またまた、南海高野線の話です。高野線は大きく橋本以北の都市圏(平坦区間)と以南の山岳区間に分けられます。
この山岳区間は未だに単線で、短めの山岳専用車両しか乗り入れられず、平成17(2005)年10月以降は山岳区間内の折返し列車が主となりました。
なおこの区間は特急以外全て各駅に停車します。駅舎も戦前のものと思われる古めの駅舎が多いですね。
専用車両と言うのは↓2000系と2300系です。車体長もカ-ブの関係で17m車です。
↑ 7月4日 南海高野線 紀伊清水⇔橋本間
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追伸
今晩から東京へ行きます。3週間前発売でしたので夜行バスの切符5370円と割安です。
この山岳区間は未だに単線で、短めの山岳専用車両しか乗り入れられず、平成17(2005)年10月以降は山岳区間内の折返し列車が主となりました。
なおこの区間は特急以外全て各駅に停車します。駅舎も戦前のものと思われる古めの駅舎が多いですね。
専用車両と言うのは↓2000系と2300系です。車体長もカ-ブの関係で17m車です。
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今晩から東京へ行きます。3週間前発売でしたので夜行バスの切符5370円と割安です。
ずっと南海高野線の話になって申訳けありません。最近ココしか訪問していないので、お許しを(笑)。
6月28日(日)ですけど、前日は曇りがちのお天気で、6100系のさよならヘッドマ-ク付を追いかけて撮ったものの、あまりパッとしない写真ばかりでしたので、晴天になったこの日再度撮影に行きました。
この日は自家用車です。ちょっと痛風発作が出始めて足が痛くなっていたので車を利用しました。
↓難波⇔和泉中央間の区間準急で運用に入ってましたけど、難波16時2分発は、橋本行きの区間急行として使用されていました。
我孫子前の駅を通過して、大和川の鉄橋に差し掛かるところです。大阪市の一番南部ですね。
↑ 6月28日 南海高野線 我孫子前⇔浅香山間
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6月28日(日)ですけど、前日は曇りがちのお天気で、6100系のさよならヘッドマ-ク付を追いかけて撮ったものの、あまりパッとしない写真ばかりでしたので、晴天になったこの日再度撮影に行きました。
この日は自家用車です。ちょっと痛風発作が出始めて足が痛くなっていたので車を利用しました。
↓難波⇔和泉中央間の区間準急で運用に入ってましたけど、難波16時2分発は、橋本行きの区間急行として使用されていました。
我孫子前の駅を通過して、大和川の鉄橋に差し掛かるところです。大阪市の一番南部ですね。
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6月27日(土)、6月28日(日)、7月4日(土)と連続で南海高野線に繰り出しました。南海高野線と言えば「天空」も走り出しましたが、まだまだ看板列車と言えば↓「こうや号」ですね。
↓橋本を出て高野山方面へ進むと紀ノ川の鉄橋を渡ります。
↑ 7月4日 南海高野線 紀伊清水⇔橋本間
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形式は30000系。昭和58(1973)年に高野線橋本以遠の山岳線区直通特急用として、先代の20000系を置き換える形で導入されました。
登場以来四半世紀経過していますけど、前面は非貫通のパノラマタイプ。車体塗装は白地に赤帯の高野線特急共通塗装です。まだまだ高野線のクイ-ン特急として活躍しています。
↑ 7月4日 南海高野線 紀伊清水⇔橋本間
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↓橋本を出て高野山方面へ進むと紀ノ川の鉄橋を渡ります。
↑ 7月4日 南海高野線 紀伊清水⇔橋本間
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↑ 7月4日 南海高野線 紀伊清水⇔橋本間
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話は6月27日(土)に戻り、南海6100系の話の続きです。泉北高速深井駅で6100系を撮ってからも、まだ追いかけました。↓今度は浅香山駅です。
↑ 6月27日 南海高野線 我孫子前⇔浅香山間
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難波まで行った区間準急の戻りをねらってみました。お天気は、そんなによくなくて日差しは望めませんでしたね。
その後は、新今宮駅で再度、泉北和泉中央駅まで行った6100系の戻ってくるのを待ち最後の撮影としました。
一昨日の7月5日に、この6100系6107Fも営業運転を終了したようですね。今後は6300系として再デビュ-します。
↑ 6月27日 南海高野線 今宮戎⇔新今宮間
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難波まで行った区間準急の戻りをねらってみました。お天気は、そんなによくなくて日差しは望めませんでしたね。
その後は、新今宮駅で再度、泉北和泉中央駅まで行った6100系の戻ってくるのを待ち最後の撮影としました。
一昨日の7月5日に、この6100系6107Fも営業運転を終了したようですね。今後は6300系として再デビュ-します。
↑ 6月27日 南海高野線 今宮戎⇔新今宮間
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7月3日(金)に運行開始された南海高野線山岳区間(橋本⇔極楽橋間)の観光列車「天空」に乗って着ました。天空1号と2号を橋本⇔紀伊清水間で撮影した後、橋本駅の駐車場に車を停めて天空3号に乗り込みました。
↑橋本駅ホ-ムに設置された指定券引換ブ-スです。指定券は電話予約して予約番号聞き、当日発車前にココで購入する方式です。
列車は天空車両2両=全指定席と、後ろに2000系2両=自由席が連結されていました。1号車がモハ2258、2号車がモハ2208でした。もちろん天空は、この1編成だけです。
従来の2200系の2203編成が改造されたものですが、改造車の形式称号・車番はモハ2208形2208とモハ2258形2258となりました。車番の"08"は橋本の「ハ」を、"58"は高野山の「コーヤ」を表しているとのことです。車中の案内放送でも、そう説明されていました。
↑車内は、こんな感じです。座席は木目調で、車端部がテーブル付きの固定クロスシート、扉間は海側に向いた2列のロングシートとなっています。ロングシートの列には段差が付けられて、一段高くなっています。
2208の前扉内側に固定式の柵が設置され、その部分が展望デッキとなっています。また、海側の側窓が、運転台扉と前扉の間を除いて連続窓に改造されています。
電車は、弘法大師が開いた奥深い山々の間をぬうように走り、開放されたデッキを森林の澄んだ空気が吹き抜けて行きました。1時間弱のトリップを楽しむことが出来ました。
↑7月4日 南海高野線極楽橋駅に到着した「天空」2258+2208
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↑橋本駅ホ-ムに設置された指定券引換ブ-スです。指定券は電話予約して予約番号聞き、当日発車前にココで購入する方式です。
列車は天空車両2両=全指定席と、後ろに2000系2両=自由席が連結されていました。1号車がモハ2258、2号車がモハ2208でした。もちろん天空は、この1編成だけです。
従来の2200系の2203編成が改造されたものですが、改造車の形式称号・車番はモハ2208形2208とモハ2258形2258となりました。車番の"08"は橋本の「ハ」を、"58"は高野山の「コーヤ」を表しているとのことです。車中の案内放送でも、そう説明されていました。
↑車内は、こんな感じです。座席は木目調で、車端部がテーブル付きの固定クロスシート、扉間は海側に向いた2列のロングシートとなっています。ロングシートの列には段差が付けられて、一段高くなっています。
2208の前扉内側に固定式の柵が設置され、その部分が展望デッキとなっています。また、海側の側窓が、運転台扉と前扉の間を除いて連続窓に改造されています。
電車は、弘法大師が開いた奥深い山々の間をぬうように走り、開放されたデッキを森林の澄んだ空気が吹き抜けて行きました。1時間弱のトリップを楽しむことが出来ました。
↑7月4日 南海高野線極楽橋駅に到着した「天空」2258+2208
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一昨日の7月3日(金)より正式営業運転が開始された南海電車の「天空」を昨日撮ってきました。
世界遺産・高野山への旅を演出する南海電鉄の展望デッキ付き観光列車「天空」が誕生し、既に4月29日(祝)から計7回に亘り、予約制でプレ運行が実施されていました。
ブレ運行時に撮影したことは、なかったのですが7月3日からの定期運行をさっそく撮ってきました。車体は、↓ご覧のように深緑をイメージした緑地に赤い帯がのびたデザインです。
↑ 7月4日 南海高野線 紀伊清水⇔橋本間 天空1号
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天空1号と2号を撮影しましたが、場所は橋本を出て紀ノ川を渡った地点ですけど、なかなか良い出来だと自分では満足しております。
実は先週日曜日夜から持病の痛風発作が発症して、まだ左膝が痛かったのですけど… 右足しか車の運転には使わないので、自家用車で橋本まで行ってみました。
↑ 7月4日 南海高野線 橋本⇔紀伊清水間 天空2号
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世界遺産・高野山への旅を演出する南海電鉄の展望デッキ付き観光列車「天空」が誕生し、既に4月29日(祝)から計7回に亘り、予約制でプレ運行が実施されていました。
ブレ運行時に撮影したことは、なかったのですが7月3日からの定期運行をさっそく撮ってきました。車体は、↓ご覧のように深緑をイメージした緑地に赤い帯がのびたデザインです。
↑ 7月4日 南海高野線 紀伊清水⇔橋本間 天空1号
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天空1号と2号を撮影しましたが、場所は橋本を出て紀ノ川を渡った地点ですけど、なかなか良い出来だと自分では満足しております。
実は先週日曜日夜から持病の痛風発作が発症して、まだ左膝が痛かったのですけど… 右足しか車の運転には使わないので、自家用車で橋本まで行ってみました。
↑ 7月4日 南海高野線 橋本⇔紀伊清水間 天空2号
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南海難波駅で停まっていた昨日ブログの6107Fに乗り込んで、中百舌鳥駅へ着ました。↓そこで見送って撮った一枚です。
左側の線路は、河内長野方面行きの南海高野線ですが、この列車は泉北高速鉄道へ入り和泉中央駅まで行きます。もう少し進むと地下へ入って大きく右の方へカ-プして、やがて泉北ニュ-タウンへと続く高架線路を走ります。
この6100系を中百舌鳥駅で見送った後、後続の列車でその泉北高速鉄道に乗りました。一つ目の駅=深井駅で降りて、先行の6100系が終点和泉中央から戻ってくるのを待ちました。
それで撮影した画像がコレです↓ 光線の関係で後追い写真となりました。
↑ 6月27日 泉北高速鉄道 深井⇔中百舌鳥間
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左側の線路は、河内長野方面行きの南海高野線ですが、この列車は泉北高速鉄道へ入り和泉中央駅まで行きます。もう少し進むと地下へ入って大きく右の方へカ-プして、やがて泉北ニュ-タウンへと続く高架線路を走ります。
この6100系を中百舌鳥駅で見送った後、後続の列車でその泉北高速鉄道に乗りました。一つ目の駅=深井駅で降りて、先行の6100系が終点和泉中央から戻ってくるのを待ちました。
それで撮影した画像がコレです↓ 光線の関係で後追い写真となりました。
↑ 6月27日 泉北高速鉄道 深井⇔中百舌鳥間
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先週6月27日(土)には、南海高野線へ行ってきました。
↑コレを撮りに行きました。6100系です。
6100系は、昭和45(1970)年からの新製車で、6000系同様のステンレス車体ですが、側扉が1.3m幅の両開き式となり、側窓は一枚下降式になるなどの変化が見られます。
写真の6107Fも台車交換のため明後日=7月5日の営業運転を最後に「6100系」としての役目を終え、39年の歴史に幕を閉じることになっています。
「パイオニアⅢ」台車は、昭和45(1970)年の導入当時としては構造が簡単で軽量、接地性も良好で、しかも乗り心地に優れる台車でした。
また、ディスクブレーキを採用することで、路面の状況に関わらず常に安定したブレーキ力を維持でき、停車距離の短距離化、停止時のショックの軽減や保守の容易性など、多くのメリットを持っていました。
しかし、導入からすでに数十年が経過し、乗り心地のさらなる向上やメンテナンスの観点などから、平成8(1996)年から更新工事を施工することになり、別の台車に交換されました。
今回、約40 年にわたり使用してきた「6100 系」車両と「パイオニアⅢ」台車への敬意と感謝をこめて、『さよなら6100 系 パイオニアⅢ台車 1970-2009』ヘッドマークをつけて走行していると言うことなので、南海難波駅へ馳せ参じた次第です。
←クリックお願いします。
↑コレを撮りに行きました。6100系です。
6100系は、昭和45(1970)年からの新製車で、6000系同様のステンレス車体ですが、側扉が1.3m幅の両開き式となり、側窓は一枚下降式になるなどの変化が見られます。
写真の6107Fも台車交換のため明後日=7月5日の営業運転を最後に「6100系」としての役目を終え、39年の歴史に幕を閉じることになっています。
「パイオニアⅢ」台車は、昭和45(1970)年の導入当時としては構造が簡単で軽量、接地性も良好で、しかも乗り心地に優れる台車でした。
また、ディスクブレーキを採用することで、路面の状況に関わらず常に安定したブレーキ力を維持でき、停車距離の短距離化、停止時のショックの軽減や保守の容易性など、多くのメリットを持っていました。
しかし、導入からすでに数十年が経過し、乗り心地のさらなる向上やメンテナンスの観点などから、平成8(1996)年から更新工事を施工することになり、別の台車に交換されました。
今回、約40 年にわたり使用してきた「6100 系」車両と「パイオニアⅢ」台車への敬意と感謝をこめて、『さよなら6100 系 パイオニアⅢ台車 1970-2009』ヘッドマークをつけて走行していると言うことなので、南海難波駅へ馳せ参じた次第です。
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6月20日、山川温泉へ行った時のことですけど、由布院からの道すがら国鉄の廃線跡を弊走しました。
大分県玖珠郡九重町の九大線恵良駅から熊本県阿蘇郡小国町の肥後小国駅までを結んでいた、旧国鉄の鉄道路線=宮原線です。
昭和55(1980)年の国鉄再建法の施行を受け、第一次特定地方交通線として昭和59(1984)年に全線が廃止されました。なお、線名の宮原(みやのはる)とは、終点の肥後小国駅のある阿蘇郡小国町の字名です。
実は、この宮原線私の乗車地図によると昭和51年に乗ったことになっているのですが、記憶がほとんどありません。確か当時もう朝夕しか列車が走っておらず乗り難い路線であったことは、おぼろげに覚えております。
↓この橋は、汐井川橋梁と呼ばれていた橋で、国道387号線から山川温泉方面へ入るところにありました。今も列車が走って来そうな雰囲気でしたね。
↑ 6月20日 旧宮原線 汐井川橋梁
↓ 廃止された駅のホ-ムも残っていました=北里駅です。ホームが保存され、地元の特産品や野菜を売る店が隣に建っていました。
ホームの上屋とベンチは廃止後、新設されたもののようでした。
↑ 6月20日 旧宮原線 北里駅跡
廃止された鉄道の廃線跡を探訪する廃線マニアと呼ばれる鉄道マニアもけっこうおられるようですが、私は特別それだけを目的として廃線跡を訪ねることは、ないでけすど… 温泉旅行の途中ですけど、こういうのも面白いなぁ~と感じました。
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大分県玖珠郡九重町の九大線恵良駅から熊本県阿蘇郡小国町の肥後小国駅までを結んでいた、旧国鉄の鉄道路線=宮原線です。
昭和55(1980)年の国鉄再建法の施行を受け、第一次特定地方交通線として昭和59(1984)年に全線が廃止されました。なお、線名の宮原(みやのはる)とは、終点の肥後小国駅のある阿蘇郡小国町の字名です。
実は、この宮原線私の乗車地図によると昭和51年に乗ったことになっているのですが、記憶がほとんどありません。確か当時もう朝夕しか列車が走っておらず乗り難い路線であったことは、おぼろげに覚えております。
↓この橋は、汐井川橋梁と呼ばれていた橋で、国道387号線から山川温泉方面へ入るところにありました。今も列車が走って来そうな雰囲気でしたね。
↑ 6月20日 旧宮原線 汐井川橋梁
↓ 廃止された駅のホ-ムも残っていました=北里駅です。ホームが保存され、地元の特産品や野菜を売る店が隣に建っていました。
ホームの上屋とベンチは廃止後、新設されたもののようでした。
↑ 6月20日 旧宮原線 北里駅跡
廃止された鉄道の廃線跡を探訪する廃線マニアと呼ばれる鉄道マニアもけっこうおられるようですが、私は特別それだけを目的として廃線跡を訪ねることは、ないでけすど… 温泉旅行の途中ですけど、こういうのも面白いなぁ~と感じました。
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