えつこのマンマダイアリー

♪東京の田舎でのスローライフ...病気とも仲良く...ありのままに、ユーモラスに......♪

被災地に灯りを ~多摩大学「和紙キャンドルガーデン-TOHOKU 2018-」~

2018年03月10日 | 東日本大震災

(↑ 我が家のボーダーガーデン@2013年4月)

 

 我が家の近所に多摩大学があります。その「村山貞幸ゼミ」が日本の伝統文化を伝承していく目的で10年前に始めた「日本大好きプロジェクト」(詳細はこちらのページをご覧ください)について私が知ったのは、2015年12月のことでした。プロジェクトの代表的イベントとして、「和紙キャンドルガーデン」がキャンパスで開かれたのです。学生さん達が東北の被災地38市町村を回り、自らが漉(す)いた和紙に被災地住民のメッセージを綴ってもらい、和紙キャンドルとして灯す、というイベントでした。「マミーすいとん」など、福島県の郷土料理も販売されたと記憶しています。傷めた足底が最悪の状態だった当時、残念ながら足を運ぶことはできませんでしたが、近所のよしみにも手伝われ、それからずっと気になっておりました。

 そのイベントが規模を拡大して現在も続いていることを、昨日のNHKのニュース番組で知りました。今年は、「和紙キャンドルガーデン-TOHOKU 2018-」として、「東京ミッドタウン」で今日から3日間開かれています。トップページにあるメッセージを引用します:

     東日本大震災の「今を知ってほしい」「忘れないで欲しい」
     大学生が1年かけて 東北3県125市町村を訪問
     東北の方々、約2,500人のメッセージを灯す 和紙キャンドルイベント

 

  明日3月11日(日) (9:30 ~ 12:30)、「いなぎ平和と安全を考える連絡会」主催「第6回 わすれないで! 3.11」という企画が「稲城市振興プラザ」で開かれます。福島の現状を知るための講演会とパレードを行ないます。ぜひご参加ください。もちろん、私も会場におります。詳しくはこちらをご覧ください(↓)。

        

 

                                        

 

 本日放映された「NHKスペシャル」、「誰にも言えなかった~震災の心の傷 母と子の対話~」には衝撃を受けました。東日本大震災から7年経った今でも、といいますか、時間が経った今だからこそ、心身の不調を訴える子どもが後を絶たないというのです。そのうちの一人、震災当時3歳だった女の子の例が紹介されていました。
 ゆいちゃんは震災で3人の肉親を失い、津波による凄惨な光景を目の当たりにしましたが、震災後5年間は普通に暮らしてきたそうです。ところが、5年も経ってから、被災当時のトラウマがPTSDとして現われたというのです。「泣くことは恥ずかしいこと。だから、泣いてはいけない」と自分に言い聞かせ、5年間も自分の思いを封じ込めて過ごしてきたことが、PTSDの原因でした。
 ゆいちゃんのみならず、震災後何年も経ってから心身にPTSDが出る子どもが、数多くいるといいます。さらに、心的ケアが必要な子どもたちは14,000人とも。宮城県では不登校率が全国最悪レベルとも…。

 たった3歳の子どもが、「泣くことは恥ずかしいこと。だから、泣いてはいけない」と、悲しみや恐怖を心の奥深くに何年も閉じ込めてきた…でも、限界に達し、心身が悲鳴を上げ始めている……。同じ年齢の孫を持つ私は、その心の傷の深さに愕然とし、胸がつぶれる思いでした。と同時に、そんな被災地の状況に疎かった自分を恥じました。7年の歳月の間に、すっかり他人事、過去の出来事となってしまっていたのですね。ごめんなさい…。

 

                                        

 

 我が家のすぐ近所に、ある高齢のご夫婦が住んでいます。そのご夫婦と知り合ったのは、震災の翌年の秋のことでした。道路沿いにあるボーダーガーデンを耕し、翌春に備えていたとき…見知らぬご夫婦が通りかかり、おばあちゃまが話しかけてくれました。少し聞いただけでも「東北の人かな?」と思うような訛りがあります。二言、三言で去って行かれました。見かけない方だけど、どこの方だろう? 後ろ姿を追っていると、向かいの並びの2軒先のKさん宅に入って行くではありませんか。確か、Kさん宅は坊ちゃん2人の4人家族のはず...たまたまどちらかのご両親が遊びにいらしてるのかな?

 何日かして、今度はそのボーダーに花の苗や球根を植えていると、またそのご夫婦が通りかかり、おばあちゃまに声をかけられました。柔らかい笑顔と人懐こい東北弁に釣られ、手を休めておしゃべりが弾みました。81歳と80歳のご夫婦ということですが、二人とも肌に艶と弾力があり、70代にしか見えません。あれこれ話しているうちに、もしかしたら東北の被災者で、避難されてきたのかもしれない...そう思うようになりました。
 でも、こちらからは訊けずに、ただ耳を傾けていると...宮城県石巻市で自宅を津波に流され、東京の息子さんの家、つまりKさん宅に越して来たとおっしゃるではありませんか。最初は、自宅近所にある病院の屋上に避難しようと思ったけれど、それではダメだと判断して高台に避難し、九死に一生を得たこと…4階建ての建物も背の高い木々も、すべて流されたこと…仙台に住む娘さんが一緒に住むよう呼んでくれたけれど、受験生が2人いたので遠慮したこと……そんな話をしてくださいました。印象的だったのは、20分ほどの話の間に、おばあちゃまが数回繰り返された言葉です。「息子たちに迷惑はかけられない」……。

 その後、Kさん宅はご両親のために増築されました。ご夫婦が毎日のように連れだってお散歩に出る姿を、私は庭仕事の傍らよく見かけたものです。ところが、ある日、おじいちゃまが脳梗塞で倒れ、体の自由が利かなくなり、さらには後々認知症にも…お散歩する姿は、おばあちゃまお一人になりました。最近は、おじいちゃまが声を荒げている様子や、夜中に出て行かれる様子が、道路際の部屋で寝ている私にも伝わってきます……。
 そのご夫婦も、震災に人生を変えられてしまった多くの人達のごくごく一例なのですね。一例ですが、ご本人にとっては大きな大きな出来事なんですよね…。

 そして、そのときに植えた苗が半年後に花開いた様子が、トップ画像(↑)…というわけでした……。 

 

 長らくご高覧くださり、ありがとうございましたm(__)m

 

 


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