青裸々日記 Aorara Diary

真面目で一生懸命な人に寄り添うブログです(^^/
あったかい未来が、きっと待っています。

傷の舐め合い。

2011年05月31日 23時02分57秒 | 青裸々日記。
ブルーデイジー(東京都台東区)

 こんにちは。
 今日も皆さん、ありがとうございます。



 愚痴や泣き言、弱音や文句。
 言ったところでなんにも解決はしませんし、
 誰の気分をよくするものでもありません。
 しかし、それは理屈の上での話、
 誰だって未熟な部分はあるし、気をつけていても、たまに人前でこういったことを吐いてしまうことはあるものです。
 だからそれをとがめようとか、傷の舐め合いは絶対にやめろだとか、
 そんな大層な話をしようというのではありません。

 ただ、優しい人なんかだと「誰でも嫌なことはあるし、たまに口に出す分にはいいんじゃない?」という気持ちをもっているものですが、
 そんな優しい人に「愚痴の多い人と少ない人、どっちと長くいたい?」と聞いたら、間違いなく後者を選ぶでしょう(笑)
 なにごとも加減が大切と言われますが、
 それは泣き言や愚痴も同じなのです。
 素直にものを言える相手がいるというのは素晴らしいこと。
 しかし、最初はいいかもしれないけど、年がら年中「嫌なこと」ばかり聞かされていたら、
 余程のカウンセラーでない限り、こちらまで参ってしまいます。
 やっぱり、あまり偏っている人の相手をするのは、疲れてしまうものなのです。



 こういうわけで。


 もしうっかり「毒」を吐いてしまった時、
 あるいは「傷の舐め合い」みたいなことをしてしまった時は、
 やっぱりフォローが必要なのです。
 どうやったらまたその場をよい空気にして、元気を出していけるか、
 これを考えておくと、つい悪いことを言ってしまっても、
 相手の気力を下げなくて済むのです。


 「傷を舐め合う」というのは、愚痴や悪口を言い合うということです。
 ところで、肌にできた傷を実際になめたままにしたら、
 どう考えても不衛生ですよね!?
 実は、この「言葉を通じて傷を舐める」というのも同じで、
 嫌なことを吐き出した瞬間はスッキリするかもわかりませんが、
 吐き出したっきりにしておくと「相手に無駄話に付き合わせちゃったかな、愚痴ばっかりで嫌われてないかな…?」などと、
 気を揉むことにもなってしまいかねません。
 逆に、「嫌なことを吐き出してもらった側」だとして、
 話をしてもらっても相手が元気になった気がしなかったら、
 やはり気に病んでしまうこともあると思うんです。


 そこで、私は「とりあえず抽象的なものでもいいから、なんらかの締めをする」ことを、お勧めしてみたいのです。

 嫌なことがたくさんあれば、立ち直るためのヒントとか解決の足掛かりだって、
 いくらかは隠れているものです。
 そこで、「よし、これで〇〇がわかった」と、
 なんの解決策が浮かばなくても、とりあえず結論らしきものを出しておくのです。

 嫌なことを言い合ったままウヤムヤにするより、
 「言い合ったなりのもの」があれば、それだけで嫌なことを引きずる度合いも減るのです。

 どんなに本音を吐いてもいい。
 ただし、どんなものも後始末が肝心なのです。
 後始末をするという前提があるなら、言いたいことは言ってよいのです。
 そこを間違えるから、「傷の舐め合い=全て悪」という発想が出てしまうのです。


 まあ、しないに越したことはないんですけどね(笑)

トップの人、ビリの人。

2011年05月31日 19時18分27秒 | 青裸々日記。
高尾山から(東京都八王子市)

 こんにちは。
 今日も皆さん、ありがとうございます。



 「トップの人とビリの人」とか「先頭の人と末尾の人」と聞くと、
 キリスト教に詳しい方なら、ピンとくる方もいらっしゃるでしょうか。

 実は、聖書の中に出てくる話で、
 「先頭の人は末尾になり、末尾の人は先頭になる」というのがあるんですが、
 宗教に関係なく、非常に深くて希望のある話だなあと思うんですね。


 たとえば、落ち込んでどん底とは思わずにはいられない時があったとします。
 「周りを差し置いて、こんなにも苦しい思いをしているのは自分しかいない」と、
 頭が真っ白(あるいは真っ黒)になって、自分を見失ってしまう。
 しかし、そんなに辛い思いをしたからこそ、
 同じ思いをした人を、誰よりも慰められたりもするのです。
 あるいは、時代おくれとされる研究をして人から見向きもされなかったとして、
 実は新しい発見や解釈があって、他に先んじることができたり。
 人一倍忍耐力がないからこそ、自分の適性が早々にわかったり。
 要は、「世の中どう転ぶかわからない」ということです。

 自分が人より遅れて走っているとか、誰かと比較すると苦しいとか、気に病む必要はないのです。
 そんなこと、見方によっては一瞬で利点に変わってしまうのです。


 負け組だとか能力だとか、人と比較して落ち込むのは、人間の得意技のひとつです。
 もちろん、人とのバランスを取って生きるためには、
 人様の足を引っ張ったり迷惑をかけないために、自分の位置を誰かと比べるのは必要なことかもしれない。
 あるいは、人に揉まれて生きている以上、「立場や常識」というものがあれば、
 言動を誤ることは少なくはなるかもしれません。


 しかし。

 いちいち落ち込んでいて、結局どうなるというのでしょうか!?
 たしかに人より遅れているということ、ましてや一番後ろにいるということは、
 劣等感や罪悪感、不安感が刺激されてしまいますから、
 精神的にこたえることはよくわかります。
 しかし、なんらかの点で恵まれていないということは、
 他の恵まれていない人が成長したり立ち直ったりする方法を、とことん勉強できる
ということでもあります。
 しかも、その勉強したものを人に教えれば、
 成長もできるうえに、人からも山のように感謝されるのです。


 もちろん、普通に幸せになれるに越したことはありません。
 幸せになれるなら、どんどんなったほうがいい。
 幸せな人は、周りにも善意を振り撒くことができるからです。

 しかし、道を外れてしまったり、人より歩みが遅いと知ってしまった時、
 そんな時も、本当は捨てたものではないのかもしれません。

 ビリの人は、一番恵まれている人になる可能性がある人でもあるのです。

『晴れたらいいね』

2011年05月31日 07時24分46秒 | 雑感、雑記
 こんにちは
 今日も皆さん、ありがとうございます。



 久しぶりに合わせ技を。

 さっきは「雨音の波紋」でしたが、
 コチラは「晴れたらいいね」です。
 DREAMS COME TRUEの名曲ですよね!

 雨が好きだの、晴れたほうがいいだのいいますが、
 「どっちも良さがあるんだからどっちも好き」でいいじゃないですか。
 なにも恋人を選んでいるわけじゃないんだから(笑)


 …とか言いつつ、写真を撮る日はなるべく晴れてほしいと言い出す私でした。
 一応、次に撮りに行く日が晴れるように願って、
 歌も載せておきます。
 

波紋

2011年05月31日 07時15分20秒 | 雑感、雑記
 こんにちは
 今日も皆さん、ありがとうございます。



 雨の降り出しに、ピンときて撮りました。
 本当はズームレンズで撮るのがいいんですが、
 ちょっとレンズ交換は無理でしたねえ…。

 ただ、かすかな雨音を味わっていただけたら嬉しいと思って、
 載せてみました。


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