MARUMUSHI

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『さいはてにて』。

2015-03-07 23:26:05 | 映画日記
『さいはてにて やさしい香りと待ちながら』を観てきた。

登場人物の名前が大事な映画だと思う。

僕は、この映画日記では登場人物の名前を使って感想を書くことは、基本として無い。
意図して避けている。もちろん、使うこともあるけれど。
僕にとっては作中の登場人物はオブジェクトとしての駒でしかない。駒に呼び名はあっても名前はいらない。太郎が次郎でも、北さんが東さんでも、それだけのことなのだ。根本は変わらない。

でも、この作品は違う。
吉田岬
山崎絵里子
山崎有沙
山崎翔太
山崎由希子
城山恵
清水俊夫
名は、人と人を繋げるもので、名を呼ぶという行為は人と人の繋がりの端緒なのだ。
自分の名を呼ぶ最初の人。それは両親だ。そして、なによりも強い繋がりがそこに生まれる。

吉田岬の父、清水俊夫が残したのは、借金と資産価値の無いあばら屋と化した舟小屋。
30年間も会わず、8年前からは生死もはっきりしないまま、父はどこかに行ってしまった。
父の残した舟小屋を見て、彼女は思い出す。父とここに来たことを。父とここで別れたことを。
彼女はそこで待つ。舟小屋を珈琲店に改造し、”ヨダカ珈琲”店を営みながら。
城山恵の愚痴を聞き、有沙、翔太と遊び、絵里子と働きながら、岬は待つ。

そして、そこを去る。
待つ必要がなくなったということは、”ヨダカ珈琲”にいる必要がなくなったということだからだ。
よだかははねを閉じて、地に落ちていきました。そして地面にその弱い足がつくというとき、よだかは俄かにのろしのように空へとびあがりました。

岬の去った後、絵里子はヨダカ珈琲店の外灯を毎夕灯す。
まるでその灯が岬のための目印かのごとく。
そしてよだかの星は燃えつづけました。




吉田岬の父、清水俊夫が残したのは、借金と資産価値の無いあばら屋と化した舟小屋。
その舟小屋は娘が帰ってくるための場所になった。
岬は陸から海に突き出した地形を指し、帰るべき陸地に灯台を灯す場所。
俊夫は、その名を娘につけた。
娘が自身にとって大事な人の、岬になるように。





岬はヨダカ珈琲店に帰ってくる。
「おかえり」と絵里子が微笑む。
「ただいま」と岬が微笑む。
有沙、翔太が笑う。
今でもまだ燃えています。
岬にある、岬のいるヨダカ珈琲店の外灯は、今日もまた誰かのために灯る。


2015年03月06日のつぶやき

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