その日はスペインからポルトガルのモウラオンに入り、モンサラーシュに向かった。
二年ぶりに見る景色は息を飲むように激変していた。
丘あり、谷ありだった広大な地域がほとんど水没して、見渡す限りの湖になっている。
以前は丘の頂上だった所が、湖の中で小さな島になってわずかに残っている。
そこにはつい最近まで使っていた道が、切り取られた部分として形を留めているのがなんだか哀れだ。
アルケイバに大規模なダムが完成して、このあたりはダム湖になってしまったのだ。話には聞いていたが、こんなに広大だとは想像以上だった。
モンサラーシュとダム湖
ダム湖に新しく掛けられた、とても長い橋を渡って、モンサラーシュへの道へ右折したとたん、トラックが故障して止まっているのが見えた。
運転手がこの暑い中、汗だくで修理をしている。
このところまた猛暑がぶり返して、気温は40度はあるかもしれない。
「気の毒に…」と思いながら、脇を通り、モンサラーシュへ登って行った。
モンサラーシュの城からの眺めは素晴らしい。
でも何か悲しい美しさだ。
以前、モンサラーシュに泊まった時を思い出す。
次の朝テラスに出ると、はるか下には白い雲海が一面に広がり、あたりの小山の頂上がポカリポカリと頭を出して、幻想的な風景を作り出していた。
それが今では雲海ではなく、現実的な水が満ちて、小山の頂上は本当の島になってしまった。
そこには水鳥が数羽泳いでいて、川舟も一双浮んでいる。
以前の風景を知っている者にとって、なんとも奇妙な感覚だ。
でもとても美しい景色。
モンサラーシュの城壁から見えるダム湖と長い橋
観光客も村の中をぞろぞろと歩いている。以前はこんなに多くはなかった。
廃墟だった家もきれいにリメイクされて、民芸品店になっている。
民宿も一軒増えている。
他の二軒の廃墟も工事の真っ最中で、そのうちの一軒は若い人が経営するカフェになるようだ。
あと数軒の廃墟もどんどんリメイクされることだろう。
この活気はダム湖ができたおかげかもしれない。
モンサラーシュを初めて訪れたのは、もう13年ほど前になるだろうか。
その時は秋の夕方、レドンドからローカルバスに乗り、レグェンゴスに着いた時はもう真っ暗になっていた。
二軒しかないペンションを訪ねたが、どちらも「部屋はもうない」と断られてしまった。
まだ7時過ぎなのに。
そのうちの一軒が経営するカフェで、途方に暮れている私たちを見かねたのか、経営者やお客たちが「あれやない、これやない~」と騒いで、「モンサラーシュに行ったら部屋が空いてるだろう」という結論に達した。
「モンサラーシュ?」
私たちにとってはその時初めて耳にした地名。
「ここから10キロぐらいの所にある村で、もうバスもないからタクシーで行くしかないよ。」
幸いなことに、タクシーの運転手もその中に混じっていたから、話は早かった。
真っ暗な中をタクシーは猛スピードで走り、やがて見えてきた小山の頂上に点滅する、かすかな灯りに向かって登って行った。
「こんな寂しい所にペンションがあるのだろうか?」
私たちはとても不安だった。
やがてタクシーは古い石の門をくぐり、そこで止まった。
細い石畳の道の両側に民家が並んでいる。
運転手はそのうちの一軒のドアをたたいて、中から出てきた人と話をしていた。
でもそこは満室らしく、運転手はもう一軒の民宿に行って尋ねてくれた。
そこにようやく空室が見つかり、私たちはこれでほっと一安心。
運転手に大感謝!
彼も安堵の表情でレグェンゴスの町へ引きかえして行った。
宿泊の手続きをしていると、若いカップルが帰って来た。
泊り客は彼らと私たちの二組だけだと言いながら、女主人は二階にある部屋に案内してくれた。
そして部屋の隣にあるサロンの灯りを付けた。
アンティックの立派な戸棚や椅子、重々しいテーブルなどがあり、壁には古い壁画が描かれている。
モンサラーシュはスペインとの国境に接しているので、もともと見張りのための山城だった。
女主人の話では、この家は昔ここに駐在していた軍隊の指揮官が住んでいたのだと言う。
普通の民家ではなく、由緒ある家だったのだ。
次の朝、ヴェランダに出ると、下界は真っ白な雲海が覆いつくしていた。
雲海のところどころから小山のてっぺんがぽこぽこと顔を出している。
部屋の下には小さな庭があり、黄色いレモンが鈴なりになっている。
そのレモンをもぎっている女性と目が合った。
「ボンディーア」
彼女はそう言ってにっこり笑った。
城壁から村を望む
朝食をすませて村の中を歩き回った。
中心の広場には村の規模には不釣り合いなほど立派な教会がある。
そこを過ぎてまっすぐ行った突き当りに城跡があった。
驚いたことに城の中は小規模な闘牛場になっていて、周りは石組の階段席になっている。
今でも時々闘牛が開催されるという。
村を一周するのに20分ほどもかからない。
1周すると360度の下界が見張らせる。
イワツバメが城壁の下を飛び回り、どこからともなくチロチロと羊の付けた鈴の音が聞こえてきた。
日向ぼっこをしている老人たちの話では、モンサラーシュ村には103人の人たちが住んでいると言っていた。
103人しか住んでいないということか、103人も住んでいるという意味か、どちらにしても印象的な数字だった。
城から教会広場への道
バスがやって来るまで一時間以上ある。
私たちも日向ぼっこをしながら下界の景色を楽しんでいた。
そこに、宿で見かけた若いカップルがやって来て、何処まで行くのかと声をかけてきた。
「この先のモウラオンという村まで」と言うと、「僕等もそこに行くから車に乗せてあげるよ」ということで彼等と一緒に行くことになった。
ポルトからやってきたこの若いカップルは新婚旅行でアレンテージョを回っているという。
「モウラオンに行く前に、このすぐ近くのサン・ぺドロという村に行きたいからちょっと寄り道していいかな」
陶器を買いに行くという。
この近くにそんな村があることは初耳だったので、もちろん私たちも大乗り気。
モンサラーシュの麓にあるサン・ペドロは陶器作りの村で、道の脇に数軒の店がある。
ロクロをひねったり、絵付けをしたりしている作業場の一角に出来上がった製品が並べられていた。
赤茶色の素焼きの皿に図柄を彫り、濃紺の上薬に白の絵付け。
とても細かい仕事だ。
彼等はおみやげにいくつか買った。
私たちもわりと大きな絵皿を2枚買って、そのうちの一枚を彼等の結婚祝いとしてプレゼントしたら驚いていたが、喜んでくれた。
それからモウラオンに行って、一緒にお城を見たあとお茶を飲んでから別れた。
13年前の想い出である。
モンサラーシュを最初に訪れた時以来、すっかり気にいって、「ちょっとモンサラーシュに…」と、気軽に一泊旅行を重ねてきた。
宿は…、何時ものところ。
このごろは部屋ごとに石造りの広いバスルームができている。
ただし、部屋は五つしかない…。
MUZ
©2004,Mutsuko Takemoto
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(この文は2004年9月号『ポルトガルのえんとつ』に載せた文ですが2019年3月末日で、ジオシティーズが閉鎖になり、サイト『ポルトガルのえんとつ』も見られなくなるとの事ですので、このブログに少しずつ移して行こうと思っています。)