『BLAME!』を観てきた。
ディストピア。
人は荒廃した世界にあこがれる。
猿の惑星
planetarian
ターミネーター
宇宙戦艦ヤマト
風の谷のナウシカ
極度に発展した世界の成れの果てを描く作品は数多ある。
不思議なのは作品に一縷の希望を残すことだ。なぜ、壊れた世界に希望の種を残す必要がある?もう、とっくに枯れてしまっているはずで、ユートピアがディストピアに変わるほどの時間があったはずなのに、なぜ世界が壊れるまで放置していたんだろう?
僕たちが生きている世界は、ある程度ユートピアに近い環境だ。労働という対価を払えば、それ相応の賃金が手に入り、生きていくことが出来る。何もかもが与えられるわけではないけれど、得たい物があればなんとかなる。
もちろん、世界中がそうではないけれど。
でも、どこか閉塞的で、どうにも今を変えられない、という点においては世界中全ての人が感じていることなんじゃないだろうかと思う。
希望なき世界。
東日本大震災のとき、正直、ワクワクした。福島原発の状態がどんどん悪くなるのに胸躍らせた。
日本が、世界が終わるかもしれない!
自分も人事ではなくなるのに、そう思った。
チェルノブイリの時もそう感じた人はいたはずだ。
終末思想を唱える宗教なんてのが存在するということは、世界が終わって欲しいと願う人たちがそこそこいるということだ。
希望なき世界を終わりにして欲しい。
それが具体化したのがディストピア。
でも、そのディストピアにすら崩壊を祈る。ディストピアのまま閉塞してしまう世界を認めたくない。
希望なき世界に希望を。
大抵の物語は何かを語り継ぐ、という形でENDを迎える。
希望を希望のままにして。
例えば、核戦争が起こったり、隕石が衝突したり、巨大な火山噴火が起きたり、そういった滅亡は当面のところ考えなくて良いし、僕たちが生きている間には多分ないだろう。次の世代もちょっと怪しい。
当面、この国だけ見れば、少子高齢化に伴う人口減が一番のディストピアへの入口だろうか。
世界で見ると、まぁ、僕の狭い視野でみてだけれど、人口の増大。それに伴う食料、水などの問題。これに付随しての様々な国家間のいざこざ、戦争、といったところだろうか。
いずれにしても、ディストピアとしての入口はなんだかショボイ。
ロボットにAIに支配される、ぐらいの崩壊感が欲しいところだけど。
ていうか、仮に支配されたとしても『BLAME!』のように人間を殺しにかかってくるというのもちょっとピンとこないところがあるけど。。。
中途半端な希望を抱えたまま、僕らは生きていく。
だからこそ、希望なき世界の希望を観たいのだろう。
ディストピア。
人は荒廃した世界にあこがれる。
猿の惑星
planetarian
ターミネーター
宇宙戦艦ヤマト
風の谷のナウシカ
極度に発展した世界の成れの果てを描く作品は数多ある。
不思議なのは作品に一縷の希望を残すことだ。なぜ、壊れた世界に希望の種を残す必要がある?もう、とっくに枯れてしまっているはずで、ユートピアがディストピアに変わるほどの時間があったはずなのに、なぜ世界が壊れるまで放置していたんだろう?
僕たちが生きている世界は、ある程度ユートピアに近い環境だ。労働という対価を払えば、それ相応の賃金が手に入り、生きていくことが出来る。何もかもが与えられるわけではないけれど、得たい物があればなんとかなる。
もちろん、世界中がそうではないけれど。
でも、どこか閉塞的で、どうにも今を変えられない、という点においては世界中全ての人が感じていることなんじゃないだろうかと思う。
希望なき世界。
東日本大震災のとき、正直、ワクワクした。福島原発の状態がどんどん悪くなるのに胸躍らせた。
日本が、世界が終わるかもしれない!
自分も人事ではなくなるのに、そう思った。
チェルノブイリの時もそう感じた人はいたはずだ。
終末思想を唱える宗教なんてのが存在するということは、世界が終わって欲しいと願う人たちがそこそこいるということだ。
希望なき世界を終わりにして欲しい。
それが具体化したのがディストピア。
でも、そのディストピアにすら崩壊を祈る。ディストピアのまま閉塞してしまう世界を認めたくない。
希望なき世界に希望を。
大抵の物語は何かを語り継ぐ、という形でENDを迎える。
希望を希望のままにして。
例えば、核戦争が起こったり、隕石が衝突したり、巨大な火山噴火が起きたり、そういった滅亡は当面のところ考えなくて良いし、僕たちが生きている間には多分ないだろう。次の世代もちょっと怪しい。
当面、この国だけ見れば、少子高齢化に伴う人口減が一番のディストピアへの入口だろうか。
世界で見ると、まぁ、僕の狭い視野でみてだけれど、人口の増大。それに伴う食料、水などの問題。これに付随しての様々な国家間のいざこざ、戦争、といったところだろうか。
いずれにしても、ディストピアとしての入口はなんだかショボイ。
ロボットにAIに支配される、ぐらいの崩壊感が欲しいところだけど。
ていうか、仮に支配されたとしても『BLAME!』のように人間を殺しにかかってくるというのもちょっとピンとこないところがあるけど。。。
中途半端な希望を抱えたまま、僕らは生きていく。
だからこそ、希望なき世界の希望を観たいのだろう。