以前からポルトガルの駅を取材している。いつもは旅の途中で見かけた標識に出会ったら、ついでに「駅はどこだ~」と探しに行くのだが、今回はサンタレンとヴィラ・フランカ・デ・シーラの駅をわざわざ目指して行った。というのも美しい駅舎の写真を見つけたからだ。
この二つの駅はリスボン、ポルトを繋ぐリニア・ド・ノルテ(北線)にあり、わりと近くだから取材しやすいし、我が家から日帰りで行ける。といっても片道2時間はかかるけど。
ヴィラ・フランカ・デ・シーラ駅
北線、Linha do Norte、
1856年9月28日開通、1928年現在の駅舎完成。
ヴィラ・フランカ・デ・シーラ県、
インテルシダーデ、レジオナル、ウルバノ停車駅、
ヴィラ・フランカ・デ・シーラ駅舎。期待通り、立派な駅舎で、アズレージョが美しい。
現在も現役として活躍。
ホーム側を飾るアズレージョ。昔は川の漁業や農業が盛んだったことがうかがえる。現代は周りに工場が立ち並び、国道はクルマやトラックがひっきりなしに走っている。
テージョ川沿いにある町だから、昔は船の利用が多かったのだろう。
川のほとりで洗濯をする女たち。
サンタレン
サンタレンは紀元前2世紀にローマ人によって造られたルシタニアの中心として栄えた町。8世紀にはアラブ人によって400年以上も支配され、その後初代ポルトガル国王となるアフォンソ一世がサンタレンを奪回した。同じころに奪回したリスボンと共にレコンキスタの基礎となった。
サンタレン駅
1861年7月1日開通、
北線、Linha do Norte、
アルファ、ペンドゥラール、インテルシダーデ、レジオナル停車駅
サンタレン駅舎
サンタレン駅舎ホーム。この駅舎のアズレージョも素晴らしい。
コンヴェント・サンフランシスコ
テージョ川に架かるポント・デ・サンタレン
サンタレンの占領。トマダ・デ・サンタレン。初代国王アフォンソ1世の軍勢が城の石垣を登ってアラブ人の立てこもるサンタレン城に攻め込んだ時の様子。
昔の農作業風景
アルコ・ダタマニャ、ドン・アフォンソ・エンリケスがサンタレンに入って来た場所。
イチジクの泉 Fonte da Figueira
サンタレン駅・機関士と駅長。
機関士のラフな服装にびっくり。でも列車とコーディネイト。北線は幹線なので列車はしょっちゅう。私たちが居る少しの間にも、駅長は駅長室とホームを行ったり来たり、忙しく走り回っていた。
MUZ 2018/11/01
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