伊勢本街道沿いには道標や常夜燈などがあります。
御杖の旧菅野村の僧光悦が残した供養碑が所々に見られます。
先日も榛原区(区はなくなったの?)澤あたりで
光悦とよく似た文字の碑を見ました。
何が書いてあるかよう分かりませんので
写真に撮ってきました。
夕方、ライトを当てて撮れば良かったのですが・・・。
六柱神社の近くです。
文字が分かるように大きくしました。
光悦のものですかね。
横に供養塔がありました。
御杖の旧菅野村の僧光悦が残した供養碑が所々に見られます。
先日も榛原区(区はなくなったの?)澤あたりで
光悦とよく似た文字の碑を見ました。
何が書いてあるかよう分かりませんので
写真に撮ってきました。
夕方、ライトを当てて撮れば良かったのですが・・・。
六柱神社の近くです。
文字が分かるように大きくしました。
光悦のものですかね。
横に供養塔がありました。
見たところ、「供養西国霊所巡礼」か、三十三か所巡りの記念碑的な印象を受けます。行悦の場合、「回国供養」でして、六十六部僧として全国を回る意味があります。実際には畿内だけだろうと思われますが・・・。また、彼の特徴は道標として「宮川まで何里と初瀬まで何里」という距離数も彫られています。この石碑は性格が違うような気もしますが、自然石に供養の文字は「おや!」と思ってしまいますね。
また実物を拝見してみます。
今まで見て来た光悦の供養碑は4文字でした。
今回も供養西国までは読めましたが、その時点で光悦のものではないと知るべきでした。
黒岩での分岐で野宿したすぐ前に行悦の「回国供養」がありました。