衆院選挙に関連し、最近の東京新聞朝刊に投稿された読者の投書を2つ紹介します。
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「リセット解散 有権者を軽視」 11月20日付
自営業 田路(とうじ) 一(はじめ) (51) (埼玉県伊奈町)
有権者が甘く見られている。時の政権が選挙を政治の道具として使っても、有権者が怒らないからと、安心して解散を決断されてしまった。解散の目的はアベノミクスの方向性と消費税先延ばしの是非の確認という。
しかし、前者はまさにこれから成否を問われるところであり、後者はアベノミクスの成果に対する不安の証左である。それでも、有権者は連合・分裂を繰り返す野党には投票せず、消費税延期の甘言に乗ってくる、と思われているのだ。
閣僚の不祥事でぐらつく政府も、解散して信任を受けたことにすればゴタゴタをリセットできるという寸法だ。国民は早く気づくべきだ。誰のせいでこんなに国民をばかにした政治が行われるのか。それは他ならぬ政治に鈍感な国民自身なのだということを。
「権力の監視も主権者の役割」 11月26日付
フリーター 塔嶌(とうじま) 麦太 (19) (東京都葛飾区)
選挙のたびに思う。この国に民主主義はあるのか、と。国民主権とはいうが、投票に行かない人々や、投票したらそれで義務を果たした気になって権力監視を怠っている人々などは、主権を放棄していると言ってもいいだろう。
これでは独裁政治より始末が悪い。なぜなら、権力者たちは「民主的な」選挙で選ばれたという大義を持ち、大半の国民も根拠もなく「日本は民主主義の国だから大丈夫だ」と信じきってしまっているからだ。
ところで僕は10月25日、秘密保護法に反対する大学生のデモの中にいた。「今、ここで声を上げていること、これが民主主義!」。そう叫ぶ若き「主権者」たちに、そうだ、民主主義は、決して権力者や形骸化した選挙の中にあるのではない、人々が主権を行使していく中にこそあるのだ、と気付かされた。
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(注:段落のブロック分けと文章中の太字化は、ブログ管理人によります。)
19歳の塔嶌さんには、残念ながらまだ選挙権がありませんよね。どんな思いでデモに参加し、どれほど有権者に歯がゆさを覚えながら、この投書をしたことでしょう...まさに、切歯扼腕、隔靴掻痒の思いではないでしょうか?
彼のように、若き勇ましき主権者でありながら、まだ有権者としての政治参加が叶わない若者たちのためにも、有権者には、冷静に今の政治を分析し、貴重な主権行使の機会を活かしてほしいと思います。塔嶌さんたちを決して失望させまい! 決して権力者になめられまい! 自らにそう言い聞かせ、不安をかき消す毎日です......。