えつこのマンマダイアリー

♪東京の田舎でのスローライフ...病気とも仲良く...ありのままに、ユーモラスに......♪

第2章 怒涛の日々 3.

2007年04月12日 | 乳がん闘病記
3.
 1つ検査が終わっただけでも、だいぶ気が楽になった。花粉症のこの時季は体調管理がむずかしい上、ヨガの先生やお抱え整体師によると体が緩む時季でもあるので、ぎっくり腰も起きやすい。一つ一つの検査はたいしたことがなくても、すべての検査を無事に終えなくてはと気構えるだけで、それなりの緊張感を伴うのだった。

 天気もいいし、少しだけ買い物をしたら気分がいくらか晴れた。
 帰宅すると、母から留守電メッセージが入っていた。折り返すと、こんな調子…「あなた、何かあったの? K子があんたが何か変だって言ってたから…『何かあったのかしら?』って言うから…どうしたの?」

 そうだ、うっかりしていた。妹のK子に電話しなければならなかったのだ。昨夜食べに出る直前に彼女から電話があったとき、今日の体操教室を休むことを理由は言わずに告げたら、私の気配に普段とは違うものを敏感に感じたのか、「何かあったの?」と訊いてきたのだ。「話すと長くなるし、これから出かけるところだから、明日話すよ」と急いで切ってしまったのだった。

 絶対、生涯、いや、少なくとも両親が健在な限り、彼らには病気のことを内緒にしようと誓っている私は、母には適当にごまかし通した。事実を知ったら、どんなに心配し、落胆するか、目に見えるようだ。また、母は、乳がんと被爆二世であることとを結びつけて自分を責めるかもしれない。自分が被爆したために、娘たちを被爆二世にしてしまい、ひいては病気を誘発したかもしれないと…。

 だから、妹にもこれから口止めしなければならない。夫や子供たちにも口止めしなければ…。母と義母が“ツーカー”の仲なので、義母や義父にも言えたものではない。

 妹への電話で、「実は私、乳がんみたいなのよ」と単刀直入にバッサリ切り出すと、彼女は受話器越しに息を飲んで絶句した。彼女が懸命に言葉を探しているのがわかったし、万が一にでも涙声になってはいけないと思い、私は次から次へと思いつくまま、一方的に言葉をつないだ。姉は妹の前では気丈にふるまわなければいけないと思っているし、いつもそう心がけているからだ。いつだって姉らしくありたい。それが姉の性というものなのだろう。

 妹の最初の反応は、夫やAさんと同じだった。「クラスVじゃないってことは、確定してないってことでしょう?」 そこで夫へと同じ説明をすると、やはり彼女も言葉が見つからないようだった。
 同性の“きょうだい”がいることに感謝しつつ、今後のことを彼女に頼んだ。それから、両親には絶対に知らせるなと固く口止めした。そして最後に、「乳がんは遺伝性の高い病気らしいから、あなたも気をつけた方がいいわよ。自己検診をまめにしておいた方がいいと思うよ」と、アネキぶるのも忘れなかった。

 電話を切ってから、心の中でひたすら詫びた。―驚かせてごめんね…心配かけてごめんね…姉さんのくせして、妹に甘えてごめんね………―

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