ニュースでご覧になった方も多いと思いますが、日本被団協の一行がノルウェーのオスロでのノーベル平和賞授賞式を無事終え、先日帰国しましたね。被団協が渡航前に呼びかけたクラウドファウンディングには、ひと月で5,309人が4,735,000円の寄付を寄せてくれました。国民の祝福や応援の気持ちと関心の高さが窺え、広島の被爆二世の私にとっても喜ばしいことでした。
前回記事の最後で少し言及し、私の属する「稲城 平和を語り継ぐ三世代の会」のインスタグラムのホームサイトで先に紹介したように、当会のメンバーでもある被団協の事務局次長の濱住治郎氏が、授賞式とそれに附随したイベントを恙なく終え、スウェーデンのコペンハーゲン経由で13日早朝に帰国、翌日に開いた当会の定例会で現地での様子を報告してくれました。また、貴重な画像も提供してくれたので、併せて紹介します。
(★これより下の画像をクリックすると、大きな画像が見られます。)
ノーベル平和賞授賞式 ~濱住治郎氏の帰国後レポート~
左と右下画像が「ノーベル平和センター」。 右上画像は、晩餐会が開かれ、宿泊先でもあった「グランドホテル」。 |
オスロの市庁舎で行われた式典のプログラム(建物は撮り忘れたそうです(^^;)。 |
代表委員の田中熙巳(てるみ)氏のスピーチに聴き入る濱住氏。 20分に及んだスピーチは田中氏がひと月かけて書き上げたものを、濱住氏他のメンバーとで協議して短くし、4,600字にまとめたとか。「式典で一番大事な部分だったので、終わったときはほっとした」と言っていました。 |
既述した、ノーベル平和センター館内の被爆に関する展示。 建築家の隈研吾氏が制作した被爆者の証言をテーマにした木製のオブジェも、併せて展示されているそうです。 |
メンバーの半数しか出席できていませんでしたが、記念撮影...。私は当ブログでは顔出ししないことにしているので、モザイクにて失礼m(__)m 濱住氏の両隣りが、当会発足のきっかけとなった絵本『ピンク色の雲 おばあちゃんのヒロシマ』の著者(私の妹)とその挿絵を手がけた画家の稲田善樹氏。濱住氏は広島弁その他の監修を担当してくれていました。 |
授賞式で登壇した田中氏ら3名は国賓扱いだったので、同行した濱住氏始め他の渡航メンバーは別の日程で動いたとか。11日は2017年にノーベル平和賞を受賞したICAN(核兵器廃絶国際キャンペーン)の前委員長他の若者と懇談したり、12日には市内の高校や大学に出向いて懇談したりしたそうです。また、急きょ中学生にインタビューを受けたりと、当地での関心の高さが窺えたようです。
帰りのスカンジナビア航空の機内では、祝福のアナウンスがあったそうで、「嬉しかった」と濱住氏。一世一代?のビッグイベントを終え、さぞほっとしていることと思います。
でも、田中氏がおっしゃっていたように、受賞して終わりではなく、新たな活動の始まりでもあると思います。それは、地元で18年近く非核を訴えて活動してきた私たち当会のメンバーの間でも一致する思いです。田中氏が最後に強調し、またノーベル平和センターの垂れ幕にも明記された「A Message to Humanity」に表わされているように、被団協、被爆者の思いは世界の人類全体へのメッセージなのですね。被爆者に限ることでも、次世代に限ることでもなく、人類全体の課題だと、濱住氏は強調していました。そのためには、被爆の歴史、つまり記憶、記録を大事にしなければいけないと。その記憶遺産を伝承する施設を創るには5億の費用がかかるとも、濱住氏は言っています。ですので、一時的な支援にとどまることなく、ひき続き国民の関心といろいろな意味での支援が続くことを私は願って止みません。濱住氏の報告に寄せ、私からも改めてみなさまにお願いする次第ですm(__)m
さらに、ヒバクの被害は被爆によるものだけではなく、放射能の被曝によるものも同様で、同じ座標、次元でとらえて考えるべきだと私は思います。被爆者だけに気持ちや関心や支援を向けるのではなく、ビキニ環礁での核実験による被曝やチェルノブイリ・福島などでの原発事故による被曝にも、併せてフォーカスされることを願っています。
代表委員の田中重光氏が長崎に帰着後に語られた言葉にも含蓄がありましたね。「受賞が、今の緊張と分断の世界を友好と協調の世界に変える、そういう誓いになっていったらいいと思う」と。「誓い」と表現されました。この言葉に込められた、田中氏に代表される被爆者の思いを、一人でも多くの「人類」が受け止めてくれることを、私はやはり願っています。
いつものように、付録が冗長になりました(^^ゞ 最後までお読みくださり、ありがとうございましたm(__)m
そのうちの1回が真夏、8月頭でした。
休みの日、電車で出かけました。
広島駅を降りた時、
こんな暑い時に全身火傷はヤダなと、
ちと不謹慎な感想が一番最初に頭に浮かびました。
真冬でも全身火傷は嫌なのに変わらないですけど。
ちなみにたった数cm四方の火傷でも発熱しますね。
被爆した人は現在80歳以上、
ウン10年も放射線による不調や不快感があったと思います。
でも不謹慎な門外漢には
被爆してもこんなに長生きするのかなんてメッセージが伝わらないかな、
などとこれまた不謹慎な心配が…
4つも卑下的?自虐的?(適切な言葉が見つからなくてごめんなさいm(__)m)な言葉を並べて...このタイトルを見ただけでも、ボッケニャンドリさんの「門外漢」としての精一杯で誠実なお気持ちが伝わってきて、さらには本文を拝読し、じーんときました。優しいお気持ちを寄せてくださり、心から感謝していますm(__)m
でも、門外漢といえば、私とて被爆者本人ではないし、被爆二世でなければ、きっといつまでも門外漢だったことと思います。
そして、そういう立場や気持ちは、当会の仲間の「門外漢」にも共通するものなのです。自分が被爆に全く関係ない立場であることが理由で、一歩引いた立場で関わってくれている仲間たちです。こちらとしてはその人が「門外漢」だなんて考えたこともないのに、あちらとしては「門外漢」としての引け目を感じてしまうのでしょうね。互いに埋めようとしても埋め切れない境界線を、どうしてもあちらの人は感じてしまうのだと思います。
でも、100%は埋められないにしても、埋めようとする互いの気持ちがあることが、同じ目標に向かわせてくれるともいえるのでしょう。
今回の受賞を会のメンバーが各々どう受け止めたかについて聴き合って、そんなことを感じました。
そして、これは被爆者と非被爆者という構図だけではなく、どういう立場同士にも当てはまりますよね。
自分は門外漢だから考えられない、考えたくない、考えてはいけない...ではなく、同じ目標に向かって考えようとしてみること...それが大事なのでしょう。
田中熙巳さんの「人類の問題だ」というメッセージには、そういう想いが込められているような気がしました。
改めて、ボッケニャンドリさん、ありがとうございますm(__)m