなわけです。
しかし。
よく言われる「自分を好きでいる」ことと「自分に優しくする」ことは、
似ているようで、その実、全く違うことなのです。
皆さんが大切に思っている人、あるいは好きな人が、
ボロボロの服を着て、
人の気持ちも読めず、
言葉を適切に操れず、挨拶も覚束ない(おぼつかない)なら、
つまり、自尊心や向上心を失うようなことをしたら、
それを放っておけるでしょうか!?
あるいは、自分の子供が礼儀作法を知らなかったら、
平気で人前に出したりすることが出来るでしょうか!?
…違いますよね。
なんとか出来るなら、出来る範囲でしっかりしてほしいと思うハズです。
もし大切な人が自分を大切にしないままだったら、
かわいそうに思うとか、
責任を感じてしまうとか、
悲しいような気持ちになるものです。
大切な人だからこそ、
そんな自分を大切にしてもらう意味でも、しっかり身を正していてもらいたいと思うのが、
大切な人に対する正しい考え方ではないでしょうか。
そして、みじめな思いをしてほしくないからこそ、
大切な人が躓いてしまったら、キツい言い方はしないにしても、
後で幸せになれるようきちんと気づいてもらうために手を差し延べるのが、
大切な人に対する態度ではないでしょうか。
これを自分自身に置き換えてみれば、
自分に厳しくしていたほうがよい理由もわかるというものです。
自分自身を大切に思えばこそ、自分をしつけたり磨いたりして伸びていこうと思えるし、
自分自身を厳しい目で見られればこそ反省点も見つかるというものです。
「愛の鞭」という言い古された言葉がありますが、
それは他でもなく、大切にしていたい自分自身に向けるためのものではないでしょうか。
自分を好きでいるためにも、
腐らないこと、捨て鉢にならないことです。
そのためには自分に批判的な目を向けて、
みじめな思いをする頻度を減らしてあげることが不可欠ではないでしょうか。
自分をしつけ、磨くことが当たり前になればこそ、
自分自身と協調することが出来るのではないかと、
私は思うのです。