『海賊とよばれた男』を観てきた。
まぁまぁ。。。
モデルになっている出光佐三。
彼はどうしてそこまで日本資本にこだわったんだろう?
大家族経営、日本型経営にこだわったんだろう?
彼は正しい生き方をしたのだろうか?
日本には石油がない。
だから、戦争にも負けた。日本人の勤勉さ辛抱強さに資源が加われば戦争に勝てたかもしれない。
でも、そうならなかった。
「愚痴はやめよ」
彼はいつも前を見ていたんだろうなと思う。そして、後人である家族にもそうあって欲しいと思っていたんだろうなとも。
だから、家族を守る経営を取っていた。たまたまだ。守るためには自立せねばならない。守るためには戦わなければならない。
日本型経営はバブルずっと日本人の働き方の象徴であり、足枷であり、侮蔑対象でもあった。
仕事には定時という空虚な概念があり、働けるだけ働く、つまり時間と仕事量のバランスが全く取れていない状態が是とされる。「24時間 戦えますか?」なんてCMがあったぐらいだ。
それを非と捉えたのが、フリーターとよばれる生き方。会社に縛られるのではなく、好きな時に稼ぎ、好きな時にやりたいことをやる。
バブル崩壊と同時に仕事自体が無くなるという事態を眼前にして、どちらの生き方も崩壊した。
そして、海外の能力主義が輸入された。経営側は使えない奴をバンバンクビにしていった。
それがそれほどの成功を見なかったとみると日本型経営と能力主義が手を組んだ。
裁量労働制といえば聞こえはいいが、人を減らして仕事を減らしていないというバランスが取れていないということは、ツケは末端の労働者に回ってくる。
それが今の日本の仕事になっている。
ない仕事は作れ、なんて今の時代にいったら、本当に殺されかねない。
みんな笑顔で自分を守っている。
それが経営のトップに立つものでさえも。
企業だけにとどまらない。地方自治体の首長、議員、国会議員にもタンマリいる。
さも当然と言わんばかりに。
トップは誰も損な役回りはしない。ツケは下に回す。
出光さんがどんな人だったかは知らないけれど、この作品同様、人の働きぶりを見て、それを伸ばす人だったんじゃないだろうか。そして、この人に付いていきたいと思わせる人だったんじゃないだろうか。
そんなトップが今の時代にも、もっと増えてくることを祈りたい。