2月に入ったのでフォトフレームを入れ替えました。ミッシェル・ドラクロアの2018年のカレンダーから切り抜きました。
例年、年頭は、その前年のドラクロアのカレンダーから選んでフォトフレームを作っています。某証券会社グループが毎年作っているカレンダーで、このシリーズは19回目だそうで…。でも、予算の関係からか、昨年からサイズがだいぶ縮小されました(^^; でもアゲイン、絵が小さくなったお蔭で、フレームに入れやすくなりました。今までは絵のごく一部しか入れられなかったので…。
そして、今回のシリーズには、私には縁の深いアメリカのボストンの絵が1枚だけ含まれていたので、それをどんと中央に置きました(^^)v
以下、オリジナルの絵を紹介します(★これより下の画像をクリックすると、大きい画像が見られます。★画像にマウスオンすると絵のタイトルが表示されますが、ブラウザによっては読み込めない場合がありますm(__)m)。
また、下にドラクロア本人の解説をそのまま載せます。
600円のミニギャラリー ~M. ドラクロアの懐かしのパリ~
「てきぱきと」 (上段左)
私の一番のお気に入りは、クロワッサンのトレーを頭に載せた小柄なパティシエ。
そして、大胆にも椅子を外へ出し、表通りを行き交う人々を眺める女性も気に入っています。
テレビを見るより楽しいのではないでしょうか。
「子どものころのクリスマス」 (上段中央)
あのころの街はどこへ消えてしまったのでしょう? 時々、子どものころのパリの様子が
わからないときがあります。でも嬉しいことに、ノートルダム大聖堂のように同じ姿のままの
ものもあります。
「パリの空」 (上段右)
パリ。朝の光、外に干された洗濯物。そして幸運のシンボルである煙突掃除人。私はこの昔ながらの
街をこよなく愛しています。今の暮らしを終えた後もパリに留まり、この街の素晴らしさを永遠に
満喫したいと思います。
「パリの魅力、ボビヨ通りの雪」 (下段左)
ボビヨ通りには気楽な暮らしがありました。質素だけれど心安らぐ生活があり、私は毎日、母に
連れられて学校に通いました。カフェの店主が、両腕を広げて誰でも歓迎してくれた時代でした。
私たちはこの通りで幾度となく幸せな時間を過ごしました。
「ボストンのロマンス」 (下段中央)
何十年か前に、「アメリカを見つける」機会がありました。アメリカの春や秋の日暮れは、それは
素晴らしく、そこから着想を得てこのような絵を描きました。昔の青春時代はどこへ行ってしまったのかと
不思議に思います。フランスの詩人は「恋人よ、私を信じて、明日まで待たないで」と書きました。
「オ・プティ・ベネフィス」 (下段右)
このお店は、あまり繁盛しているとは言えません。その逆で、お客は少ないのですが「ストレス」のない
心地よい暮らしでした。
なお、前回のドラクロアのカレンダーを入れたフォトフレームが、こちらの過去記事で見られます。
こちらの過去記事で紹介したように、昨年のスクエアのカレンダーを、フォトフレームに見立てたコルクボードに今月から貼りつけ始めたので、そちらも模様替えしました。北海道の美瑛の景色のカレンダーですが、2月のが先月と似たような雪景色なので&上のフォトフレームにもボストンの景色が出てきたので、こちらもボストンのカレンダー(↓)にしました。
Dianne Dietrich Leis撮影による、1998年のボストンの街の写真集です。
「Louisburg Square」というタイトルの2月の写真を持ってきました。オリジナルの大きさのままですが、サイズが足りないので、画鋲で留めました。フォトフレームとは言えませんが、これが本来のボードの使い方ですね(^^;
この広場は、ボストンの州会議堂の近くにあります。
20年近く前のカレンダーをよくぞ取っておいたと、自分でも呆れます。1988~90年に夫の留学のために滞在し、その滞在記を出版した1997年に再訪した折りに求めたカレンダーです。その後、2011年に再々訪しました。
滞在していた月日と、旅で訪れた日々の思い出が呼び起こされるカレンダー…。北海道のカレンダーとともに、順にこうして画像に収めながら、さよならしていきましょう(^^;
新年の初コメント、ありがとうございます。コメントの少ないブログなので嬉しいです(^^;
ドラクロアの絵、おそらく女性好みなんじゃないでしょうかね。20世紀半ば頃の風景の絵が多いのではないかと思いますが…。
私も好きで、飽きずにこうして何年もブログに残し続けています(#^.^#)
やはりどの絵も好みです。
サイズが縮小されて、かえってフレームに入りやすくなって良かったですね。
ドラクロアの絵でカレンダーを作ってくれるなんて、有難いですね(^_-)-☆