日比谷公園のチューリップ(東京都千代田区)
こんにちは。
今日も皆さん、ありがとうございます。
個人的な話で申し訳ないのですが…、
私の性格が悪いことが、占いでわかっちゃったんですよ。
ある神社で「名前占い」というのがあって、それを引いてみたら、
「なんでも人のせいにする」とか「見栄だけで生きている」とか言われ放題で、
物の見事に長所が一つも書いていなかったんです(笑)
しかし私は、不愉快…にはならなかったのです。
むしろ、笑い飛ばしてしまった位でした。
☆ ☆ ☆
御神籤というか、「自分の窺い知れない見ず知らずの人の占い」ですら自分を悪く言ってくるのですから、
自分を取り巻く人の中には、必ず悪く言う人がいるものです。
もちろん、自分を悪く言う人に腹を立てるのは自由です。
しかし、たいていの場合、「悪口」を真正面から相手にする必要は、実はなかったりするのです。
少し考えてみましょう。
まず、悪く言われることが事実なのか、客観的に考える必要があります。
たとえば、誠実に話していたのに「アイツは口が悪い」と言う人がいたとします。
しかし、誠実な口調を心掛けていたのなら、それは「悪口」ではなく「嘘」になります。
それに、口調が気に喰わらないとか、折り目の正しさに嫉妬して言っているのだとしたら、
それは「悪口」ではなく「感想」になります。
あるいは、仮に乱暴に話して「口が悪い」と言われたのだとしたら、
それは「悪口」ではなく「事実」になります。
お分かりいただけたでしょうか!?
「悪口」というのは、「良いもの」に対してしか言えないものなのです。
「良いものを悪く言う」から、「悪口」という解釈が成立するのです。
さらに言ってしまえば、「悪口」と言われるものの内容を分解してみると、
実にくだらない感情から出た戯れ事(ざれごと)でしかないわけです。
戯れ事をいちいち相手にする位なら、
大切な人と心を通った会話をしていたほうが、ずっと幸せというものです。
もちろん、名前を汚すというか、難しく言うと「名誉毀損」のようなことには、
きちんと止めるように言う必要はあります。
しかし、自分を悪く言う人がいようと、
自分の持っているもの、つまり財産や能力、性格は変わらないのです。
いわゆる「悪口」と呼ぶようなものののうち、言われた側がすることは「事実」に当たるものを改良していく、
ただこれ一つのみです。
あとは名誉が傷つかない限り、勝手に言わせておけばよい。
言っている本人に迷惑をかけているわけでも、自分の名前を汚されているわけでもなければ、
悪口を言う側が無駄なエネルギーを使って、勝手に自滅していくだけです。
願わくば、「悪口の発生源」が自滅するのも忘れる位、
大切な人との時間や自分の世界を充実させておきたいもの。
「悪口」というのは、言った人からひどい目にあうことが決まっているのです。
さて、ここまでお話ししても、私の性格は見所が一つもないと言えますかな!?
こんにちは。
今日も皆さん、ありがとうございます。
個人的な話で申し訳ないのですが…、
私の性格が悪いことが、占いでわかっちゃったんですよ。
ある神社で「名前占い」というのがあって、それを引いてみたら、
「なんでも人のせいにする」とか「見栄だけで生きている」とか言われ放題で、
物の見事に長所が一つも書いていなかったんです(笑)
しかし私は、不愉快…にはならなかったのです。
むしろ、笑い飛ばしてしまった位でした。
☆ ☆ ☆
御神籤というか、「自分の窺い知れない見ず知らずの人の占い」ですら自分を悪く言ってくるのですから、
自分を取り巻く人の中には、必ず悪く言う人がいるものです。
もちろん、自分を悪く言う人に腹を立てるのは自由です。
しかし、たいていの場合、「悪口」を真正面から相手にする必要は、実はなかったりするのです。
少し考えてみましょう。
まず、悪く言われることが事実なのか、客観的に考える必要があります。
たとえば、誠実に話していたのに「アイツは口が悪い」と言う人がいたとします。
しかし、誠実な口調を心掛けていたのなら、それは「悪口」ではなく「嘘」になります。
それに、口調が気に喰わらないとか、折り目の正しさに嫉妬して言っているのだとしたら、
それは「悪口」ではなく「感想」になります。
あるいは、仮に乱暴に話して「口が悪い」と言われたのだとしたら、
それは「悪口」ではなく「事実」になります。
お分かりいただけたでしょうか!?
「悪口」というのは、「良いもの」に対してしか言えないものなのです。
「良いものを悪く言う」から、「悪口」という解釈が成立するのです。
さらに言ってしまえば、「悪口」と言われるものの内容を分解してみると、
実にくだらない感情から出た戯れ事(ざれごと)でしかないわけです。
戯れ事をいちいち相手にする位なら、
大切な人と心を通った会話をしていたほうが、ずっと幸せというものです。
もちろん、名前を汚すというか、難しく言うと「名誉毀損」のようなことには、
きちんと止めるように言う必要はあります。
しかし、自分を悪く言う人がいようと、
自分の持っているもの、つまり財産や能力、性格は変わらないのです。
いわゆる「悪口」と呼ぶようなものののうち、言われた側がすることは「事実」に当たるものを改良していく、
ただこれ一つのみです。
あとは名誉が傷つかない限り、勝手に言わせておけばよい。
言っている本人に迷惑をかけているわけでも、自分の名前を汚されているわけでもなければ、
悪口を言う側が無駄なエネルギーを使って、勝手に自滅していくだけです。
願わくば、「悪口の発生源」が自滅するのも忘れる位、
大切な人との時間や自分の世界を充実させておきたいもの。
「悪口」というのは、言った人からひどい目にあうことが決まっているのです。
さて、ここまでお話ししても、私の性格は見所が一つもないと言えますかな!?