Takarazuka City
RICOH GR DIGITAL
深まる秋、というよりは冬の日でした。
ところで、最近思ったこと・・・。
(自分の腕の問題は高い高い棚に上げて)GRDはとてもいいカメラだけど、コンパクトデジカメ共通の欠点として、立体感が出にくい → 銀塩のコンパクトカメラ、CONTAX TVSとかR1なんかで撮ればよい。
パナソニックのLX-3は24㎜相当の広角が魅力だ → Silvi F2.8 は24㎜からのズームを搭載している。
D700と違い、D100はフルサイズではないし、古いニッコールレンズを装着した際に露出計が働かない → F100を使えば当然フルサイズだし、MFニッコールでも露出計が働く。
・・・要するに手持ちのフィルムカメラを使えば新しいデジカメを買う必要なんてないわけだ。
生活給付金を受け取ったら貯金に回してやろう。
Kure City
Nikon D100
先日、ふとしたことで、自分のすぐ目の前にある文字が読めない、というかピントが合わなくなっていることに気がついた。
眼鏡をした状態での「最短撮影距離」がどうやらおおよそ12㎝くらいになっている。自分の眼の「マクロ機能」は確かもっと高かったはずで、これがもしかすると、自分には縁のないものだと思っていた、世にいう「老眼」というやつかもしれぬ。
それなら遠方は見えるかというと、眼鏡をはずせば10㎝より遠いものにはピントが合わない。高校3年生以来の近眼である。
カメラのオートフォーカスよりも人間の眼の方が性能は高いとはいえ、マクロレンズや、最近のコンパクトデジカメが、すぐ目の前のものから遠くのものまですべてピントを合わせられるというのは、実にすごいことである。
写真は戦艦大和の艦橋。最上部にあって横に張り出しているのが15メートル測距儀。
日本光学(ニコン)製の、基線長約15メートルという、世界最大の距離計(レンジファインダー)である。主砲を撃つ前にこれでピント合わせを行うわけだ。
カメラのマニュアルフォーカスがオートフォーカスに敗れたように、これもレーダーに敗れた。
Nikon D100
先日、ふとしたことで、自分のすぐ目の前にある文字が読めない、というかピントが合わなくなっていることに気がついた。
眼鏡をした状態での「最短撮影距離」がどうやらおおよそ12㎝くらいになっている。自分の眼の「マクロ機能」は確かもっと高かったはずで、これがもしかすると、自分には縁のないものだと思っていた、世にいう「老眼」というやつかもしれぬ。
それなら遠方は見えるかというと、眼鏡をはずせば10㎝より遠いものにはピントが合わない。高校3年生以来の近眼である。
カメラのオートフォーカスよりも人間の眼の方が性能は高いとはいえ、マクロレンズや、最近のコンパクトデジカメが、すぐ目の前のものから遠くのものまですべてピントを合わせられるというのは、実にすごいことである。
写真は戦艦大和の艦橋。最上部にあって横に張り出しているのが15メートル測距儀。
日本光学(ニコン)製の、基線長約15メートルという、世界最大の距離計(レンジファインダー)である。主砲を撃つ前にこれでピント合わせを行うわけだ。
カメラのマニュアルフォーカスがオートフォーカスに敗れたように、これもレーダーに敗れた。
Kawanishi City
Nikon D100 Tokina 19-35mm F3.5-4.5
川西市にある多田神社で。
川西は清和源氏発祥の地で、多田神社は源氏の霊廟。源頼光や”八幡太郎”義家らが祀られている由緒ある神社だ。
ちなみに、来年の干支は馬ではなく牛。
Kakogawa City
Nikon D100 Tokina 19-35mm F3.5-4.5
昨日は妻と加古川市を散歩。
写真は加古川市内にあるニッケ(日本毛織株式会社)の社宅。
このあたり、砂利道に板塀やレンガ塀、木造住宅が並ぶ懐かしい風景が残っている。そのため、映画のロケにも使われたそうだ。
(追記)
ここを歩いていると、ふと夕張を思い出してしまった。
Kure City
Nikon FM2/T NIKKOR 24mm F2.8
呉の10分の1サイズ大和である。
大和をこの角度で見ると、ある年齢以上の男性は「大和」ではなく、「ヤマト」と見てしまうのではないか、と思ってしまう。が、もちろん波動砲の発射口は見あたらない。
(ちなみに、ここ大和ミュージアムの名誉館長は松本零士氏だ)
船首の下部が丸く突出しているが、これが球状船首(バルバス・バウ)。
今では当たり前になっている、当時としては最新の技術だ。これによって造波抵抗を減らし、速度をあげることができる。
古い時代の戦艦では、同じように水面下で船首を突出させた、衝角(ラム)というものを持つものがある。これはいわば飛び道具に対する匕首か銃剣のようなもので、敵の船腹に体当たりして沈めるための武器だ。
球状船首とちょっと似ているが非なるもので、大和の時代には当然もうそんな発想はない。
松本零士氏の漫画「キャプテンハーロック」には、ハーロックの乗る宇宙戦艦が先端にラムを出し、敵の宇宙船を体当たりで壊す場面がある。いかにも「宇宙海賊」らしい戦い方である。
Kyotango City
RICOH GR DIGITAL
英語ではただ On The Beach という小説と映画の単純なタイトルが、日本語で「渚にて」となると何となく文学的、抒情的な響きを持つのが日本語の奥深いところだ。しかも核戦争後の人類を描いているということで、個人的には多少の恐怖感を抱くタイトルでもある。
写真は丹後半島の琴引浜。
この浜は鳴き砂で有名なところだが、あいにくの小雨模様だったので鳴るはずもなし。それでも歩いてみようと、クルマを駐車場に止めて駐車料金(1回1000円)を払いに行くと、小屋にいたおじさんが「今日はこんな天気で砂も鳴らないから」とタダにしてくれた。
ところが、しばらく散歩して帰るときに見ていると、自分の次に入ってきたクルマからは料金を受け取っている。自分たちは軽く会釈して逃げるように出たのだが、あれは一瞬の気まぐれだったのだろうか。
ところで、日本の砂浜はかつてはどこも鳴き砂で美しかったのだろうなあ。と思ったのは 渚=なぎさ=なきさ=鳴き砂 という勝手な連想から。