ちびもかの縁側

ちびモカ2猫との日々
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2015年1月モカ、虹の橋へ
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爺ちゃんと馬

2015-08-15 08:39:03 | 日記
毎年この時期になると思い出す人がいる。

その人は、私が平成の世というのに丁稚奉公チックな修行時代からの知り合いで、独立してからも長い間優しく、時に厳しく応援してくれていた。

ガラス屋さんをやってた爺ちゃん。当時で御年86歳。

生まれも育ちも東京で、若い頃は映画館通いが趣味。当然好きな女子もいた元シティボーイな爺ちゃん。

世間話の間に、こんな話をしてくれた事があったっけ。

志願兵として中国戦線に赴き砲兵をやり、馬の世話係も命令されたが、なにせ都会派だった爺ちゃんは馬なぞ触った事もない。

上官に怒られたり時に殴られたり、騎乗すれば内腿の皮がズル剥けになりながらも一生懸命世話をした。

努力が認められ将校の馬の世話を任されるようになった。

ある時、部隊の移動中に将校殿の馬を連れた爺ちゃんは隊とはぐれてしまい道に迷う。そこは中国大陸の生い茂った深い森の中。時は深夜。

東西南北もわからなくなる程の深い闇。いつどこから敵が襲ってくるか分からない恐怖。

爺ちゃんは死を覚悟したそうだ。

すると馬が歩き出し爺ちゃんは馬の行きたい方向へ身を任せてみた。

不思議な事に明け方目にしたのは、はぐれた部隊が駐留している場所だったとか。

「あの時は馬に命を救われた」と爺ちゃんは言ってた。

そして敗戦。話しぶりから、当時の爺ちゃんがいた場所は中国といっても日本人は即、皆殺し。な感じではなかったようだった。

ただ帰国にあたって金目になりそうな?物資は全て引き渡さなければならない。当然、馬も。

「中国人にたづなを渡した時、あの時は本当に悲しくて涙が出たなぁ」と爺ちゃんは言った。

必死に一から世話を覚えて、馬の気持ちがわかるようになり、命まで助けて貰った馬との別れ。

それ以上、爺ちゃんはあまり語らなかったけど、別れの寂しさと共に、その馬の行く末を案じての涙でもあったんじゃないかなぁと思う。


「ねぇ爺ちゃん、こういう話って孫とかに話してあげてるの?」

「いや、こんな話したって孫は喜ばねぇし退屈だろうからさ」

・・・若い世代の人達は是非聞いてもらいたい。当時を知ってる人はもうそんなに多くはいないから。そんな爺ちゃんも、数年前に旅立ちました。

余談ですが、この爺ちゃん

「子供の頃、俺の枕元に置いた木箱ん中で飼い猫が子猫生んだんだぞぉ。俺が世話してさ。猫って隠れて産むだろ?ありゃ、めちゃくちゃ俺に心許してたね!」

と、私に自慢してた。「へーんだ!私だってそういう時来るかもしんないじゃん」「いやいや、ないね!」・・・子供の言い争いかっつーの(笑)

そんな楽しい思い出もあるナイスな爺ちゃんでありました



コメント
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