『隣る人(となるひと)』を観て来た。
フラッと寄った映画館に飛び込みで入るというのは久しぶり。
作品の名前でさえ、入る時に知ったレベル。
ある児童養護施設を8年取材し、そこにいる子供たちや保育士達を撮影したドキュメンタリー作品。
責任担当制という、1人の保育士が5人程度の子供の親となる、という子供と一対一の関係を築くための試みを取り入れている、(おそらく)特殊なシステムを敷く施設。子供はもちろん保育士も施設で寝泊りする。
つまり、その施設は小さな家族という系を内包した大きな家族体だ。
子どもの頃からいろいろな理由で両親、肉親と暮らせない子供たちが、沢山そこにはいた。
幼児期から青年期にかけて、人間のコアとなる部分の形成に親の存在は大きい。
でも、それが叶わなかった子供たちがいる。
彼女、彼らの思いは正直全く分からない。なぜなら、僕は両親に、祖父母に、育ててもらったからだ。
彼らが親に対して何を思うのか。
親のほうにもカメラは向いている。
子供を自分の手で育てたい。そう願う親も沢山いる。
でも、それが上手くいかず苦しむ。
一日、自分の手元に置いただけでも、なぜか上手くいかない。関係が築けない。
たぶん、そんなに難しくないはずだ。
何万年も前から、親は子を産み、育ててきた。
それは、たぶん自然なことなのだ。分かっている。でもそれが出来ない。
それに対して、親に責任がある。問題がある。
でも、誰もそれを責める事なんて出来ないんじゃないだろうか?それは複雑で滑稽なぐらいこんがらがった”大人の事情”なのだ。
産みの親が育ての親に絶対向いている、とは限らないんじゃないか?
産みの親は、そういう【隣る人】として存在してあげる。
それは有意義なことだと思う。
保育士が10歳の誕生日を迎えた”娘”に「ずっと一緒にいようね。大好きだよ」と涙を流す。
その涙の意味が10歳の彼女には今は分からないかもしれない。
でも、彼女も自分の子供の10歳の誕生日には、きっと、涙を流すのだ。
フラッと寄った映画館に飛び込みで入るというのは久しぶり。
作品の名前でさえ、入る時に知ったレベル。
ある児童養護施設を8年取材し、そこにいる子供たちや保育士達を撮影したドキュメンタリー作品。
責任担当制という、1人の保育士が5人程度の子供の親となる、という子供と一対一の関係を築くための試みを取り入れている、(おそらく)特殊なシステムを敷く施設。子供はもちろん保育士も施設で寝泊りする。
つまり、その施設は小さな家族という系を内包した大きな家族体だ。
子どもの頃からいろいろな理由で両親、肉親と暮らせない子供たちが、沢山そこにはいた。
幼児期から青年期にかけて、人間のコアとなる部分の形成に親の存在は大きい。
でも、それが叶わなかった子供たちがいる。
彼女、彼らの思いは正直全く分からない。なぜなら、僕は両親に、祖父母に、育ててもらったからだ。
彼らが親に対して何を思うのか。
親のほうにもカメラは向いている。
子供を自分の手で育てたい。そう願う親も沢山いる。
でも、それが上手くいかず苦しむ。
一日、自分の手元に置いただけでも、なぜか上手くいかない。関係が築けない。
たぶん、そんなに難しくないはずだ。
何万年も前から、親は子を産み、育ててきた。
それは、たぶん自然なことなのだ。分かっている。でもそれが出来ない。
それに対して、親に責任がある。問題がある。
でも、誰もそれを責める事なんて出来ないんじゃないだろうか?それは複雑で滑稽なぐらいこんがらがった”大人の事情”なのだ。
産みの親が育ての親に絶対向いている、とは限らないんじゃないか?
産みの親は、そういう【隣る人】として存在してあげる。
それは有意義なことだと思う。
保育士が10歳の誕生日を迎えた”娘”に「ずっと一緒にいようね。大好きだよ」と涙を流す。
その涙の意味が10歳の彼女には今は分からないかもしれない。
でも、彼女も自分の子供の10歳の誕生日には、きっと、涙を流すのだ。