明日は憲法記念日。時の政府は解釈改憲に向けて意気軒昂ですね。手段を選ばず、国民の声を無視して暴走する国家権力の姿は、逆に自らの危機感や焦りを露呈しながら醜態をさらしているとしか映りませんが、自らを客観視することなどできなくなっているのでしょうね。
でも、さらに驚くべき事実は、国民の6割もがその政権を消極的にでも支持しているという世論調査の結果です。私の周りには該当者が皆無に近いので、信じがたい事実ですが...それさえも操作されているのでは?と疑いたくなります。
最近の東京新聞朝刊より、「積極的平和主義」と「戦争できる国」に関連した記事を紹介します。
白井聡氏(政治学者)投稿(2014年4月13日)
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連続企画 「秘密保護法 言わねばならないこと #20」
「戦争できる国」狙う
報道の自由という観点から見て大変危険な法律であることは確かだが、それ以上に大きな問題がある。それは、国家安全保障会議(日本版NSC)の新設や集団的自衛権の行使を容認する憲法解釈の変更などと並び、日本を「戦争ができる国」にするための政策パッケージの一環だということだ。
安倍晋三の訴える「積極的平和主義」は、戦後の日本の平和主義を「消極的」だと否定している。戦争をしないことで安全を保つのか、することで保つのか。その点で発想の大転換が行われた。
だが、こうした方針に漠然と賛成している人に、これから中国やアジア諸国との関係がさらに悪化し、実際に武力衝突が起きることへの本当の覚悟があるとは思えない。これこそが「平和ボケ」というものだ。
僕の知る限り、こうした事態に対して、特に若い世代の関心があまりに低い。政治に深く絶望する気持ちも分かるが、多くは国家権力がどういうものか、深く考えたこともないのだろう。国家は常に国民を優しく包み込んでくれるものだ、という現実離れした感覚なのではないか。
庶民がどう思おうが、国家には国家の意思があり、時に個人との決定的な対立が生じうることを分かっていない。例えば、福島や沖縄には、実際に国家の犠牲になっている人がいる。
では、本当に戦争となった場合、いったい、誰が行くのか。若い人だ。そんなことも分からずに、国を戦争へ近づける動きを支持するような間抜けなことをしていると、むしられます。お金だけじゃなくて、命までむしられる。それが嫌なら、知ろうとする努力をしなけりゃいけない。
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この白井氏の投稿を受け、読者の岩沢俊之氏(東京都足立区 54歳)が読者の投書欄に以下の投稿を寄せました(2014年4月24日)。まさしく我が意を得たり!という内容でした。
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国民投票法改正の狙い
13日付一面の連続企画「秘密保護法 言わねばならないこと」は、「『戦争のできる国』狙う」の見出しで、政治学者の白井聡氏が安倍晋三首相の提唱する「積極的平和主義」の危険性について言及している。
一方、自民、民主など与野党7党が国民投票法の改正案を共同提出し、投票権年齢を18歳に引き下げようとしている。選挙権の年齢引き下げと同様、以前から議論されていたことだが、政権側の狙いは何なのか。国政に多くの国民が関わることは良いことだが、私には安倍自民党が腹に一物を持っているように思えてならない。
今、十代から二十代の年齢層に「反中」「嫌韓」の感情が広まり、ひとつのナショナリズムを形成している。ヘイトスピーチがそのひとつの現れであり、先の東京都知事選で田母神俊雄氏が二十代を中心に60万票を集めたのもその証左だろう。
そして、前出の記事で白井氏が触れているように、今の若い世代は安倍首相が掲げている「積極的平和主義」がどれだけ危険なことなのか、考えもせず、想像力を働かせようともしないだろう。ただ単純に日本人の優越性を鼓舞する「国粋主義」に踊っているようにしか私には見えない。
その世代が国民投票権、そして選挙権を手にした時、安倍首相の言う「強い日本」に付和雷同し、バーチャルな思考が「支持率」というリアルに姿を変え、「想像力の欠けたナショナリズム」が加速するのではないか。そうなった時、「憲法改正」や「戦争ができる国、日本」は、机上の議論から現実へと変わるだろう。
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(※両記事とも、段落のブロック分けはブログ管理人によります。)
ここで、改めて、安倍首相がさかんに使う「積極的平和主義」と、最初にヨハン・ガルトゥング氏が提起した「積極的平和」について、記しておきたいと思います。
Wikipediaのくだんのページから引用してまとめると、ヨハン・ガルトゥング氏の平和の提起は、
消極的平和(Negative Peace):戦争のない状態
積極的平和(Positive Peace):貧困、抑圧、差別などの構造的暴力がない状態
です。つまり、彼の提起した「積極的平和」は、戦争とは対極にある状態であり、安倍首相の「積極的平和主義」とは正反対の概念なのです。
安倍首相の「積極的平和主義」についての興味深い考察を見つけたので、ご紹介します。安井裕司氏(早稲田大学エクステンションセンター講師・日本経済大学神戸三宮キャンパス教授)が、自身のSNSに投稿した「『積極的平和』が私たちに問うこと」というタイトルの記事(2014年1月15日投稿)です。安井氏は、ガルトゥング氏の平和の概念を引き合いに出し、安倍首相の「積極的平和主義」という言葉に違和感があるとしながらも、安倍氏が国内外でこの言葉を使い分けているという東京新聞の考察を紹介、これを「言葉のマジック」と表現した上で、「有権者の平和に関する知識(もしくは英語力)を問いているように思えてしまいます」と言っています。
この記事から抜粋引用します(全文はくだんのページをご覧ください)。
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(略)
特に、ガルトゥング氏は後者の「積極的平和」を強調し、貧困、抑圧、差別問題まで平和学の文脈で展開したことで、平和学に広がりを持たせたとされます(札幌学院大名誉教授の坪井主税先生のご研究では、「積極的平和」の理念は1942 年、米国の社会学者クインシー・ライト氏が執筆した「戦争学」の中で、「消極的平和」と併せて使ったのが始まりとされています)。
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安倍マジックに惑わされ、犠牲になるのは若者たちです。9.11後のブッシュ政権が、若者をいかに巧妙に、構造的にイラク派兵へと追い込んでいったか、堤未果氏の著書や講演でよくわかります。このブログでも度々紹介してきましたが、改めてその講演内容を若者の皆さんに読んでいただきたいです。特に、「たとえ戦争ができる国になったとしても、戦地に行くのは自衛隊員でしょ?」と、まるで他人事のように思っている皆さんにこそ、読んでいただきたいです。安倍政権が目論んでいることは、ブッシュ政権と手法の違いはあれ、ワーキングプア*の若者が「気づいたら戦場にいた」という状態へと構造的に追い込もうとしている点で共通していると、私には思えてなりません。
これに関連して、以前にも紹介したことのある自衛隊についての著書の一部を、最後にご紹介します。
『災害派遣と「軍隊」の狭間で 戦う自衛隊の人づくり』 (布施祐仁(ふせゆうじん)著 かもがわ出版 2012年発刊)より、抜粋・要約して紹介します(太字部分は、引用文の所在する項目名を表わします)。
増大する隊員たちのストレスと自殺
自衛隊で戦える隊員づくりが進む一方で、1997年頃(海外での任務が拡大した頃)から自殺者が増加している。特に、イラク派遣隊員は、陸自隊全体の3倍の割合で自殺している。
事業仕分けされた自衛官募集経費
採用人数の10倍以上の志願者があるが、自らの志願者は3割ほど。広報官が親に、学校に働きかけ、自治体を通じて広報することで応募してくれるのが現実。
少子化で今後は厳しい募集環境に
ノルマを課され、過酷な環境で働く広報官は、「部隊の方が楽」と証言している。
ありとあらゆる手で広報活動
(広報のために)全国で地域での祭りへの支援活動を自衛隊員がしている(2010年度は、全国で921件の祭りをのべ約6万人の隊員が支援した)。
携帯で無料でダウンロードできる「敬礼訓練プログラム」を海上自衛隊が配信している。
弱者にだけ死を強制する現代の戦争
ここ10年間で戦地に派遣された米兵は、人口の約0.7%にすぎない。つまり、戦争に動員されるのは国民のごく一部であり、大半の国民は無関心のまま「平和」な日常生活を送ることができる。この無関心が帰還兵たちの苦悩を増幅させている。
戦争による死のリスクは、貧困がゆえに入隊せざるを得なかった若者たちだけに背負わされる。戦争によって社会が流動化するどころか、一部の弱者だけが屈辱だけでなく死ぬことまでも強制される。
血を流す同盟 「守るために働きたい」
I氏(2009年高卒 「任期制自衛官」として入隊 兄弟の一人を病気で亡くしている):
戦場に送られるかもしれないことに対する恐怖がないといえば嘘になる。でも、いずれ海外に派遣されるかもしれないことよりも、今就職できないことの方が怖かった。戦うためではなく、家族を守るために働きたい、と切に思う。
あとがき
アメリカは、対中関係を強化すると同時に、「万が一」に備えて中国と戦い打ち勝つことのできる軍事態勢をつくろうとしている。それを単独でやるのは財政的にも厳しいので、日本などアジアの同盟国に「肩代わり」させようとしている。
こうした戦略の根幹にあるのは、徹頭徹尾アメリカの「国益」である。アメリカは、自国の「国益」にとって日米同盟が使えると思えば使うし、対中関係の方が重要だと判断すれば簡単に投げ捨てるだろう。そういうアメリカの戦略にひたすら追随していくことが、はたして本当に日本の「国益」になるのだろうか。
*布施氏のこの著書によると、「日本の相対的貧困率は15.7% OECD加盟国中でメキシコ・トルコ・アメリカに続く4番目 加盟国平均は10.6%」(執筆当時)だそうです。
この手の記事はいつも長くなってしまってごめんなさい。間違いや誤解のないよう伝えるには、どうしても言葉を尽くさなくてはならず...。最後までお読みくださり、ありがとうございましたm(__)m