国道163を、南大河原附近の木津川に掛る潜没橋は恋路橋と、言うらしい、
なぜこの名前が付いたのかしら?
この橋を渡って進むと、恋志谷神社と天満宮と言う神社に突き当たります。
恋志谷姫神は、後醍醐天皇の側室で、後醍醐天皇は、笠置の戦いで破れ、壱岐に流されました。其の時姫は病を直すため伊勢にいました、やっと病も治り南大河原の地まで帰り着いたとき、後醍醐天皇は、壱岐に流されたと聞き、あまりの悲しさに、自らの命を絶ったとのことです。
江戸末期には渡し舟があったとか、後醍醐天皇はどのようにして、この川を渡ったのでしょうね、どちらにしても、なんだか切ないですね。
神社の石の鳥居は、柳生宗矩が愛した、この地に建つ二つの神社の改築に当り、天保4年柳生宗冬が石の鳥居を建立したとのことです。
この地・南大河原も、元柳生藩の領地だったようです。
なぜこの名前が付いたのかしら?
この橋を渡って進むと、恋志谷神社と天満宮と言う神社に突き当たります。
恋志谷姫神は、後醍醐天皇の側室で、後醍醐天皇は、笠置の戦いで破れ、壱岐に流されました。其の時姫は病を直すため伊勢にいました、やっと病も治り南大河原の地まで帰り着いたとき、後醍醐天皇は、壱岐に流されたと聞き、あまりの悲しさに、自らの命を絶ったとのことです。
江戸末期には渡し舟があったとか、後醍醐天皇はどのようにして、この川を渡ったのでしょうね、どちらにしても、なんだか切ないですね。
神社の石の鳥居は、柳生宗矩が愛した、この地に建つ二つの神社の改築に当り、天保4年柳生宗冬が石の鳥居を建立したとのことです。
この地・南大河原も、元柳生藩の領地だったようです。