亀戸天神社の藤(東京都江東区)
こんにちは。
今日も皆さん、ありがとうございます。
「あなたは自分に自信がありますか!?」という質問をする人がいます。
特に、物事が上手く運んでいない時に、
「もっと自信を持ってほしい」という意味で、つまり親切心からこう聞く場合が多い。
しかし、私に言わせれば「自信を持てる理由」と「自信を持てない理由」という2つを戦わせると、
必ず「自信を持てない理由」が勝つんです。
人間、完璧に物事をこなすことはありません。
いくら「私は〇〇な人間です」と本人が言っても、
「じゃあ、あの時はどうだったわけ?」と、どこかでツッコミを入れようと思えばいくらでもツッコめるわけです。
「自分に自信を持てない」という人は、このツッコミを自分に入れているだけのこと。
ゆえに、困っているような人に「自信を持ちましょう」と勧めるより、
こういった心理をを根気強く教えたほうが、ずっと自分を客観視できて、
本人のためになるのです。
言うなれば、「自信」という言葉自体が自信を失わせる言葉にもなってしまうというわけです。
さて。
私がしたいのは、そんなジメジメとした話ではないのです。
「自信」というものなんかにこだわっていても、なんにも生み出さないことがわかった。
ということは、他のことに着眼点を置きませんか?ということを、お話ししてみたいんですね。
暑くなると、流し素麺をやることが多くなるじゃないですか。
で、いざ素麺を流すと、「おいしそう!」とばかりに、無心に手を伸ばしますよね。
いちいち「自分はこの素麺を掴める自信があるだろうか?」なんて考えたりはしません。
もっと言えば、自信がなくたって「おいしそう!」と思っているんですから、
失敗しても、何度も箸を伸ばすわけです。
つまり、やりたいこと、幸せにしたい人があるという場合、
必要とされるのは自信よりも意欲なのです。
自信がなくたって、今すぐは及ばなくたって、
意欲や好奇心があれば、自分を高めて理想を実現できるようになるわけです。
気持ちさえあれば、自信がなくても自然と手が出て、やってしまうのです。
もちろん、明らかに事故が起きるとか、人に迷惑がかかるようなことは、
ある程度は自分を磨く期間が必要なことは事実でしょう。
わかりやすく例えて言うと、
飛行機の操縦には高度の腕や試験、資質が必要ですから、
免許のない人がいくら「自信を持っている」と言おうが、
現実には訓練なしで飛ばすことはできません。
しかし、「飛ばしたい」という気持ち一つさえあれば、
自信があろうがなかろうが、
のめり込むように勉強もするし、訓練もすすんでやるものです。
そして、気持ちを貫けば貫き通すほど、実際に飛行機を飛ばせる確率も上がるのです。
「自信」というのは、いわば引っかけ問題のようなもの。
誰だって、自信はないんです。
しかし、自信のなさは意欲でカバーできます。
カバーできるものがあるのに、「自信」という部分ばかり見ているから、話がややこしくなるのです。
それでもまだ、「自信」というものにこだわりますか!?
こんにちは。
今日も皆さん、ありがとうございます。
「あなたは自分に自信がありますか!?」という質問をする人がいます。
特に、物事が上手く運んでいない時に、
「もっと自信を持ってほしい」という意味で、つまり親切心からこう聞く場合が多い。
しかし、私に言わせれば「自信を持てる理由」と「自信を持てない理由」という2つを戦わせると、
必ず「自信を持てない理由」が勝つんです。
人間、完璧に物事をこなすことはありません。
いくら「私は〇〇な人間です」と本人が言っても、
「じゃあ、あの時はどうだったわけ?」と、どこかでツッコミを入れようと思えばいくらでもツッコめるわけです。
「自分に自信を持てない」という人は、このツッコミを自分に入れているだけのこと。
ゆえに、困っているような人に「自信を持ちましょう」と勧めるより、
こういった心理をを根気強く教えたほうが、ずっと自分を客観視できて、
本人のためになるのです。
言うなれば、「自信」という言葉自体が自信を失わせる言葉にもなってしまうというわけです。
さて。
私がしたいのは、そんなジメジメとした話ではないのです。
「自信」というものなんかにこだわっていても、なんにも生み出さないことがわかった。
ということは、他のことに着眼点を置きませんか?ということを、お話ししてみたいんですね。
暑くなると、流し素麺をやることが多くなるじゃないですか。
で、いざ素麺を流すと、「おいしそう!」とばかりに、無心に手を伸ばしますよね。
いちいち「自分はこの素麺を掴める自信があるだろうか?」なんて考えたりはしません。
もっと言えば、自信がなくたって「おいしそう!」と思っているんですから、
失敗しても、何度も箸を伸ばすわけです。
つまり、やりたいこと、幸せにしたい人があるという場合、
必要とされるのは自信よりも意欲なのです。
自信がなくたって、今すぐは及ばなくたって、
意欲や好奇心があれば、自分を高めて理想を実現できるようになるわけです。
気持ちさえあれば、自信がなくても自然と手が出て、やってしまうのです。
もちろん、明らかに事故が起きるとか、人に迷惑がかかるようなことは、
ある程度は自分を磨く期間が必要なことは事実でしょう。
わかりやすく例えて言うと、
飛行機の操縦には高度の腕や試験、資質が必要ですから、
免許のない人がいくら「自信を持っている」と言おうが、
現実には訓練なしで飛ばすことはできません。
しかし、「飛ばしたい」という気持ち一つさえあれば、
自信があろうがなかろうが、
のめり込むように勉強もするし、訓練もすすんでやるものです。
そして、気持ちを貫けば貫き通すほど、実際に飛行機を飛ばせる確率も上がるのです。
「自信」というのは、いわば引っかけ問題のようなもの。
誰だって、自信はないんです。
しかし、自信のなさは意欲でカバーできます。
カバーできるものがあるのに、「自信」という部分ばかり見ているから、話がややこしくなるのです。
それでもまだ、「自信」というものにこだわりますか!?