大阪は昔から 「食いだおれの街」 と呼ばれていますが、
近年、お客様が “食い倒れる” ことは、まあ、ありません(笑)!
どちらかといえば、シビアで移り気なお客様に振り回されて
お店が “食えずに倒れる” ことはありますが ・・・ (困)。
大阪にも小奇麗で小洒落たお店が増えてきました。
(“どこが飲食店やねん ?! ” と言いたくなるお店もありますが・・・)
出来ては消え、消えては出来る ・・・ 飲食業界の宿命であり、
代替りすることは仕方ないことですが、大阪の飲食店である限り、
“うまい” “おもろい” などの “大阪らしさ” は必ず発揮してほしいものです。
仕事柄、私はあちこちの飲食店へ出没しているのですが、
最近、お店にもお客さんにも “大阪らしさ” が欠けている
ように感じます。
大阪は昔から、日本の伝統や今流行のトレンドだけでは
説明できない独特の 「空気感」 や 「間合い」 の文化があります。
特に、飲食店はその色合いが強く、お店の個性や使い勝手として
成立している場合が多く、私は大阪の飲食店とお客様の大人の
関係を 『貸し借りの商売』 と言っており、それが “大阪らしさ” だ
と位置づけています。(そういうお店が少ななりました!)
『貸し借りの商売』 とは、決して “お金の貸し借り” ではありません。
「空気感」 や 「間合い」 での人間関係の “機微の貸し借り” です。
例えば、
常連のお客様が扉を開けて入ってきて “空いてる?(いける?)”
その顔つきと声のトーンで店のスタッフ(特に大将やマスター)は、
“空いてるよ!(いけるよ!)” “ごめん!一杯やわ(無理!)” と
間髪入れずに返します。(考えたりいちいち内容は聞きません)
その “空いてる?” の一瞬の顔つきや態度から判断して、今日は
「接待」 「短時間」 「お忍び」 「金欠」 ・・・ などを判断して店側が
対応できるかどうかを即座に答えます。
“空いてるよ!” は “何とかします!” 的なニュアンスで、
“いけるよ!” は “私に任せて!” 的なニュアンスでしょうか。
当然、逆もあります。
席は空いているが、今日のお客様の動機や使い勝手に沿えないような
状況(空席の周りのお客様状態など)や店側の対応体制が薄い場合、
本当に良いお店は “すんません!(ゴメン!)” と返す場合があります。
そうした場面、お店と良い関係を構築して理解できているお客様ほど
“大将(マスター)、また来るわ!” と受け留めててくれます。
最近、
何一つ気づかない(気が回らない)お店の若いスタッフの対応に、
年配のお客様が文句も言えず、あきらめて我慢している様子や
自分の親ほどの大将やマスターに向かって、若いサラリーマンの
お客様が些細なことで傍若無人に罵声を浴びせている姿を見る
ことがあります。私はいい歳の大人として、また、飲食業に携わる
者として、遣る瀬無い気持ちになることがあります。
何が “貸し” で、何が “借り” なのかではなく、もちろん、
権利や義務といった関係ではなく、お店という一つの 「場」 で
起こる(生まれる)人間関係を楽しむ(育む)というのも飲食業でしか
味わえない 「空気感」 や 「間合い」 ではないでしょうか。
私はお客として大阪の飲食店でその感覚をたくさんもらいました。
また逆に、店スタッフとして提供してきたという自負もあります。
そういうお店が少なくなってきたことに寂しさを感じます。
本当に良いお店は長く続いてほしいものですし、店側は良いお店に
していく(継続する)努力が必要です。お客様には本当に良いお店を
見つけてほしいですし、自分が好きになれそうなお店では、本当に
良いお店になるように、“時には温かく、時には厳しく” そのお店や
スタッフを育てる支援をしてやってほしいと思います。
大阪の街には “うまいもん” がぎょーさんあります。
“うまい街舗” を探すも良し! “うまい街舗” に育てるも良し!
大阪の街舗には “うまいもんは売るほどありまっせ!”
・・・ みなさん、大阪を大いに楽しんでくださいな!