『心が叫びたがってるんだ。』を観てきた。
大人の方が心に響く作品だと思う。
お城にあったのはおぞましい事実。
少女はそれを見てしまう。
少女は呪いをかけられた。
口を噤み続けなければならない呪いを。
顔で笑って、心で泣いて。
本音と建て前。
見ざる云わざる聞かざる。
数多の処世術の言葉が世界を覆っている。
これらを使い分けることを、僕らは大人になる、という。
でも、それは違う。
本当のことを必要な場所で言い、聞く。それが大人なのだ。
心は黙らない。心を噤ませることは出来ない。
だから、伝えたいことは言葉に出し、伝えなくてはならない。
僕は鈍い。
こと、人の気持ちを汲むということに関しては酷い。
精神科でカルテに、
#ADHD
と書かれてあったときは、「No way!」と言いたくなった。診察を重ねるうちに、その文字は消えたけど。
まあ、要はそれぐらい酷い。
小心者のクセに尊大不遜。
根拠に薄いクセに大胆。
僕はそういう側面がある。酷い。実に酷い。
でも、思う。
口に出さないクセに心が饒舌な方が質は悪いんじゃないかと。
話すべきだ。
怒るべきだ。
謝るべきだ。
罵るべきだ。
誉めるべきだ。
人が人の気持ちを全て理解することなど有り得ない。
どんなに言葉を尽くしても。
でも、分かり合おうとし続けることは出来る。
だから、伝えたいなら、叫ぶべきだ。
少女はお姫様になる。
もっと幼い頃に夢見たお姫様に。
そこは、おぞましさと一緒に、美しさが沢山あった。
それは、彼女が時間をかけて苦しんで、その声で生み出した世界だ。
言葉を尽くしても叶わないものがある。
それでも忌々しいほど心は饒舌だ。
言葉を尽くさなければ叶わないものがある。
その言葉は心を黙らせ、揺るがせ、かかった呪いを吹き飛ばす。
その言葉とは。。。
おっと、少々喋りすぎた。
玉子に口にチャックされてしまう。
それに、これ以上、僕が言ってしまうとその言葉から粋が無くなっちゃうからね。
少しは気を利かせて、この辺で僕は自ら口にチャックをするとしよう。
口のチャックを少しだけ緩めさせていただくよ。
劇中劇での最後の合唱シーンは本当にいいシーンだ。
学生が作る安っぽさと、その年頃でなければ出せない色。
十分にピュアであるとはいえないが、十分にダーティーとはおよそ言えない。
前向きさも、後ろ暗さも。
希望も、不安も。
そんなものを集めた言葉。
さて、これ以上は無粋も無粋。
もう一度口を噤もう。
(2015.09.26追記)
『心が叫びたがってるんだ。』の舞台挨拶をみてきた。
水瀬いのりさん。
ちっこい。役と全く同じ。とにかくちっこい。
当然、もう一度作品も観た。
一回目にはどうしても主人公の成瀬順に目線が入ってしまったけれど、二回目は大樹という青年にすごく惹かれた。
彼は、耐えるということを知っている。自分を罵倒する声を聞くことが出来る。自省し、謝る勇気を持っている。
僕は作品上の彼よりも一回り以上年上だけれど、彼のようにはできない。
謝って済まされると思っていない。でも、「仕切り直したい」ために頭を下げる。
これが出来ることは、僕にとっては凄いことだ。
当たり前のことなんだろうか?
いや、簡単じゃないんだろうな。謝って済むことじゃないと知っているのに、諦めずにそれをするというのは。
屈辱だし、無様だし。
失ってしまった信頼を取り戻そうとするのは簡単なことじゃない。だからその後の姿でその姿勢は学ぶべきところだと感じた。
そして、だからこそ、彼は主人公の順に恋をしたんだろう。
彼女が抱える問題を不器用ながらも克服していこうとする姿に彼は驚き、尊敬したんだろう。
彼らの物語はハッピーエンドかどうかは分からないし、そこまで立ち入るのは無粋な話。
でも、一つだけ言えるのは、彼らは生涯の友を得た、と言うことだ。
あと、担任の城嶋先生の存在だ。
彼は、のらりくらりと生徒からの批判を交わしつつも、分岐点に立った生徒たちを、その自主性を基に、上手く導くところだ。
これもそう簡単に真似できることではない。
生徒たちを良く見ていなければ出来ないことだ。そして、なにより生徒を芯まで信用していなければ出来ないことだ。
きっと、出世はしないだろうけれど、彼はそのポジションが似合う。
憧れるカッコいい大人だ。
舞台挨拶も含めて、もう一度観てよかった。
大人の方が心に響く作品だと思う。
お城にあったのはおぞましい事実。
少女はそれを見てしまう。
少女は呪いをかけられた。
口を噤み続けなければならない呪いを。
顔で笑って、心で泣いて。
本音と建て前。
見ざる云わざる聞かざる。
数多の処世術の言葉が世界を覆っている。
これらを使い分けることを、僕らは大人になる、という。
でも、それは違う。
本当のことを必要な場所で言い、聞く。それが大人なのだ。
心は黙らない。心を噤ませることは出来ない。
だから、伝えたいことは言葉に出し、伝えなくてはならない。
僕は鈍い。
こと、人の気持ちを汲むということに関しては酷い。
精神科でカルテに、
#ADHD
と書かれてあったときは、「No way!」と言いたくなった。診察を重ねるうちに、その文字は消えたけど。
まあ、要はそれぐらい酷い。
小心者のクセに尊大不遜。
根拠に薄いクセに大胆。
僕はそういう側面がある。酷い。実に酷い。
でも、思う。
口に出さないクセに心が饒舌な方が質は悪いんじゃないかと。
話すべきだ。
怒るべきだ。
謝るべきだ。
罵るべきだ。
誉めるべきだ。
人が人の気持ちを全て理解することなど有り得ない。
どんなに言葉を尽くしても。
でも、分かり合おうとし続けることは出来る。
だから、伝えたいなら、叫ぶべきだ。
少女はお姫様になる。
もっと幼い頃に夢見たお姫様に。
そこは、おぞましさと一緒に、美しさが沢山あった。
それは、彼女が時間をかけて苦しんで、その声で生み出した世界だ。
言葉を尽くしても叶わないものがある。
それでも忌々しいほど心は饒舌だ。
言葉を尽くさなければ叶わないものがある。
その言葉は心を黙らせ、揺るがせ、かかった呪いを吹き飛ばす。
その言葉とは。。。
おっと、少々喋りすぎた。
玉子に口にチャックされてしまう。
それに、これ以上、僕が言ってしまうとその言葉から粋が無くなっちゃうからね。
少しは気を利かせて、この辺で僕は自ら口にチャックをするとしよう。
口のチャックを少しだけ緩めさせていただくよ。
劇中劇での最後の合唱シーンは本当にいいシーンだ。
学生が作る安っぽさと、その年頃でなければ出せない色。
十分にピュアであるとはいえないが、十分にダーティーとはおよそ言えない。
前向きさも、後ろ暗さも。
希望も、不安も。
そんなものを集めた言葉。
さて、これ以上は無粋も無粋。
もう一度口を噤もう。
(2015.09.26追記)
『心が叫びたがってるんだ。』の舞台挨拶をみてきた。
水瀬いのりさん。
ちっこい。役と全く同じ。とにかくちっこい。
当然、もう一度作品も観た。
一回目にはどうしても主人公の成瀬順に目線が入ってしまったけれど、二回目は大樹という青年にすごく惹かれた。
彼は、耐えるということを知っている。自分を罵倒する声を聞くことが出来る。自省し、謝る勇気を持っている。
僕は作品上の彼よりも一回り以上年上だけれど、彼のようにはできない。
謝って済まされると思っていない。でも、「仕切り直したい」ために頭を下げる。
これが出来ることは、僕にとっては凄いことだ。
当たり前のことなんだろうか?
いや、簡単じゃないんだろうな。謝って済むことじゃないと知っているのに、諦めずにそれをするというのは。
屈辱だし、無様だし。
失ってしまった信頼を取り戻そうとするのは簡単なことじゃない。だからその後の姿でその姿勢は学ぶべきところだと感じた。
そして、だからこそ、彼は主人公の順に恋をしたんだろう。
彼女が抱える問題を不器用ながらも克服していこうとする姿に彼は驚き、尊敬したんだろう。
彼らの物語はハッピーエンドかどうかは分からないし、そこまで立ち入るのは無粋な話。
でも、一つだけ言えるのは、彼らは生涯の友を得た、と言うことだ。
あと、担任の城嶋先生の存在だ。
彼は、のらりくらりと生徒からの批判を交わしつつも、分岐点に立った生徒たちを、その自主性を基に、上手く導くところだ。
これもそう簡単に真似できることではない。
生徒たちを良く見ていなければ出来ないことだ。そして、なにより生徒を芯まで信用していなければ出来ないことだ。
きっと、出世はしないだろうけれど、彼はそのポジションが似合う。
憧れるカッコいい大人だ。
舞台挨拶も含めて、もう一度観てよかった。