Shanghai
RICOH GR DIGITAL
上海の街を歩いていると、異様に背の低い消火栓が目につく。
察するに、道路を整備して歩道を設けた際、消火栓はそのまま残したため、歩道をかさ上げした分だけ埋もれたのだろう。
上海では上ばかり見て歩いていると、消火栓にけつまずく恐れがある。
Shanghai
Leica M2 Elmar 50mm F2.8
こちらの少年と同一人物。
よく見ると首から鍵をぶら下げている。自分もそうだったようにこの子もカギっ子か。
ただ、実はこの子の母親がすぐ近くの店にいて、自分たちがこの子に通じるはずのない日本語で話しかけている様子を笑いながら見ていたのだった。
Leica M2 Elmar 50mm F2.8
こちらの少年と同一人物。
よく見ると首から鍵をぶら下げている。自分もそうだったようにこの子もカギっ子か。
ただ、実はこの子の母親がすぐ近くの店にいて、自分たちがこの子に通じるはずのない日本語で話しかけている様子を笑いながら見ていたのだった。
Shanghai
Leica M2 Elmar 50mm F2.8
たとえば、シャッター速度のダイヤルを500にセットしておくと、それでフィルム10本を撮りきったとしても、そこに記録された時間の合計は1秒にも満たない。何ヶ月もの間楽しみにしてきた、数日間の旅行の思い出なども、そのごく短い時間の中に記録されるわけで、そこが動画と違うところだ。
だから写真は貴重であるし、撮ることが緊張を強いられるものであったり、楽しかったりおもしろかったりするのだ。
現実とは別に、ニコニコ笑いながら何やら話しかけてきてくれたこのおじさんは、自分の記憶と、わずか500分の1秒で記録されたこの1コマの中にしか存在しない。
Kobe City
Leica Ⅲf Elmar 5cm F3.5
第2世代DVDの規格争いで、HD DVDの東芝が敗退、とか。
そういえば東芝はかつてのビデオ戦争でもベータ陣営だったから、どうもお気の毒、というしかない。
ちなみに、自分が生涯最初に買ったビデオデッキは東芝のベータ方式であった(先見の明なし)。
その教訓を生かして、というわけでもないが、我が家では、どうしてもテレビを録画する必要があるときは(そんなこと滅多にないのだが)、今もGコード予約でビデオに録画するのであって(ただしベータではない)、DVD録画なんて遠い世界の話だ。
人類の歴史は、木片や紙に始まる、まさに記録媒体の発明の歴史でもある。
次々と様々なメディアが生まれ消えていく中、半世紀以上も前の道具で、今もこうしてきちんと画像を記録することができるフィルムカメラとは何と偉大な発明であろうか、とライカ片手に思わずにいられない。
(似たようなことを以前にこちらにも)