『博士と彼女のセオリー(原題:The Theory of Everything)』を観てきた。
この映画が教えてくれるのは、生きることの素晴らしさではなく、過去は変えることは出来ない、という非情な現実だ。
映画は、かなり寂しい結末を向かえる。
でも、仕方ない。
古典力学で描き出されたブラックホールはずっとそのままそこに存在するが、ホーキングが描いた量子論でのブラックホールは、最期には蒸発してしまう。
人の気持ちもそうなのだろう。ずっとそのままで居続けることは出来ない。移ろい、時に消滅する。
The Theory of Everything
未来と過去の違いはおそらく、それほど明瞭ではない。
人は昔に戻りたいと願う。
そして、未来の可能性は無数にある、とも考える。
そう。おそらく、未来は無数にある。
未来が無数にあるということは、過去が無数にあったということだ。
じゃあ、昔に、過去に戻りたいと願ったとして、どの過去に戻るというのだ?
今、未来に行きたいと願ったとして、どの未来に行くというのだ?
未来と過去の違いとは、過去は全く変えられないのに対して、未来にはある程度にしろ選択の余地がある、と言うことだと思う。
人は必ず死ぬ。余命が必ずある。
絶対だ。避けられない。
投げ出すことも選択だし、ホーキング元夫妻が選んだように、投げ出さない選択もある。
未来はある程度にしろ選択の余地がある。
博士も、彼女も、僕も、みんなも、万物が。
昨日選択した今日で、明日を選択するのだ。