和尚の大和路

和尚が撮った大和路写真を中心に、
旅で見つけた写真なども・・・

環濠集落

2012-01-26 05:16:35 | カメラ
デジブック大和路の桜ができました。

奈良盆地の各地には環濠集落の名残があります。
山の辺の竹之内や萱生などは、
山辺の道のパンフなどで紹介されていますが
遺構がそんなに残っているとは思いません。
むしろここよりももっと低地に行くと遺構が鮮明に残っています。
大和郡山の稗田や広陵町の南郷は素人目にもはっきり分かります。
古代環濠は別にして、今残っている環濠集落は室町時代後期のものが多く、
今、和尚が歩いている大和高田市内にも残っています。
市内の有井地区は昨年の吉野川分水調査で歩いていて
(予備知識なしで)分かった場所でありました。
今回の調査でも藤森地区や曽大根地区、磯野地区がはっきりとした遺構が残っています。
新しい住宅の建設などで境界が不鮮明になっているところが多い中で、
曽大根地区は地形図を見てもそれと分かる形で分かります。

ネットで調べてみました。
他にも松塚、土庫、岡崎、若槻、神楽が環濠であるらしいのですが
(環濠集落の)意識なしで歩いてみても分かりませんでした。
1万分の1の地形図で詳細に見れば分かるかもしれません。
気になっているので大和高田の1万分の1の地形図を手に入れます。
今日は曽大根地区を歩く予定になっているので、自前のカメラを携帯しよう。

ウィキペディアより
中世の環濠
『室町時代の後半の戦国時代では戦乱が多発し、
農村では集落を守るために周囲に堀(環濠)を巡らして襲撃に備えるところが現れ、
中世の環濠集落として現在も各地に点在している。
有力な仏教寺院が中心に存在し、規模が大きくなる場合は「寺内町」となる。
今も一部に環濠が残る今井町などが挙げられる』

規模の大きい堺の自由都市は環濠の都市版と言っても良いでしょう。

写真がないのは寂しいので
自画像


高見山


訂正:24日の記事で大和高田市の人口を約67,700人としましたが、間違いで約70,200人に訂正します。