入院中の場合、患者さんの病状説明は医師の仕事です。
看護師に「今どんな具合ですか?あとどのくらいですか?」と聞いても「主治医に聞いてください。」と言われます。
ですから、状態を知るためには、医師のスケジュールに合わせてアポイントを取り、それよりもさらに何十分も待たされて個室に通され、緊張の中病状説明を受けるという手順が一般的になります。
でも、在宅はどうなんでしょう?
普段看ているのは家族で、その次に関わるのはヘルパーであったり看護師であったりします。
だからと言って、ヘルパーは病状に関しては専門外ですから、その疑問を一番聞きやすいのは、やはり訪問看護師と言う事になります。
医師は、定時往診のほかに臨時の往診はありますが、毎日の状況を把握しているわけではありません。
うちのステーションでは、もうずいぶん以前から病状の説明と、どこで最後を過ごすかの最終確認について、文書を交換しています。
そのうえで、最後を在宅で過ごされるという方には「お別れ」の説明を、やはり文書でお渡ししています。
だんだん食事が食べられなくなること、眠る時間が時間が長くなることから始まり、浅くて速い呼吸から、呼吸と呼吸の間が少しずつ長くなり、顎が上がるような短い呼吸になること、やがて間隔があいて呼吸が止まることなど、ほとんどの方が通る経過を順に書いたものです。
そして、最後ご家族が時間を確認し、連絡を入れてもらうまでの手順が、わかりやすいように書いてあります。
時期をみて、いよいよお近くなった時に、落ち着いて話せるように時間を頂き、お話しをします。
多くの患者さんのお看取りをしてきて、一番の不安は何かを聞いたとき、ほとんどの患者さんのご家族が訴えることは「先の見えない不安」でした。
「これからさき、看取るといってもどうなっていくのかが分からない。」
「もし苦しんだらどうしよう。」
「どんなふうに看取るのかわからない。」
こういう言葉をかならず聴いてきました。
このために、時期に合った病状説明をし、この先の起こるであろうこと、その時どのように対応するのかを予測しながらお伝えすることで、ご家族は安心して過ごすことが出来たと言ってくださいました。
これからの治療方針や、詳しい病態は医師でなければ説明はできないと思いますが、生活の中で予測される状態の変化は、日常の中で受け止められるようにしなければならないと思います。
今まで、いつも連携している先生方は、このことをよく理解してくださっていて、医師とは別に行われる状態説明やお別れの予測、説明に関して何も問題はありませんでした。
でも先日、ある先生から「患者さんのところへ行ったら「お別れ」とか書いてある紙があったけれど、誰がそれを判断したの?僕は医者なんだけれど、僕はまだそう判断してないんだけれど。」と。
うーん。ちょっとびっくりでした。
確かに、今の状態は誤飲性肺炎によるもので、抗生剤で治る可能性が全くゼロではないのだと思います。が、廃用症候群による衰弱やけいれん発作や、栄養状態の悪化や点滴の拒否などを考えれば、予備力もなく血圧もSPO2も低下している今、状況は切迫していると思われます。
なにより、ご家族の心理的な動揺や混乱を考えた時に、しっかりと現状を見据えていただく必要があると判断しました。
主治医にはその理由をお話しし、わかっては頂きましたが、やはり「僕を通して全部やってほしい。」という事なのかな・・と思うとなんだか複雑な気持ちです。
この方の場合も、最終確認をしてお別れの説明をしたことで、ご家族は落ち着きを取り戻し、今後のことを姉妹にも相談し、もしもの時を受け止めることが出来ました。
表情にゆとりが出来て、穏やかに見まることが出来るようになったと言います。
この本の中第4章 「継続的な情報提供とサポートが出来ているか」
のなかで、家族のニーズについてこのような記述があります。
<ライトとダイクはがん患者と家族のニーズについて調査した。中略、家族には患者の状態について情報を知り続けることと本人が安楽であると保障されていることが第一であった。
中略
家族は医師からの明快な答えを引き出せないし、医師と会えないし、電話での問い合わせも、看護婦から毎日進行状況を聴くのも困難になった。ライクとダイクは、患者や家族のこのような情緒不安、苦痛を緩和できる立場に最も適しているのは看護婦であると述べた。
「家族は看護婦に毎日の治療や薬や副作用などの説明を聞きたがっている。これらの情報は家族にとって近い将来への現実的なコーピングに役立つ。待つことの辛さを看過してはいけない」
中略
家族の多くは問題が起きればその都度それに向き合い、新たな不安が出てくればその日その日でうまく対処していくことを望んでいた。家族は直面する辛さにその場で対処したいのだ。>
この著者はアメリカ人ですし、ホスピスでの研究ではありますが、家族の思いがかけ離れているとは思えません。
特に在宅では、日常を家族だけで見ている分、訪問看護師に望むことは大きいような気がします。
医師はもちろんのこと、日常のなかで心穏やかに起こり得ることを知っておく必要があると考えています。
とはいえ、関わる人もそれぞれ考え方がありますし、今後関わっていく医師や他のサービス関係者などとも、さらに分かり合っていかなければならないと思います。
そして、自分たちがやっていることを、もう一度再確認していく必要も感じています。
看護師に「今どんな具合ですか?あとどのくらいですか?」と聞いても「主治医に聞いてください。」と言われます。
ですから、状態を知るためには、医師のスケジュールに合わせてアポイントを取り、それよりもさらに何十分も待たされて個室に通され、緊張の中病状説明を受けるという手順が一般的になります。
でも、在宅はどうなんでしょう?
普段看ているのは家族で、その次に関わるのはヘルパーであったり看護師であったりします。
だからと言って、ヘルパーは病状に関しては専門外ですから、その疑問を一番聞きやすいのは、やはり訪問看護師と言う事になります。
医師は、定時往診のほかに臨時の往診はありますが、毎日の状況を把握しているわけではありません。
うちのステーションでは、もうずいぶん以前から病状の説明と、どこで最後を過ごすかの最終確認について、文書を交換しています。
そのうえで、最後を在宅で過ごされるという方には「お別れ」の説明を、やはり文書でお渡ししています。
だんだん食事が食べられなくなること、眠る時間が時間が長くなることから始まり、浅くて速い呼吸から、呼吸と呼吸の間が少しずつ長くなり、顎が上がるような短い呼吸になること、やがて間隔があいて呼吸が止まることなど、ほとんどの方が通る経過を順に書いたものです。
そして、最後ご家族が時間を確認し、連絡を入れてもらうまでの手順が、わかりやすいように書いてあります。
時期をみて、いよいよお近くなった時に、落ち着いて話せるように時間を頂き、お話しをします。
多くの患者さんのお看取りをしてきて、一番の不安は何かを聞いたとき、ほとんどの患者さんのご家族が訴えることは「先の見えない不安」でした。
「これからさき、看取るといってもどうなっていくのかが分からない。」
「もし苦しんだらどうしよう。」
「どんなふうに看取るのかわからない。」
こういう言葉をかならず聴いてきました。
このために、時期に合った病状説明をし、この先の起こるであろうこと、その時どのように対応するのかを予測しながらお伝えすることで、ご家族は安心して過ごすことが出来たと言ってくださいました。
これからの治療方針や、詳しい病態は医師でなければ説明はできないと思いますが、生活の中で予測される状態の変化は、日常の中で受け止められるようにしなければならないと思います。
今まで、いつも連携している先生方は、このことをよく理解してくださっていて、医師とは別に行われる状態説明やお別れの予測、説明に関して何も問題はありませんでした。
でも先日、ある先生から「患者さんのところへ行ったら「お別れ」とか書いてある紙があったけれど、誰がそれを判断したの?僕は医者なんだけれど、僕はまだそう判断してないんだけれど。」と。
うーん。ちょっとびっくりでした。
確かに、今の状態は誤飲性肺炎によるもので、抗生剤で治る可能性が全くゼロではないのだと思います。が、廃用症候群による衰弱やけいれん発作や、栄養状態の悪化や点滴の拒否などを考えれば、予備力もなく血圧もSPO2も低下している今、状況は切迫していると思われます。
なにより、ご家族の心理的な動揺や混乱を考えた時に、しっかりと現状を見据えていただく必要があると判断しました。
主治医にはその理由をお話しし、わかっては頂きましたが、やはり「僕を通して全部やってほしい。」という事なのかな・・と思うとなんだか複雑な気持ちです。
この方の場合も、最終確認をしてお別れの説明をしたことで、ご家族は落ち着きを取り戻し、今後のことを姉妹にも相談し、もしもの時を受け止めることが出来ました。
表情にゆとりが出来て、穏やかに見まることが出来るようになったと言います。
ターミナルケアにおけるコミュニケーション―死にゆく人々・その家族とのかかわり | |
Jean Lugton,浅賀 薫,宮本 祐一,柿川 房子 | |
星和書店 |
この本の中第4章 「継続的な情報提供とサポートが出来ているか」
のなかで、家族のニーズについてこのような記述があります。
<ライトとダイクはがん患者と家族のニーズについて調査した。中略、家族には患者の状態について情報を知り続けることと本人が安楽であると保障されていることが第一であった。
中略
家族は医師からの明快な答えを引き出せないし、医師と会えないし、電話での問い合わせも、看護婦から毎日進行状況を聴くのも困難になった。ライクとダイクは、患者や家族のこのような情緒不安、苦痛を緩和できる立場に最も適しているのは看護婦であると述べた。
「家族は看護婦に毎日の治療や薬や副作用などの説明を聞きたがっている。これらの情報は家族にとって近い将来への現実的なコーピングに役立つ。待つことの辛さを看過してはいけない」
中略
家族の多くは問題が起きればその都度それに向き合い、新たな不安が出てくればその日その日でうまく対処していくことを望んでいた。家族は直面する辛さにその場で対処したいのだ。>
この著者はアメリカ人ですし、ホスピスでの研究ではありますが、家族の思いがかけ離れているとは思えません。
特に在宅では、日常を家族だけで見ている分、訪問看護師に望むことは大きいような気がします。
医師はもちろんのこと、日常のなかで心穏やかに起こり得ることを知っておく必要があると考えています。
とはいえ、関わる人もそれぞれ考え方がありますし、今後関わっていく医師や他のサービス関係者などとも、さらに分かり合っていかなければならないと思います。
そして、自分たちがやっていることを、もう一度再確認していく必要も感じています。
>誰がそれを判断したの?僕は医者なんだけれど、僕はまだそう判断してないんだけれど。」と。
くらだん(ーー#
そんなの誰が判断したっていい!
直すための努力と看取る準備は全く別モノで、
100%治る保障なんて何処にも無いけど、
いつかお別れが来ることは100%・・・
お別れの準備の話をしてるからと言って治療を投げ出しているわけでは無い。
もし回復したら「あの時は危なかったね」って流せば良いだけの話で、
もし悪くなったときの保険と思えばその価値は相当な物だと思います。
・・・なんて書きながら思い当たる節が・・・
反省反省m(_ _)m
おそらく自分の耳を通らずにその手の話が家族に先に行くと、
「あの先生の治療ではちょっと無理」って判断されてしまったのではないかと、
不安になるんでしょうね。
困った物です。
以前重症患者さんや抗癌剤治療の患者さんの家族全員と交換日記をしていた時期がありました。
おそらく初めてのことで不安が沢山あり、
週一回の面談や立ち話程度の話は毎日していても
結構覚えていないことが多くありました。
アワアワしちゃうのでしょうねぇ。
なので病室にノートを一冊おき、
勝手に書いたり検査値を貼ったりしていました。
すっかり忙しくなり止めてしまいましたが、
再開しなきゃですね。
よしっっっ!
今までもこうだったから、これでいいはずと思っていても、全部自分がわかっていないと納得できないドクターもいますから・・。(話せばわかってくれますし、とってもいい先生なんです。)
なので、今回はいい勉強になりました。
ただ、この手の話は、タイミングがすごく重要だと感じています。
週に来られる曜日が決まっている先生を待つのは、タイミングを逸する可能性もあり、今後はこういう在宅独自のスタイルも理解してもらえるようにしたいですね。
「それは、医師の仕事ですから」
と、看護師時代にも、避けていたような事実があるように思います。
もちろん、診断や治療経過に伴う説明は
一次的には医師によるものだとは思いますが、
病状の変化やそれに伴う不安等について、
看護師として、
そして、今はケアマネジャーとして、
説明したり、時には、
「○○のことを知りたいんですね」
「△△のことが不安なんですね」
と、病気、病状の何を知りたいのか、といった面で、
医師に繋いでいく、という役割も担う必要性があるのではないか、
と思います。
看護師として、
ケアマネジャーとしての
病状の説明というのは、あってしかるべきだとも思います。
はじめまして、初コメントさせていただきます。
私は現在クリニックでパートをしてるいます。
前から訪問看護に興味はありましたが、一歩踏み出せません。
そろそろフルで働く事を考え、思い切ってやってみようか悩んでます。
不安理由として、
臨床経験が5年ブランクある
方向音痴
大の虫嫌い→虫が多発する家の話を聞いた事があります
…努力でどうにかなる物なのかと(汗)
特に虫は本能的に駄目なので、それで業務に集中できないなんてシャレにならないですよね
私みたいなタイプは、訪問看護は難しいでしょうか?
同じ病状に関する説明でも、役割によってそこから提供できるものは違ってくると思いますし、患者さんにとっても聞きたい内容が違ってくると思います。
誰がと言うよりも、必要な時に必要な説明が出来る環境を作っていくことも、私たちの仕事なのだと思います。
生きている限り、どこにいても虫はいますし、よっぽど取り乱さない限り、キャ!っと言っても笑い話です。
ブランクは、全く気にしなくていいです。
看護師としてのカンはすぐに取り戻せます。
最初から一人で放りだされることもありませんし、一人一人の訪問看護を通して経験を積んでいけばいいことなので。
一番は、興味を持って楽しんで訪問が出来ることです。
とりあえず、パートからやってみるのも手かもしれませんね。
ただ、退院前に連携室から連絡があった時は、その辺の説明がなされているか、今のところどう考えているかの情報は頂いています。
情報がないとしても、かかわりのなかで、ご家族やご本人がどういう受け止めをしているかは、だいたいわかってきます。
ですから、どうしても受容できずにいるご家族に話をするときは、医師からの説明状況なども確認しつつタイミングをみはからいます。
ほとんどの場合、病状変化があって負の方向へ傾いていく過程で、この先の予測をお話ししつつ、いくつかの方法があることをお伝えします。
場合によっては、いよいよ状態が悪化して、受け入れざる得ない状況まで待つこともあります。
看取りをするかどうかは、ぎりぎりまで判断できないこともよくあることですから、まず関係を築いてから、心の動きを見つつお話をすれば、まずわかって頂けると思います。
<もうすぐ亡くなるみたいじゃないの・・。>
と思われると言う事は、現実の受け止めができていないということでもありますので、まず病状や今後の予測をわかっていただくことが、先決のようにおもえます。
また、看取りという言葉に拒否感を抱く場合もあるのかもしれませんね。
「これから、こういうことが起こってくるかもしれません。その時にはどのような治療を望まれますか?」という言葉に変えてもいいかもしれませんね。
「死」への受け止めは、本当に千差万別なので、確かに難しい問題ですね。
そうですね、あまりにもストレートすぎる言い方にも問題があるのかもしれません。
ぎりぎりまで判断できない時もありますよね…。「私たちが知っておきたい」という気持ちが先走ってしまっているのかもしれません。あせらず、関係を築く中で聞いていけるようがんばります。