青裸々日記 Aorara Diary

真面目で一生懸命な人に寄り添うブログです(^^/
あったかい未来が、きっと待っています。

レッドタイガーアイ

2011年05月03日 23時10分07秒 | 雑感、雑記
 こんにちは
 今日も皆さん、ありがとうございます。



 どうもここ半年くらい、お守りとして天然石のブレスレットを左手にしています。
 お供にしていると、「一緒にがんばってくれてるんだ」と言えばいいのかな、
 なんだか孤独感がなくなって、力がわいてくる気がするんです。


 さて、私は必ずと言ってよいほどタイガーアイを付けています。
 特にこの「レッドタイガーアイ」は、悪いものを避けて、愛情や情熱をサポートしてくれるんだとか。
 写真じゃわかりずらいですが、とても光沢が綺麗なんです。

 まあ、効果に関しては頼り切るような考えだと霊感商法まがいになるので「あったらよいな」程度に思っていますが、
 身につけることで元気になれるのは事実。
 大切に使っていきたいと思っています。

東京大神宮

2011年05月03日 16時20分42秒 | 雑感、雑記
 こんにちは
 今日も皆さん、ありがとうございます。



 5月3日。
 私はこの日を、とても大切にしています。

 2年前のこの日、たくさんの人間関係で迷走し、多くの大切な人を傷つけ、
 自分で自分の制御が利かなくなっていました。
 そこで、「人とのご縁を」との思いで、「せめてどこかにお参りすることで好転すれば」との思いで、
 這いつくばるようにして来たのがこの東京大神宮でした。


 結局は自分のことです。
 勝手に迷走し、悪気がなかろうと結果的に人をさんざん傷つけたのは、100%私の責任。
 どんなに言い訳したって、傷つけた事実は覆りません。
 だからこそ、1から自分を磨き直し、絶えず勉強を続けていく必要を痛感したのです。
 あきれる位、自分の未熟さに嫌気がさしつつも、自分のことからは逃れられません。
 自分でなんとかする以外、どうしようもありません。
 こういうわけで、「自分を立ち直らせられるのは自分、ご縁があった人を幸せにできるように」と、
 私は強い思いを持っています。


 しかし、自分一人だけでは、どうしようもないのが事実です。
 やはり挫折しそうなこともあるし、心細いことだってある。
 あるいは、とんでもない状態から勉強を重ねることが出来たと、嬉しくなることもある。
 そんな時、そっとお参りしてみると、
 自分の思いを新たにできたり、救われたり励まされたような気にもなるのです。


 ここを見て下さっている皆さんにも、雪崩のように幸せなご縁が舞い込みますように。
 人と人とが傷つけ合うことが、1つでも減りますように。

 心を籠めて、お祈りしています。
 いつもありがとうございます。

きびだんご。

2011年05月03日 15時38分44秒 | 青裸々日記。
亀戸天神社の藤(東京都江東区)

 こんにちは。
 今日も皆さん、ありがとうございます。



 皆さんは昔話の「桃太郎」を知っていますか。
 とても有名な話ですが、あの話の主人公は「きびだんご」なんです。
 だって、鬼ヶ島に命懸けで退治に行くのに、桃太郎に持たされるのは「きびだんご」だけ。
 しかも、これで犬・猿・雉が仲間になるんですよ。
 こういうわけで、「きびだんご」無しには桃太郎の話は成立しませんし、
 「きびだんご」に籠められたものはどれほどだったのかということになります。


 さて、「きびだんご」の「きび」とは、「岡山県の吉備を指す」とか、あるいは「お米の黍(きび)のことだ」という説が有力ですが、
 私はあえて「(人間の)機微」ではないかという説を考えてみたいのです。

 お団子くらいで命懸けの戦いをするなんて、お団子の受け渡しの際、心をくすぐる何かがあったハズです。
 「機微」というのは、こういう「打算や計算、あるいは学問を覆すもの」なんですね。

 よく「人の心を知りたいから心理学を勉強しています」とか、「心や精神にこだわりをもってどうのこうの…」いう人がいますが、
 私からすれば、心理学や机上の勉強で学べるのはせいぜい半分くらいではないかと思っています。
 「ああ、この人はこれこれこういう心理だから、こうすればいいんだな」というセオリーはまあ、たしかにあるでしょう。
 しかし、心理学で勉強できるのはあくまで学問としての内容で、
 「こういう精神疾患の人にはこうすればよい」とされているのは、あくまで「方向性や指針」のレベルまで。
 「どんな人にも同じように対応すれば、必ず良くなる」ということを書いているということはありません。
 つまり、いくら学問なり文学なりで人の心に迫ってみたところで、学問は学問、文学は文学でしかないのです。
 どんな学問にも言えることですが、学問は最終的に人が使うものです。
 人の個性や環境を無視して一律に同じように分析する、ましてや「こういう心理だからこうしなさい」と押し付けがましく振る舞うなど以っての外なのです。

 「精神」とか「心」とかカッコイイことが言われていますが、
 人の中に心が入っているのは紛れもない事実なのです。
 実際問題として、心にアクセスして自分の知識なり経験なりを役立て実践するには、
 まずは表面、つまり「心ではなく人を相手にしている」という視点に立たなければ、
 人を救うことは難しいのです。


 知識だけを付ければ、全てがわかるということはありません。
 「頭」だけで「心」を理解するのは、限界があるのです。
 そこに「人」がいるということ、この事実をよく考えてはじめて、
 いろいろな知識や経験が活きてくるのです。


 心には「きびだんご」が必要なのです。

銭湯

2011年05月03日 11時20分04秒 | 雑感、雑記
 こんにちは
 今日も皆さん、ありがとうございます。



 昨日は夜遅くに、銭湯に入ってきました。
 いつ行っても銭湯は癒されます。

 私の勝手な考えなんですが、450円で、
 ・最初に湯舟に浸かる時の脱力感で150円
 ・半分のぼせて洗面台で脱力する気持ち良さそうで150円
 ・その他もろもろで150円

 …だからリーズナブルなんですよね!!なーんて思ったり(笑)


 また近く、ゆっくり浸かってくる予定です。

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