82歳からの旅

私の記録

昭和・平成時代になって、無造作に捨てた大切なもの~其の心とは

2013年10月28日 10時02分02秒 | 随筆
           10月28日月曜日  
 私の家に甘柿の木があって、秋になると美味しい甘柿がなります。でも今はそれを食べる人は、私だけです。それで小さい柿が鈴なりに、なっていて熟して畑に落ちて汚いのです。

 田舎に妹がいますが、妹も柿が実って熟して畑に落ちて汚いと言って困っています。

 私達が幼い時は食べ物が有りませんでした、それで柿などは貴重な食べ物でした。それで農家は何処の家も、柿の木の2~3本は植えていました。

 それが過疎化の現象で農村から若者が去り、高いところになっている柿が採れないのです。又消費文化の影響もあるのか、柿は買って食べています。

 売っている柿は実も大きくても少なく、家になった柿よしも綺麗にしています。でも家で出来た柿も食べて見ると、其の味も美味しくて捨てる物でもありません。のに・・・・・・

 私たち戦後の食べ物のなかった時代に育った者にとっては、納得のいかない事です。サツマイモの蔓さえ、食べていたのですから。

 柿の話から・・・昭和の時代まで田舎では、渋柿は皮をむいて干し柿にして軒下につるしていました。むいた皮は干して、それも食料にしていました。

 農家では暑い日中や・寒い日に働いて、作った物に捨てる物などありませんでした。
米で例えると
 米の茎(藁)は ・ 牛の食料に  ・藁葺き屋根の材料に沢山使う 
  ・ 藁細工の原料に 畳 履き物の草履作りの ・田んぼの肥料にする等
 
お米      ・ 日本人の主食として食べる
 玄米を白米にすると、米ぬかができる ・ ぬか漬けの原料に・ 牛の食べ物に
                          ・ 肥料になる
 米がら(出来たお米の皮・籾がら)   ・ 炭を焼く時に使う
                    ・ 芋など冬に保存するときに、寒さを防
                      ぐために使う
                    ・ 腐らせて肥料にする等
 一つだって捨てる物などありませんでした。 

 科学や文化の進歩によって、労働や生活が便利になって来たのはいいことです。然し捨て去った物や、失った物も少なくありません。 

 人類が永い間に苦労して見つけ・作り出した物を、私達は次の世代に継承しなければなりません。言い換えれば文化遺産を次の世代に、継承する義務があるのです。

 戦後にいや核家族になってから、失ったり忘れ去られた物や心の如何に多いことか。勿体ない・勿体ない事よ。       

 人間は土を生かして生き、使った物は土に返して腐らせるのです。私達を支え生かしてくれる、地球をその儘で次の世代に残してあげるのです。鉄は酸化してボロボロになりますが、ビニールや、原発などは汚染水でさえ次の世代には残せません。

 今の生活は便利で比較的に、安くて電気が作られていいのですが受け継いだ子供や孫はどうするでしょうか????・・・・・・地球上にいらない物が、永い年月の間に溢れてくる事は間違い有りません。
 
            私どうしましょうかね    
 
    困り果て頭が狂いそうです・困った困ったよ。nt>