『聯合艦隊司令長官 山本五十六』を観た。
真に失礼ながら、山本五十六という名前は知っているけれども、何をした人か薄らぼんやりとしか知らない人が主人公。彼がこれほど強硬に日米開戦には反対していたというのは意外だった。
今から見れば、日本がアメリカに戦争をけしかけて勝てるわけがない、というのは簡単だけれども、時の世論が、風潮がそれを許さない環境にある中でそれを公言するのには覚悟がいったろう。
映画の中では軍だけでなく、当時の世論の象徴として、街の居酒屋や新聞社などの様子を描いている。
こと、当時のマスメディア第一線であろう新聞社を否定的に描いているのは、個人的には評価する。
日本人はすぐに忘れ、すぐに熱くなる。そして、すぐに恐れる。それは利点であると同時にとんでもない欠点だ。
マスコミはそれを煽ってはならないはずなのに、煽ってしまった。頼まれてもいないのに翼賛状況を日本中に広めてしまった。
誰よりも日米開戦に反対でありながら、真珠湾攻撃でその火蓋を切らざるを得なかった。
そして結果的にそれが奇襲になってしまった。
挙句、失敗に終わっている作戦結果を大勝利と日本国中に広めることを招き、日米戦を邁進させてしまった。
全て山本の思惑と逆に進んでしまったのだろう。”聯合艦隊司令長官”の名を疎ましく思ったかもしれない。彼の痛嘆は推し量って余りある。
過ぎた炎を放っておきながら、それを消す術を持たない。当時の日本はそんな状態だったんだろう。
始めた戦争は終わらせなければならない。彼はその後もその姿勢を貫く。
だが、日本にとって、世界にとって、不幸なことに彼は終戦を待たず、戦死してしまう。
山本がいれば、彼が海軍にいれば、もっと違う終わりがあったのかもしれない。
沖縄戦も、東京大空襲も、広島・長崎の原爆投下も、なかったかもしれない。
あの大戦で300万人の戦死者が生まれ、その九割が山本の死後の戦死者であることを鑑みれば、上記の期待の理由に十分だ。
最後のナレーションにこういうセリフがある。
”日本は、あの戦争で、いったい何に負けたのか?”
その結論を先送りにしたようなまま、戦後70年近くが経とうとしている。
自ら手に入れた平穏でないのに、そうと錯覚したまま、高度経済成長により経済は発展した。その影には朝鮮戦争というものがあるということに蓋をしながら。
安保闘争を繰り返し、赤軍派の反発を招き、三島由紀夫らが蜂起し、従軍慰安婦や残留孤児やシベリア抑留などなど、その後も様々な問題をあの戦争は引き起こし続けている。
そして、戦後70年を目前にしながら日本人はあの戦争を、また都合よく忘れようとしている気がする。
奇しくも、戦後生まれの初の総理大臣だった第二次安倍政権下で。
”日本は、あの戦争で、いったい何に負けたのか?”
その答えが出ないまま、68年間もの長い間、曲がりなりにも平和を維持し続けてくれた日本国憲法を改めようとしている。
山本五十六さんは今の日本の姿を見てどう感じるだろうか、と思う。
広く世界を見て、聴いて、心で感じる。
偏狭になりなさんな、と山本五十六さんは言ってくれている。
長い映画で少し退屈かもしれないけど、夏休みにでも観るといい作品だと思う。
色々考える機会になるはずだ。
真に失礼ながら、山本五十六という名前は知っているけれども、何をした人か薄らぼんやりとしか知らない人が主人公。彼がこれほど強硬に日米開戦には反対していたというのは意外だった。
今から見れば、日本がアメリカに戦争をけしかけて勝てるわけがない、というのは簡単だけれども、時の世論が、風潮がそれを許さない環境にある中でそれを公言するのには覚悟がいったろう。
映画の中では軍だけでなく、当時の世論の象徴として、街の居酒屋や新聞社などの様子を描いている。
こと、当時のマスメディア第一線であろう新聞社を否定的に描いているのは、個人的には評価する。
日本人はすぐに忘れ、すぐに熱くなる。そして、すぐに恐れる。それは利点であると同時にとんでもない欠点だ。
マスコミはそれを煽ってはならないはずなのに、煽ってしまった。頼まれてもいないのに翼賛状況を日本中に広めてしまった。
誰よりも日米開戦に反対でありながら、真珠湾攻撃でその火蓋を切らざるを得なかった。
そして結果的にそれが奇襲になってしまった。
挙句、失敗に終わっている作戦結果を大勝利と日本国中に広めることを招き、日米戦を邁進させてしまった。
全て山本の思惑と逆に進んでしまったのだろう。”聯合艦隊司令長官”の名を疎ましく思ったかもしれない。彼の痛嘆は推し量って余りある。
過ぎた炎を放っておきながら、それを消す術を持たない。当時の日本はそんな状態だったんだろう。
始めた戦争は終わらせなければならない。彼はその後もその姿勢を貫く。
だが、日本にとって、世界にとって、不幸なことに彼は終戦を待たず、戦死してしまう。
山本がいれば、彼が海軍にいれば、もっと違う終わりがあったのかもしれない。
沖縄戦も、東京大空襲も、広島・長崎の原爆投下も、なかったかもしれない。
あの大戦で300万人の戦死者が生まれ、その九割が山本の死後の戦死者であることを鑑みれば、上記の期待の理由に十分だ。
最後のナレーションにこういうセリフがある。
”日本は、あの戦争で、いったい何に負けたのか?”
その結論を先送りにしたようなまま、戦後70年近くが経とうとしている。
自ら手に入れた平穏でないのに、そうと錯覚したまま、高度経済成長により経済は発展した。その影には朝鮮戦争というものがあるということに蓋をしながら。
安保闘争を繰り返し、赤軍派の反発を招き、三島由紀夫らが蜂起し、従軍慰安婦や残留孤児やシベリア抑留などなど、その後も様々な問題をあの戦争は引き起こし続けている。
そして、戦後70年を目前にしながら日本人はあの戦争を、また都合よく忘れようとしている気がする。
奇しくも、戦後生まれの初の総理大臣だった第二次安倍政権下で。
”日本は、あの戦争で、いったい何に負けたのか?”
その答えが出ないまま、68年間もの長い間、曲がりなりにも平和を維持し続けてくれた日本国憲法を改めようとしている。
山本五十六さんは今の日本の姿を見てどう感じるだろうか、と思う。
広く世界を見て、聴いて、心で感じる。
偏狭になりなさんな、と山本五十六さんは言ってくれている。
長い映画で少し退屈かもしれないけど、夏休みにでも観るといい作品だと思う。
色々考える機会になるはずだ。