えつこのマンマダイアリー

♪東京の田舎でのスローライフ...病気とも仲良く...ありのままに、ユーモラスに......♪

節電生活での雑感

2011年03月22日 | 東日本大震災
 震災から10日が過ぎ、国民皆が良くも悪くも状況の変化に順応してきたようですね。被災した方々にとっては、時間の経過とともに直面する問題とクリアすべき課題の質が変わるだけで、気の遠くなるような、エンドレスに思える闘いの日々かもしれません。少しでも希望の光が見えるよう、被災を免れた国民が長期的に支えていけるといいですね。

 私の住む地域では、計画停電の輪番に何度も当たりながら、今のところ実際に実施されたことはありません。それでも節電には努めております。
 電気の使い方を見直すと、ガスや水の使い方も見直すことになりますね。そうすることで、今まで自分がどんなにエネルギーを無駄使いしていたかがよくわかりました。
 早寝早起きすれば照明や暖房は節約できるし、手元ライト等部分照明を使えば部屋全体の照明は要りませんね。掃除機を使う代わりに拭き掃除(もちろん風呂の残り湯で!)すれば、あっという間に体が温まり、暖房は要らなくなりますねぇ。今まで部分的にしか拭き掃除しないでおいて、「寒い!」「冷え症だから!」とカイロを貼っていた自分を嗤ってしまいます。なんてことはない、私は楽をして寒がっていたのですもの...(^_^;

 このように、無駄を見直せば電気だけでなくあらゆる生活のエネルギーや物資を節約できるということを、国民皆が体で実感できたと思います。近年、日本社会では不景気によるエコ意識が広がりつつはありましたが、まだまだごく一部だったように思います。少なくとも個人的には、切羽詰らないと行動に移せないことを実感しました。
 そして、供給が減ったり止まったりすればそれに対応するしかないし、逆に対応しようと思えばできるということも体感できました。

 これまでの日本社会の仕組みそのものが需要に供給を合わせていたばかりか、消費過剰、サービス過剰だったわけで、逆に、供給に需要を合わせる生活に転換したらどうなのでしょうか? 過度な照明やネオンは抑える、仕事場も公的施設も交通機関も冷暖房の設定温度を上下したり運用時間帯を調節したりする、長時間営業の店は営業時間を短縮する、仕事も就業規則を守り、仕事が終わろうが終わるまいがさっさと帰宅する......経済学に疎い私はそんなふうに考えるのですが、それでは資本主義社会では経済が破綻するのでしょうか? 
 中国電力が西日本の節電傾向に対して「過剰な節電は避けて」と呼びかけたのを知り、この矛盾に疑問を持ったのですが、今の私の頭では解決することができません。

 原発事故に際しては、多くの人がそうだと思いますが、不勉強や無知の怖さを思い知りました。日ごろから意識と関心を持って勉強し、知識を持っていないと、有事に慌てふためき、不安になるだけですね。ある程度の知識を持っていれば、あまたの玉石混交の情報の中から正しい情報をすぐにキャッチできるし、誤報や風評に振り回されることなく、自分で判断、行動できますものね。それが精神安定にもつながれば、ひいてはパニック防止にもなるでしょう。
 私自身が広島の被爆二世であることから、地元で平和活動の真似事をしてきたつもりですし、チェルノブイリ事故や劣化ウラン弾の長期的悪影響や被害についても少しは知っているつもりでした。でも、日本の原発そのもののハード&ソフト両面のシステムやその問題点等、まだまだ知らないことが多いことに気づきました。原発による電力供給を享受するばかりで不勉強だったことを、今とても反省しています。

 今回の事故が未曾有の自然災害が引き金だったとしても、人災の要素が多いと今や誰もが感じていると思います。でも、人災の責任は一企業や政府だけではなく、不勉強なのに享受だけしてきた国民にもあることも、多くの人が気づき始めていると思います。
 今後日本の電力をどのように供給していくのか、何を優先して供給するべきか、需要と供給のバランスをどのようにとっていくのか...一企業や政府、あるいは専門家だけが議論するのではなく、国民も勉強して一緒に考えなければならないでしょうね。そうして出した結論に、国民の生活様式の大転換が必要になったとしても、止むを得ないと思います。企業の利益や政治の駆け引きを優先して論じられるのではなく、長期的な日本経済と国民の健康の維持という視点で、国民が納得できる結論に至ることが、あくまでも前提ですが...。

 先日の記事に書いたように、事故収拾のために国民から募集する特攻要員が必要になった場合、条件次第で自ら志願すると愚息は申しました。私は思わず涙してしまったのですが、それは息子の思いに感動したとか誇りに思ったからではなく、将来の希望があるべき若い世代にそこまで考えさせてしまう状況を私たち親世代が作ってしまったことへの、申し訳なさと情けなさからでした。そして、自分自身の寿命短縮の懸念や生への執着はさておき、子孫のために日本社会を再構築し、自分たちの作ってしまった負の遺産を決して受け継がせてはならないのだとつくづく思ったのです。

 閑話休題、壮大な話はともかく、当面は事故収拾ですね。命を懸けてそれに当たってくださっている皆さんには、立場の区別なく「国民栄誉賞+生涯医療保障+家族の生活保障」授与を私は望みます。「国民の救世主になってください」と家族を送り出すなんて、私には到底真似できません。ご本人にもそのご家族にも、ただただ敬意を表し、感謝するばかりです。

 冗長でとりとめもないつぶやきにおつき合いくださり、ありがとうございました。


     「今日できることを今日することの大切さも思い知った」takuetsu@管理人


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2 コメント

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読ませていただいて・・ (はなこころ)
2011-03-22 18:24:57
何度も
何度も
うなづいて・・しまいました。

ほんとうに
ほんとうに
その通りです。

喉元過ぎれば・・
で、いままで
なんとか、乗り越えはしてきた
国民ですが
今回の震災は
あまりにも
未曾有すぎます。

日頃~ぼぉ~っと過ごしている
一主婦にも、わかります。

どこかの知事さんのように
毒を洗い流した。なんて、血も涙もない発言は
論外として
なにかの
警告なんだ
と、考えたりもしています。

「生きること」を
大切にしなければいけませんね。

・・はなこころ
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はなこころさんへ:平和ボケ (takuetsu@管理人)
2011-03-23 15:34:31
はなこころさん、コメントありがとうございます。冗長な文章をうなずきながら読んでくださったのですね、嬉しいです。

やはり、国民も賢くないといけないですね。平和ボケとよく言われますが、まぁ、そういうことなのかもしれません。
自分の身の回りのこと、自分の生活がどのように成り立っているか、きちんと知ったり、疑問を持ったり、きちんと調べたり、ということが大事ですね。
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