MARUMUSHI

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『世界から猫が消えたなら』。

2016-05-21 23:39:12 | 映画日記
#世界から猫が消えたなら
『世界から猫が消えたなら』を観てきた。

男は時計屋の子供として産まれた。

そして突然死を宣告される。
そこに現れた悪魔。
「お前は明日死ぬ。でも、この世界から何かを消すことでお前は一日だけ生きることが出来る」
世界から1つずつ、でも確実に消え去り、誰の記憶にも残らず、そこにあった心も消えていく。
いや、なかったのだ。そんな物はないのだ。

どうせなら、心も持って行きなさいよ!(刻まれたエスプレッソ/八月一日香織 著)

悪魔は、男の中の心だけは持っていかない。
男は、気付く。
世界から何かが消えるたびに、自分の存在が世界から少しずつ消えていく
世界から何かが消えるたびに、少しずつ、自分が死んでいっていることに。
だから、この仔だけは消せない。この仔が消えるということは、大好きだった母を消してしまうことになるから。
母の心を消す。それは自分を消すということになる。いや、なかったのだ。そんな僕はいないのだ。

彼は時計屋の子供として産まれた。
色んな時計の色んな秒針の音の中。その音はずっと続いていると思っていた。
家を出る時さえも。
でも、音は突然鳴り止む。
時計修理の達人の父でも、その鳴り止もうとしている時計を直すことは出来ない。


悪魔は彼。彼の心の一部。
飽き飽きした日常。満員電車。憂鬱な朝。でも、明日死ぬ、と言われればそれらを失いたくないと思うことは不思議じゃない。
明日は自然にやってくるし、叫べばこだまが返ってくるぐらい向こう側まで続いていると思っている。でも、その向こう側の壁が眼前にあったら、悪魔を生み出すことも辞さないぐらいで生きようとするかもしれない。
でも、自分がこれまで結んできた全ての心を消してしまってまで生きることに、どれほどの意味があるだろう。
僕たちは死ぬときには、ほとんど何も持っていけない。自分の体や魂さえも。
遺せるのは、心だけなのだ。だから、心は消してはいけない。




僕が死んだ時にどれだけの人が涙を流すだろう?どれだけの人が僕のことを思い起こすだろう?



僕の心は、どれぐらい残るんだろう?


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