『シェル・コレクター』を観てきた。
毒も使いようによっては薬になる。
薬も使いようによっては毒に変わる。
貝類学者の男にとって貝は、
愛玩物であり、恐ろしいものであり、忌避するものだった。
恐ろしいものを彼は恐ろしい形で、奇跡の技として使うことになっていく。
それは救済であり、死への導きでもある。
たとえ100人を救えたとしても1人が死ねば、男は大事な物を失う。
今まで集めてきた貝、地位、そんな物は大した問題ではない。
彼は孤独という自由を失いたくなかった。孤独とは何者からも干渉されないこと。それは自らの内からも、だ。
生物は自分に適したところで生きていく。
そうでないものは、滅びを待つかそれ以外の方法を探るだけだ。
そして、あまりにも個体数が増えれば、その種は滅ぶことになる。
人は少しばかり増えすぎたのだ。
誰もが愛する人を抱えすぎた。誰もが問題を飛躍させ広げすぎた。
自然は、人を減らすことにしたのだ。皮肉なことにイモガイと同じ症状で、ジワジワと死に至らしめる。
死を前にしなければ、生を感じることは出来ない。それが人なのだ。だから、時間をかけて殺す必要があった。
そして、この緩やかな虐殺は、人の望みから産まれた物なのだと思う。
僕は、目が見える。メガネをかけてはいるけれど、弱視でも全盲でもない。
だから、想像もできない。盲いた目で見た世界はどんな世界なんだろうか。暗闇なのか、白い世界なのか、それとも僕らが瞼を閉じたときに見えるような星の瞬きに似た世界なのか。眠っているときと起きているときと見える世界は同じなのか。
何一つ分からない。
誰かが触れたことのない手触りを伝えるのは難しい。
言葉が伝わっても、魂の感覚は伝わらない。
彼が分かった、分かっていなかったこと。
男はShell Collectorだ。
でも、僕はShell Correctorの方が彼に相応しい名のような気がする。
Correct:治す、中和する
治したのは自分の傷。息子との溝。
中和したのは世界と関係性。
今日も彼は貝を求め、貝に名を付ける。
そして海底に似た自分の深層でこことは違う世界とつながる。
毒も使いようによっては薬になる。
薬も使いようによっては毒に変わる。
貝類学者の男にとって貝は、
愛玩物であり、恐ろしいものであり、忌避するものだった。
恐ろしいものを彼は恐ろしい形で、奇跡の技として使うことになっていく。
それは救済であり、死への導きでもある。
たとえ100人を救えたとしても1人が死ねば、男は大事な物を失う。
今まで集めてきた貝、地位、そんな物は大した問題ではない。
彼は孤独という自由を失いたくなかった。孤独とは何者からも干渉されないこと。それは自らの内からも、だ。
生物は自分に適したところで生きていく。
そうでないものは、滅びを待つかそれ以外の方法を探るだけだ。
そして、あまりにも個体数が増えれば、その種は滅ぶことになる。
人は少しばかり増えすぎたのだ。
誰もが愛する人を抱えすぎた。誰もが問題を飛躍させ広げすぎた。
自然は、人を減らすことにしたのだ。皮肉なことにイモガイと同じ症状で、ジワジワと死に至らしめる。
死を前にしなければ、生を感じることは出来ない。それが人なのだ。だから、時間をかけて殺す必要があった。
そして、この緩やかな虐殺は、人の望みから産まれた物なのだと思う。
僕は、目が見える。メガネをかけてはいるけれど、弱視でも全盲でもない。
だから、想像もできない。盲いた目で見た世界はどんな世界なんだろうか。暗闇なのか、白い世界なのか、それとも僕らが瞼を閉じたときに見えるような星の瞬きに似た世界なのか。眠っているときと起きているときと見える世界は同じなのか。
何一つ分からない。
誰かが触れたことのない手触りを伝えるのは難しい。
言葉が伝わっても、魂の感覚は伝わらない。
彼が分かった、分かっていなかったこと。
男はShell Collectorだ。
でも、僕はShell Correctorの方が彼に相応しい名のような気がする。
Correct:治す、中和する
治したのは自分の傷。息子との溝。
中和したのは世界と関係性。
今日も彼は貝を求め、貝に名を付ける。
そして海底に似た自分の深層でこことは違う世界とつながる。