軍艦島は採炭のために三菱重工が買い取り、埋め立て化した採炭のための島です。

↑11月21日 軍艦島 長崎市端島にて
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明治23(1890)年、端島炭鉱の所有者であった鍋島孫太郎(鍋島孫六郎、旧鍋島藩深堀領主)が三菱社へ10万円で譲渡。端島はその後100年以上にわたり三菱の私有地となっておりました。

↑11月21日 軍艦島 長崎市端島にて
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↑赤レンガは三菱の本庁舎跡です。
人口が最盛期を迎えた年=昭和35(1960)年には5,267人の人口がおり、人口密度は83600人/km²と世界一を誇り東京23区の9倍以上に達したと記されています。
炭鉱施設・住宅のほか、小中学校・店舗・病院・寺院「泉福寺」・映画館「昭和館」・理髪店・美容院・パチンコ屋・雀荘・スナック「白水苑」などがあり、島内においてほぼ完結した都市機能を有していました。
階段を昇って行ったところが↓坑道の入口です。


↑11月21日 軍艦島 長崎市端島にて
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昭和49(1974)年1月15日に閉山。閉山時に約2000人まで減っていた住民は4月20日までに全て島を離れ、端島は無人島となりました。
軍艦島は、その後も三菱マテリアルが所有していましたが、平成13(2001)年、高島町(当時)に無償譲渡されました。所有権は、平成17(2005)年に高島町が長崎市に編入されたことに伴い、長崎市に継承されました。
建物の老朽化、廃墟化のため危険な箇所も多く、島内への立ち入りは長らく禁止されておりましたが、長崎市の「長崎市端島見学施設条例」と「端島への立ち入りの制限に関する条例」により、平成21(2009)年4月22日から観光客が上陸・見学できるようになり現在に至っております。

↑11月21日 軍艦島 長崎市端島にて
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明治23(1890)年、端島炭鉱の所有者であった鍋島孫太郎(鍋島孫六郎、旧鍋島藩深堀領主)が三菱社へ10万円で譲渡。端島はその後100年以上にわたり三菱の私有地となっておりました。

↑11月21日 軍艦島 長崎市端島にて
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↑赤レンガは三菱の本庁舎跡です。
人口が最盛期を迎えた年=昭和35(1960)年には5,267人の人口がおり、人口密度は83600人/km²と世界一を誇り東京23区の9倍以上に達したと記されています。
炭鉱施設・住宅のほか、小中学校・店舗・病院・寺院「泉福寺」・映画館「昭和館」・理髪店・美容院・パチンコ屋・雀荘・スナック「白水苑」などがあり、島内においてほぼ完結した都市機能を有していました。
階段を昇って行ったところが↓坑道の入口です。


↑11月21日 軍艦島 長崎市端島にて
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昭和49(1974)年1月15日に閉山。閉山時に約2000人まで減っていた住民は4月20日までに全て島を離れ、端島は無人島となりました。
軍艦島は、その後も三菱マテリアルが所有していましたが、平成13(2001)年、高島町(当時)に無償譲渡されました。所有権は、平成17(2005)年に高島町が長崎市に編入されたことに伴い、長崎市に継承されました。
建物の老朽化、廃墟化のため危険な箇所も多く、島内への立ち入りは長らく禁止されておりましたが、長崎市の「長崎市端島見学施設条例」と「端島への立ち入りの制限に関する条例」により、平成21(2009)年4月22日から観光客が上陸・見学できるようになり現在に至っております。