酒。
日本では年末年始から4月ごろまでは、どうしても酒を飲む機会が増える。
年末年始は、忘年会、新年会で、3月は定年などによる退職の飲み会や移動に伴うお別れ会など、4月は新人などの歓迎会で酒は飲まれる。
今僕は病気で薬を飲んだりしている所為があって酒は避けている。
それも踏まえて、昔から不思議だったのだけれど、酒という強力な薬物がこれほど身近にあり、しかも容易に手に入るのはなぜだろう?
僕が子どもの頃、だから20年ぐらい前になるけれど、そのころはビールとかの自動販売機も結構街中にあった。僕もお使いでビールを買いに自販機まで走ったのは一度や二度じゃない。小学生の頃だ。
今はここまでとはいかないけれど、それでもタバコよりは敷居が低いんじゃないだろうか?タバコもやらないから分からないけれど。
さっきも書いたけれど、僕は薬のために酒は飲んでない。僕の飲んでいる薬は、精神に直接作用するタイプの薬だ。でも、劇的に効く事はない。あくまでも手助けする程度の効果だといったところだ。
酒は違う。あんなに劇的に心身に影響を及ぼす薬を他に知らない。
酒は薬物、むしろ毒物に近いはずなのだ。でも、禁止されたりすることはない。
酒気帯び運転が厳罰化されたりと交通事故の場面では厳罰化が進んでいるものの、酒自体を禁止しようとすることはない。ちょっと前は、禁酒法という法律がアメリカではあったようだけれど、すぐに止めてしまっている。
酒が酒たる所以となるのはアルコールの、特にエタノールという物質の効能による。
エタノール自体は危険物であるけれども、大量に保管していない限りそれほど危険な物質ではない。
でも、酒として体内に入ると、精神・身体依存、肝硬変、ガン、脳の萎縮などを引き起こす。
そこまでいかなくても、意識の酩酊、二日酔いなどで失敗した経験を持つ人はごまんといるだろう。
ちょっと考えただけでもここまで危険なものがどうして規制されないのか?
酒好きの政治家がいるからか?
でも、酒の失敗で失脚し、命まで落とすことになった自民党 故中川氏のような政治家だっている。
酒が良くて大麻が駄目なのはなぜだ?アヘンは?コカインは?
一方で、酒に代わる物質がないというのも事実だ。
例えば料理などで、臭み消しに酒は欠かせない。
消毒効果も高い。水とエタノールを3:7で混ぜた溶液がもっとも殺菌効果が高いらしい。つまり、高濃度の酒ならば消毒効果が期待できる。
上記のような効果は大麻やアヘン、コカインなどにはない。
このような特異な性質の一端として飲酒という行為があるのだ、と解釈すれば、なるほど酒を禁止するのはナンセンスなのだろう。
加えて、民俗学的に見ると、人は酒にもっと不思議な力を期待してきたのだという事実がある。
神酒というものに代表されるように、酒には邪を祓う力があるとされてきた。
消毒効果の解釈の仕方なのかもしれないけれど。
つまり、清めの力があるということだ。それを飲む事で、体の中から邪を祓い清める。ある程度の飲酒は緊張緩和と血管の拡張による血流促進など良い影響がある。
では、二日酔いや各種病を民俗学的にどう解釈して見るか?
それは、酒の持つ清めの力に”あてられた”、ということになるのだと思う。強すぎる清めの力は、祓う対象さえ傷めてしまう、ということになるのだろう。
最初に書いたように4月は歓迎会で酒を飲む機会が多いと思う。
酒は意識の酩酊を引き起こすから、抑制されている人間性が表に出やすくなる。そういう点から酒を使うことで人と人のコミニュケーションを円滑にする働きがある。だから、歓迎会や祝い事の席で酒は使われる。
加えて、酒の清めの力を利用して、仲間の輪を護る結界としての役割も担っていたんじゃないだろうか?
酒の回し飲みというのは、今ではビールなどに変わっているけれど、宴会の場でも酌という形で残っている。
琉球(沖縄)のオトーリ(御通り)や土佐(高知)のべく杯(これは大学時代の友達がくれて今でも持っている)を使ったお座敷遊びなど、車座などになり、酒や杯を回し飲む事で酒による陣(円陣)を描き、酒による結界を張る、という意味があったんじゃないだろうか。
つれづれと、最近思っていたことを書いてみたけれど、割とまとまったなぁ。
さて、皆さん、良いお酒を楽しんでください。
日本では年末年始から4月ごろまでは、どうしても酒を飲む機会が増える。
年末年始は、忘年会、新年会で、3月は定年などによる退職の飲み会や移動に伴うお別れ会など、4月は新人などの歓迎会で酒は飲まれる。
今僕は病気で薬を飲んだりしている所為があって酒は避けている。
それも踏まえて、昔から不思議だったのだけれど、酒という強力な薬物がこれほど身近にあり、しかも容易に手に入るのはなぜだろう?
僕が子どもの頃、だから20年ぐらい前になるけれど、そのころはビールとかの自動販売機も結構街中にあった。僕もお使いでビールを買いに自販機まで走ったのは一度や二度じゃない。小学生の頃だ。
今はここまでとはいかないけれど、それでもタバコよりは敷居が低いんじゃないだろうか?タバコもやらないから分からないけれど。
さっきも書いたけれど、僕は薬のために酒は飲んでない。僕の飲んでいる薬は、精神に直接作用するタイプの薬だ。でも、劇的に効く事はない。あくまでも手助けする程度の効果だといったところだ。
酒は違う。あんなに劇的に心身に影響を及ぼす薬を他に知らない。
酒は薬物、むしろ毒物に近いはずなのだ。でも、禁止されたりすることはない。
酒気帯び運転が厳罰化されたりと交通事故の場面では厳罰化が進んでいるものの、酒自体を禁止しようとすることはない。ちょっと前は、禁酒法という法律がアメリカではあったようだけれど、すぐに止めてしまっている。
酒が酒たる所以となるのはアルコールの、特にエタノールという物質の効能による。
エタノール自体は危険物であるけれども、大量に保管していない限りそれほど危険な物質ではない。
でも、酒として体内に入ると、精神・身体依存、肝硬変、ガン、脳の萎縮などを引き起こす。
そこまでいかなくても、意識の酩酊、二日酔いなどで失敗した経験を持つ人はごまんといるだろう。
ちょっと考えただけでもここまで危険なものがどうして規制されないのか?
酒好きの政治家がいるからか?
でも、酒の失敗で失脚し、命まで落とすことになった自民党 故中川氏のような政治家だっている。
酒が良くて大麻が駄目なのはなぜだ?アヘンは?コカインは?
一方で、酒に代わる物質がないというのも事実だ。
例えば料理などで、臭み消しに酒は欠かせない。
消毒効果も高い。水とエタノールを3:7で混ぜた溶液がもっとも殺菌効果が高いらしい。つまり、高濃度の酒ならば消毒効果が期待できる。
上記のような効果は大麻やアヘン、コカインなどにはない。
このような特異な性質の一端として飲酒という行為があるのだ、と解釈すれば、なるほど酒を禁止するのはナンセンスなのだろう。
加えて、民俗学的に見ると、人は酒にもっと不思議な力を期待してきたのだという事実がある。
神酒というものに代表されるように、酒には邪を祓う力があるとされてきた。
消毒効果の解釈の仕方なのかもしれないけれど。
つまり、清めの力があるということだ。それを飲む事で、体の中から邪を祓い清める。ある程度の飲酒は緊張緩和と血管の拡張による血流促進など良い影響がある。
では、二日酔いや各種病を民俗学的にどう解釈して見るか?
それは、酒の持つ清めの力に”あてられた”、ということになるのだと思う。強すぎる清めの力は、祓う対象さえ傷めてしまう、ということになるのだろう。
最初に書いたように4月は歓迎会で酒を飲む機会が多いと思う。
酒は意識の酩酊を引き起こすから、抑制されている人間性が表に出やすくなる。そういう点から酒を使うことで人と人のコミニュケーションを円滑にする働きがある。だから、歓迎会や祝い事の席で酒は使われる。
加えて、酒の清めの力を利用して、仲間の輪を護る結界としての役割も担っていたんじゃないだろうか?
酒の回し飲みというのは、今ではビールなどに変わっているけれど、宴会の場でも酌という形で残っている。
琉球(沖縄)のオトーリ(御通り)や土佐(高知)のべく杯(これは大学時代の友達がくれて今でも持っている)を使ったお座敷遊びなど、車座などになり、酒や杯を回し飲む事で酒による陣(円陣)を描き、酒による結界を張る、という意味があったんじゃないだろうか。
つれづれと、最近思っていたことを書いてみたけれど、割とまとまったなぁ。
さて、皆さん、良いお酒を楽しんでください。