今日は、第4火曜日なのでめぐみ在宅クリニックの「デスケースカンファレンス」でした。
数日前からこの日は、うちがかかわった患者さんのケースである事が分かっていたので、ケアマネもヘルパー責任者も、看護師も連れての参加となりました。
扉をあけると、忘れられないあの、ご主人様がすでに来られていました。
めぐみ在宅クリニックのデスケースカンファは、出来る限りご家族も参加され、一緒に振り返りながら、「良かったこと」「悪かったこと」「何が支えでああったか」「どのように援助できたか。出来なかったか。」などを話します。
黙とうの後、簡単な経過紹介があり、そのあと振り返りを行います。
本人の「病気を克服したい」という希望は、病魔によって何度も断たれましたが、「家に帰りたい」という望みは、ぎりぎりで達成されました。
夫は、何度も涙で声を詰まらせながら、妻の言葉や、その時々の思い出を話して下さいました。
「不安で不安で、真夜中に看護師さんを呼んでしまったけれど、あの時すぐに駆けつけて、傍にいてくれたことが、本当に心強くうれしかった」
「妻の痰が、もう吸引器でも薬でも、どうにもならないことは分かっていましたから、本当に自分と息子たち以外に、看護師さんがそばにいてくれたことはうれしかった」と言ってくださしました。
ヘルパーさんにも「介護なんて、どうしたらいいかもわからくて、そんなときに早く来てくれて、本当に助かりました」
「なにより、在宅に戻って、先生にも看護師さんたちにも、ここまでしてもらえるとは思ってもみませんでした。」
そんな言葉をいただいて、本当にうれしくて、ありがたくて、3日間という短い間でしたが、この患者さんとご家族に出会えたことを感謝しました。
本当は、退院の夜から急激に痰があふれ出して、翌日には呼吸状態がさらに悪化してしまい、せっかく連れて帰ってきたお母さんとの時間を作ってあげられなかったことに、どこかやりきれない思いをもっていました。
本当は、苦しいはずなのに、酸素飽和度がどんどん下がり、ゼロゼロと胸を震わせるほどの呼吸困難の中、何故かふっと笑う彼女の顔が、本当に穏やかで、静かで・・・
何でなんだろう、何で私は彼女の痰を取ってあげられないのだろうと、
何であと一日でもいいから、この夫と息子さんたちとの静かな時間を、持たせてあげられないのだろうかと、くやしくて悲しくて・・
最初は、痰の喀出のためにはじめたスクイージングでしたが、手を離すと呼吸そのものをやめてしまう彼女の胸を、ずっと押しながら涙がボタボタと落ちていました。
私達は、在宅の専門家です。
もし、もう少しご家族との時間が持てていたとしたら、きっとこんなにも補助呼吸を続けることはしなかったはずです。
でも、手を話すことができなかった。
だって、あまりにも短すぎる。
数日前から、やっと意識が戻ってきていると聞いていましたし、息子さんとご主人が、どれほど強い思いで連れて帰ってきたかを知っていましたから・・
結局その夜、区の会議に出席しなければばらなかった私と小澤先生は、スタッフに補助呼吸をゆだね、その場を去りました。
それから、夫が妻との約束の、大切な仕事を仕上げる2時間程の間を、看護師二人と息子さん達で乗り切りました。
彼女はしっかりとその間、生きて夫を待ち、翌日の夕方旅立たれました。
今日のデスケースで、彼女が本当に時々フッと笑ったり、至福の表情を見せたりしていたのが不思議でならなかったことを話しました。
以前ブログにも書きましたが、納棺夫日記にも書かれていたように、彼女は至福の光に包まれていたのではないかと、思ってしまいました。
(私の母もそうでした。亡くなる半日前に、本当に子供のような無邪気で夢見るような笑顔で笑ったんです。)
医療者としての発言ではないことをお詫びしましたが、ご主人が「そうなんです。」と言いました。
以前やはり危篤に陥った時、彼女は、「それはきれいな光を見た」と、御主人に話したそうです。
「その光が、胸の所に降りてきて、身体がほわっと暖かくなって、そうしたら意識が戻ったの。」
そう話したことがあったそうです。
「不思議な話ですね」御主人はそう呟きましたが、とても落ち着いた表情でした。
本当に、たくさんの人に出会っています。
その人たちは、みなそれぞれ苦しみや、悲しみを背負っています。
どうしたら、少しでも力になれるのか。
本当は、私たち自身が、すごく弱くて頼りないのに・・・
それでも、この仕事が好きです。
みなさんに出会えてよかったと、本当に思えることができるカンファレンスでした。
数日前からこの日は、うちがかかわった患者さんのケースである事が分かっていたので、ケアマネもヘルパー責任者も、看護師も連れての参加となりました。
扉をあけると、忘れられないあの、ご主人様がすでに来られていました。
めぐみ在宅クリニックのデスケースカンファは、出来る限りご家族も参加され、一緒に振り返りながら、「良かったこと」「悪かったこと」「何が支えでああったか」「どのように援助できたか。出来なかったか。」などを話します。
黙とうの後、簡単な経過紹介があり、そのあと振り返りを行います。
本人の「病気を克服したい」という希望は、病魔によって何度も断たれましたが、「家に帰りたい」という望みは、ぎりぎりで達成されました。
夫は、何度も涙で声を詰まらせながら、妻の言葉や、その時々の思い出を話して下さいました。
「不安で不安で、真夜中に看護師さんを呼んでしまったけれど、あの時すぐに駆けつけて、傍にいてくれたことが、本当に心強くうれしかった」
「妻の痰が、もう吸引器でも薬でも、どうにもならないことは分かっていましたから、本当に自分と息子たち以外に、看護師さんがそばにいてくれたことはうれしかった」と言ってくださしました。
ヘルパーさんにも「介護なんて、どうしたらいいかもわからくて、そんなときに早く来てくれて、本当に助かりました」
「なにより、在宅に戻って、先生にも看護師さんたちにも、ここまでしてもらえるとは思ってもみませんでした。」
そんな言葉をいただいて、本当にうれしくて、ありがたくて、3日間という短い間でしたが、この患者さんとご家族に出会えたことを感謝しました。
本当は、退院の夜から急激に痰があふれ出して、翌日には呼吸状態がさらに悪化してしまい、せっかく連れて帰ってきたお母さんとの時間を作ってあげられなかったことに、どこかやりきれない思いをもっていました。
本当は、苦しいはずなのに、酸素飽和度がどんどん下がり、ゼロゼロと胸を震わせるほどの呼吸困難の中、何故かふっと笑う彼女の顔が、本当に穏やかで、静かで・・・
何でなんだろう、何で私は彼女の痰を取ってあげられないのだろうと、
何であと一日でもいいから、この夫と息子さんたちとの静かな時間を、持たせてあげられないのだろうかと、くやしくて悲しくて・・
最初は、痰の喀出のためにはじめたスクイージングでしたが、手を離すと呼吸そのものをやめてしまう彼女の胸を、ずっと押しながら涙がボタボタと落ちていました。
私達は、在宅の専門家です。
もし、もう少しご家族との時間が持てていたとしたら、きっとこんなにも補助呼吸を続けることはしなかったはずです。
でも、手を話すことができなかった。
だって、あまりにも短すぎる。
数日前から、やっと意識が戻ってきていると聞いていましたし、息子さんとご主人が、どれほど強い思いで連れて帰ってきたかを知っていましたから・・
結局その夜、区の会議に出席しなければばらなかった私と小澤先生は、スタッフに補助呼吸をゆだね、その場を去りました。
それから、夫が妻との約束の、大切な仕事を仕上げる2時間程の間を、看護師二人と息子さん達で乗り切りました。
彼女はしっかりとその間、生きて夫を待ち、翌日の夕方旅立たれました。
今日のデスケースで、彼女が本当に時々フッと笑ったり、至福の表情を見せたりしていたのが不思議でならなかったことを話しました。
以前ブログにも書きましたが、納棺夫日記にも書かれていたように、彼女は至福の光に包まれていたのではないかと、思ってしまいました。
(私の母もそうでした。亡くなる半日前に、本当に子供のような無邪気で夢見るような笑顔で笑ったんです。)
医療者としての発言ではないことをお詫びしましたが、ご主人が「そうなんです。」と言いました。
以前やはり危篤に陥った時、彼女は、「それはきれいな光を見た」と、御主人に話したそうです。
「その光が、胸の所に降りてきて、身体がほわっと暖かくなって、そうしたら意識が戻ったの。」
そう話したことがあったそうです。
「不思議な話ですね」御主人はそう呟きましたが、とても落ち着いた表情でした。
本当に、たくさんの人に出会っています。
その人たちは、みなそれぞれ苦しみや、悲しみを背負っています。
どうしたら、少しでも力になれるのか。
本当は、私たち自身が、すごく弱くて頼りないのに・・・
それでも、この仕事が好きです。
みなさんに出会えてよかったと、本当に思えることができるカンファレンスでした。
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