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~球児たちの あしあと~

高校野球ってなんだろう・・・ 横浜高校野球部 渡辺元智監督

2012-09-10 | 読書




「高校野球ってなんだろう」・・・横浜高校 渡辺元智監督さんの著書です。

この著書を読んで、何気に観ている高校野球に、そう問いかけられれば、

「高校野球って何だ?」・・・と思ってしまいました。

それには、最近高校野球、選手、指揮官に向けられる様々な観点からの意見や発言を聞いたり

目にしたりということもあったのもあり余計考えてしまいました。


渡辺監督さんが言われる、時代の流れで変化する子供(選手=生徒)の気質、

それを取り巻く環境の変化であったり、親の関わりであったり・・・。

読み進めるうちに改めてまず、監督さんって本当に大変な職業だなぁと。


私も少しだけ息子の野球に直接関わったことがありますが、いろんな考え方の親たちの元で育てられた子供、

目指す物、目指す所、野球感も違う子供たちの集団を、勝つという一つの目標に向けて、

また、野球をする中での教育という部分も含めて、毎年同じ過程の中で、毎年入れ替わる選手たちを

一まとめに束ねていかなければいけない指導者の方々には、

ご自分の経験以上に考え行動していかないといけない日々のご指導に頭が下がる思いです。

本当に野球が好きで、子供たちを愛していないと出来得ないことですよね。


世の中、色々な考えや感じ方、解釈の仕方、発言、行動をする人間の集まりな訳ですが、

読み進めていく中で、そういう「色々な人」へ、昔はこうだったからとか、

自分の時はこうだったからとか押し付けるのではなく、受け入れなくてはいけない時代の流れ、

物事の考え方や、人への関わり方の変化を受け入れつつ、子供とのコミュニケーションを一番に大事にされているところや、

現代の子供たちの発想の仕方も受け入れながら、しかし根っこは曲げない渡辺監督さんの指導や接し方にとても感銘を受けました。


特に興味深かったのが、野球に関わる親の存在です。

私も実際色々な親を見て来ましたが、必要不可欠な部分はもちろんあり無くてはならない所もありますが、

時には過剰な過保護の親もあり、我が子可愛さ余り指導者の采配にまで口を出したり、

親同士のいざこざも絶えない現状が実際にあり、逆に子供たちが真に野球を楽しんで、

自分で考えて行動するという大事な部分が段々と欠けて行き、

親が作る仲間意識の中で子供たち同士がギクシャクしてしまったりすることも少なくありません。


今、私は我が子が野球とは別の道に進んだので全く親が関わることもなくなりましたが、

私の場合、その方が子供にとっても私にとってもお互い成長するに良かったなと思っています。


過剰な過保護は子供の進歩、成長を止めてしまします。

いつまでも親の元、親の指示の元で生きて行くわけにはいかない子供たちですから、

自分で考え、自分で正しい道を選択し歩いていくことへのサポートをしてやれば良いと私は思っています。


飲み物は足りてる?あれした?これした?などという過剰な過保護は、

子供にとって、やってもらって当たり前という気持ちを植え付け考える力を失う毒薬にしか思えません。

それに気がつかない親御さんも多く、子供たちは・・・というと、本当はそういう過保護に楽してること本人が一番分かっているんですよね。


渡辺監督さんの幼少期から野球道を歩まれる中で、同じような事を感じられたのだろうと想像でき、

保護者のサポートは必要不可欠としながらも、部では過保護の排除を徹底されているところには共感しました。

また、そういう事へも監督さんが自ら注意を払わなければいけないこと自体に正直驚く部分もありました。

そうする事への批判も覚悟で、なぜ実行されるか・・・

答えは子供たちと野球がしたい。

そう私は感じました。

末尾にもその答えが渡辺監督さんの言葉で記されていました。

それが全ての答えかなと感じる言葉でした。


~あとがき~より抜粋

本書の執筆、編集作業が終盤に近づいた頃、第84回センバツ高校野球大会の出場校に選ばれた。

2年連続14度目の”春甲子園”の栄誉だ。

2011年秋に行われた関東大会の結果を考慮に選抜されたものだが、非常に微妙な選考だったと推測する。

とはいえ、甲子園出場の如何に関わらず、横浜高校野球部は、

1月9日の練習開始日にグラウンドを塩で清め、仏式で焼香して

部員全員の健康と無事故を祈念

そして1年間の努力と、勝利に対する強い意思を持ち続けることを誓った。

1973年の選抜で初出場初優勝してから、すでに39年の歳月が流れている。

そんな観概に浸りながら、グラウンドでセンバツ出場の喜びに沸く選手たちを見つめ

また、この子たちとともに踏ん張って行こう」と初心に帰った。


選ばれなければ出場できないセンバツ大会では「成功」と「勝利」と「栄光」が一体となって

初めて”野球の栄誉”を手にすることができる。

・・・が、その裏にはどれほどの「失敗」と「敗北」、「挫折」があったことだろう

進んでは立ち止まり、倒れては起き上がり、傷ついても不死鳥のごとく蘇ってきた。


子供たちと野球がしたい・・・

そのためには、余計な物は排除してしまえばいいというのではなく、周囲の援助に感謝し、

勝利を掴むという目標を持って、真に子どもたちと野球に取り組みたいという気持ちが伝えわる言葉でした。


私にも経験したことがないから本当の所は分からないのですが、横浜高校のような野球の名門といわれるチーム、

甲子園常連校、強豪と言われるチームを率いる監督さん、選手だからこそなのか?勝てば持て囃し、負ければ驚くほどの言葉が飛び交う。

最近では今夏、夏2連覇の期待を懸けられていた日大三高、そして昨日無事帰国の途に着かれたU18世界選手権に出場した選抜チームの

選手や指揮官へ向けられる言葉を目にすると、黙ってはいられない気持ちになる。

結果や、個人選手へ向けられる言葉、また、指揮を取られた小倉監督さんへ向けられた厳しい言葉。

責任って何か?何への責任か?

そして応援って何か?


勝敗・・・勿論勝ってくれたら嬉しいのは誰もだと思います。

でも、勝敗だけではないはず。

甲子園を目指す過程も、甲子園出場で経験することも、このU18の選手たちが初めて接する指揮官の下で

世界の選手たちと戦う中で得る物、選ばれた選手がそういう舞台で経験し得る物は勝ち負けだけとは違うもっと大きな物だと私は感じるし、

そのチーム、その選手たちと指揮官との奥にある物は、私たちギャラリーには計ることができない物があると思います。


前にも書いたことがありますが、人それぞれの考え方、物事の見方、そしてこういうネットの世界、表現の仕方も自由なのですが、

勝った負けたや、個人の選手の結果に対しても、指揮官への責任などという批判の言葉も、

自分の理想の展開でなかった不満にすぎず、そういう発言には不快という以上の物を感じます。


どれほどの失敗と敗北、挫折の中で、選手は指揮官を信じて、指揮官は子供たちと共に

がんばろうとしていることが分かろうとしない人は不満は自分の心で唱えればいい。

・・・そう私は思います。

未来夢ある選手たちを温かく見守ることはできないでしょうか。


著書の本分とは掛け離れてしまいましたが、渡辺監督さんの言葉は人間味感じ、

自分を見直すことができ、応援とは何か、また子育ての中で大事なこと、

ヒントが詰まっていて大変勉強になりました。


時代も常に動いている。


それならば一緒に勉強していくしかない。

「高校野球って何だろう」・・・


末尾にはこう記されていました。

答えはその時代々に出逢う選手たちと共に探し行く物なのでしょう。